「去る者は日々に疎し」の意味とは?読み方、対義語や使い方、具体例を紹介!
「去る者は日々に疎し」という表現を知っているでしょうか。
余り日常的に聞く表現ではないかもしれませんね。
ここでは「去る者は日々に疎し」という表現について紹介します。
目次
- 「去る者は日々に疎し」の意味とは?
- 「去る者は日々に疎し」の類語や言い換え
- 「去る者は日々に疎し」の反対語(類似の対義語)
- ビジネスにおける「去る者は日々に疎し」
- 「去る者は日々に疎し」の使い方や具体例
- 恋愛における「去る者は日々に疎し」
- 「去る者は日々に疎し」を分けて解釈
「去る者は日々に疎し」の意味とは?
- 「去る者は日々に疎し」の意味
- 「去る者は日々に疎し」の読み方
「去る者は日々に疎し」の意味
「去る者は日々に疎し」というのは、「死んでしまった者は非が経つにしたがって世間から忘れ去られていくものであり、親しかったものであっても遠ざかってしまえば日に日に交情が薄れてしまう」という意味です。
そしてそれは仕方がないことであるという人生の無常を指しています。
『文選・故詩十九首』の「去る者は日に以って疎く、来たる者は日に以って親し(別れた者とは日増しに疎くなり、近づいてくる者とは日増しに親しくなるものだ)」から来ています。
「疎し」とは、人間関係が疎遠になることを指します。
「去る者は日々に疎し」の読み方
これは「さるものはひびにうとし」と読みます。
中には「去る者は日々にいとし」という人がいますが、これは誤って伝わったものになります。
また、この表現はあくまでも人間関係に使われるものであり、物に対して使うことはありません。
例えば、「しばらくピアノを弾かないでいたら弾けなくなってしまった」という使い方をすることはありません。
「去る者は日々に疎し」の類語や言い換え
- 「遠ざかるは縁の切れ目」【とおざかるはえんのきれめ】
- 「間が遠なりゃ契が薄い」【あいがとおなりゃちぎりうすい】
- 「遠くなれば薄くなる」【とおくなればうすくなる】
「遠ざかるは縁の切れ目」【とおざかるはえんのきれめ】
「遠ざかるは縁の切れ目」とは、「遠ざかっていくのは縁が切れて行く」という意味です。
近くにいれば縁が切れることはないけれど、遠ざかっていくということは縁が切れるのは自然なこと、という意味を表しています。
「間が遠なりゃ契が薄い」【あいがとおなりゃちぎりうすい】
「間が遠なりゃ契が薄い」というのは、例え親しいものであったとしても遠くに離れてしまえば関係は薄れてしまうという意味になります。
特に男女の事柄を指すことが多いとされています。
どれだけお互いを大事に思っている男女であったとしても、遠距離恋愛はなかなか難しいものです。
近くにいれば問題ないけれど、遠距離になってしまえばそれだけで恋愛関係が消滅してしまう理由になります。
また、例え近くにいたとしても会う機会が減ってしまえば距離は離れてしまうものです。
遠距離恋愛であったとしてもこまめに連絡を取り合うような間柄であれば距離は近いままでいられるでしょう。
「遠くなれば薄くなる」【とおくなればうすくなる】
「遠くなれば薄くなる」というのは、どれだけ親しい間柄の人たちであったとしても、遠く離れてしまえば相手に対する思いやりや愛情が薄れてしまう、ということになります。
どれだけ相手を大切にしていたとしても、距離が離れてしまうと相手のことを常に思いやっているのはなかなか難しいですよね。
近くにいて何をしているのか分かる、どういう事を考えているのか、どういうことに悩んでいるのか分かる、という状態であれば常に優しくすることもできますが、離れているとそもそも相手のことを思いやることも簡単ではなくなる可能性があります。
「去る者は日々に疎し」の反対語(類似の対義語)
- 「来る者は日に以て親しむ」
- 「遠くの親戚より近くの他人」
「来る者は日に以て親しむ」
「去る者は日々に疎し」の真逆の表現が「来る者は日に以て親しむ」という言い回しになります。
交流がある人は次第に親しくなっていくものです。
心理学でも証明されていることですが、単純に会う機会が多いと人間は親しくなったり、相手に好意を持ったりする傾向があるのです。
だからこそ、なかなか相手に会うことが出来ない遠距離恋愛は難しいと言えるのです。
つまり、最初は何とも思わない相手であったとしても、徐々にデートを重ねることによって相手に好意を抱くことができるようになるのです。
だからこそお見合い結婚というものが可能になるのかもしれません。
学校でも、1年間共に過ごしたクラスメートとはそれ以外の友人とは比べ物にならないような強い絆が生まれることがありますよね。
「遠くの親戚より近くの他人」
「去る者は日々に疎し」の対義語ではありませんが、意味が逆の表現に「遠くの親戚より近くの他人」という表現があります。
困った時は、遠くに住んでいる親戚よりも近くに住んでいる他人の方が助けになることがあるものです。
病気になった時、怪我をした時、入院した時など、遠くに住んでいる親戚より、近くに住んでいて普段から交流があるご近所さんの方がいろいろ話しやすい、ということがあるのではないでしょうか。
例えば何かがあって病院に行かなければならない、でも子供を連れて行けない、となったら、遠くの親戚に連絡するのではなく、近くのご近所さんに子供を預かって欲しいとお願いに行くことを考えますよね。
