「猫も杓子も」の意味とは?「猫も杓子も美人」の意味?類語や使い方、英語を紹介!
「猫も杓子も」という言葉を、耳にしたことがあるかと思います。
「猫」と「杓子」という両者の間には、何の脈絡もなく、何らかのつながりすらない、たとえて言うなら「風が吹けば、桶屋が儲かる」のような、まるで関係ないもの同士を取り合わせた言葉ですが、どのような意味で、どんな時に使うのでしょうか。
目次
- 「猫も杓子も」の意味とは?
- 「猫も杓子も」の類語
- 「猫も杓子も」の使い方
- 「猫も杓子も」の英語
- 「猫も杓子も美人」の意味
「猫も杓子も」の意味とは?
驚くことに、この言葉が意味するところは、「猫」にも「杓子」にも、全く関係しない「誰もみんな」「誰も彼も」「何もかも」さらには、「何もかも、全てまとめていっしょにする」ということも表していて、要は、「みんな」「全員」ということが、意味づけのポイントとなる言葉です。
- 「猫も杓子も」の読み方
- 「猫も杓子も」の語源 1
- 「猫も杓子も」の語源2
- 「猫も杓子も」の語源 3
「猫も杓子も」の読み方
「ねこもしゃくしも」と読みます。
杓子(しゃくし)が、耳慣れない言葉ですが、ご飯を盛ったり、お味噌汁をすくったりする、頭部が丸くて皿のようになっていたり、丸くくぼんで、汁物をすくえるようになっていたりする、柄のついた台所用道具だと言われれば、いつも目にしている調理用の道具です。
その形や材質から、木じゃくし、玉じゃくしなどと、呼ばれています。
「お玉」や「しゃもじ」のことだと言えば、「なあんだ」と、すぐに納得がいくはずです。
「猫も杓子も」の語源 1
1668年(寛文8年)に出された一休和尚の『一休咄』の中に「生まれては、死ぬるなりけりおしなべて、釈迦も達磨も猫も杓子も」という一節があります。
この草双紙の言葉から「猫も杓子も」という言葉が、それ以前から、もしくはこの時あたりから使われ始めた言葉であることもわかります。
ところで、この言葉は、仏教で言う、ある種の悟りを説いた言葉です。
私達は、一度、生を受けて、この世に生まれたからには、必ず、死ななければならないという業をもつことになります。
それは、たとえ、悟りをひらいたお釈迦様であろうと、悟りを説く達磨大師であろうと、そこいらで自由奔放に生きている猫だろうと、杓子のような、どこにでもころがっている、なんでもないものまでも、みな平等にふりかかってくる業です。
簡単に言えば、誰でもみんな、やがては、死ぬということです。
だから、「みんな。すべて。だれもかれも。」といった意味が生まれ、その意味合いで使われるのです。
なお、杓子が出てくるのには、特に、訳はなく、単なる語呂合わせ的なことからだろうと思われます。
このように意味の派生した先は分かりましたが、語源とされる説の方は、いくつかに分かれています。
まずは、「神も仏も」同じ業をもつ意味