ビジネスにおける「去る者は日々に疎し」
- ビジネスの円滑な人間関係が可能性を広げる
- 人間関係が上手く築けないと障害になる
ビジネスの円滑な人間関係が可能性を広げる
ビジネスの世界では、取引先から大事にしてもらったり、上司に目をかけてもらったり、ということがあります。
人間関係はビジネスにおいて大切であり、それこそがキャリアを決定づけることもあるものです。
人間関係という繋がりが自分の可能性を広げてくれることもあるでしょう。
人間関係が上手く築けないと障害になる
逆に、上司との関係がうまくいかない、人間関係を築くことができなくてチームの信頼関係を崩してしまった、などということにより、仕事がうまくいかないということもあるかしれません。
また、円滑な人間関係を築くことが苦手という人は、周りからも敬遠されてしまう可能性があります。
例えば怒鳴られてもいつまでも尾を引かず、次に会う時には気持ちを切り替えることができる人であれば周りも近づきやすいですが、いつまでも尾を引くような人ではなかなか近づきづらいですよね。
「去る者は日々に疎し」の使い方や具体例
- 就職や進学において地元を離れる
- 親戚も同様
- 「去る者は日々に疎し」は悪いことではない
就職や進学において地元を離れる
「去る者は日々に疎し」というのは、就職や進学で地元を離れる場合に使われることが多いです。
一緒に卒業した時には「いつまでも友達だよ!」と言うかもしれません。
しかし、毎日会って楽しく過ごしていたような友達が、いざ遠くに離れてしまうと全然交流が亡くなってしまった、という経験を持つ人も多いのではないでしょうか。
これは進学や就職で地元を離れたことによって起こりやすいと言われています。
同窓会などがあったとしても、一度離れて疎遠になってしまうと、また前と同じような信頼関係を築くのはなかなか簡単ではありません。
親戚も同様
親戚も同じです。
近所に住んでいたり市内に住んでいたりして距離が近ければ頻繁に会うということもあるでしょう。
しかし進学や就職、はたまた結婚などで引越しをし、距離が離れればなかなか頻繁に会うという事ができなくなります。
それによって疎遠になるという事もあり得るのです。
「去る者は日々に疎し」は悪いことではない
「去る者は日々に疎し」というと、どうしても「距離が離れてしまうと友達ではなくなる」などというネガティブな意味を連想してしまう人もいるかもしれません。
しかしそれは悪いことばかりではありません。
というのは、人間はいつまでも同じ人間関係を築いていたら成長できませんよね。
新たな人間関係を築き、そこから学んでいかなければならないこともあります。
人生には出会いもあれば別れもあります。
新しい人との出会いにより新しい気付きを得て、過去の嫌なことさえも忘れられるのです。
恋愛における「去る者は日々に疎し」
- 失恋
- 片思い
- 恋愛のライバル等
失恋
好きな人に突然降られてしまったら落ち込みますよね。
絶望し、自分なんか!と思ってしまうこともあるかもしれません。
何日も立ち直れず、眠れない!ということもあるかもしれません。
しかし好きな人と何日も会わない、会えない、という状態が続くことで、徐々に好きな人のことを忘れられるものです。
もちろんたまには好きな人のことを思い出すこともあるかもしれません。
しかし、会わなければ疎遠になっていくのです。
片思い
片思いというものは美化しやすく、つらい思い出になり得る可能性があります。
しかし、例えば学校の卒業と同時に片思いの相手と疎遠になってしまったとしましょう。
その人のことを思い続けるのはなかなか大変です。
むしろ自分の人生に現れた素敵な人のことを思い、片思いの相手を忘れられるかもしれません。
恋愛のライバル等
それは好きな人に対してだけではありません。
例えば「女の敵は女」という事がありますが、恋人の男性のところに何やら素敵な女性が現れ、恋人がその女性の方を向いてしまったら、自分としてはその女が許せない!という気持ちになるかもしれません。
しかし時間が経てば相手の事を許せるようになってくるのではないでしょうか。
相手の面影がチラチラしてしまうとなかなか忘れられないかもしれません。
しかし相手との距離を経つことにより、気持ちが収まってくるものです。
「去る者は日々に疎し」を分けて解釈
- 去る者
- 日々に疎し
去る者
去る者というのは、「そこからいなくなる人」、「遠くに行ってしまう人」を差します。
今まで近くにいたのに遠くなってしまう人、ということです。
日々に疎し
日々に疎しとは「日に日に関係が薄れる」と言う意味です。
毎日毎日少しずつ関係性が薄くなる、ということになります。
いかがでしょうか。
一言で「去る者は日々に疎し」と言っても、例えばそれがビジネスなのか恋愛なのか、または学校のクラスメートなのか、シチュエーションによっても変わってきます。
付き合い方にもよりますので、必ずしも近くにいるからと言って皆が近しい関係というわけではありません。
例え隣に住んでいても、挨拶さえ交わすことがないような状態では意味がありませんよね。
また、去る者がいたら、去る場合には様々な事情がありますから、無理に追いかけないという事も必要です。
去る者がいたら無理に引き留めたりせず、またその人が戻ってきた時に温かく迎える、という事でも良いのかもしれませんね。
「去る者は追わず、来る者は拒まず」も生きていく上では大切です。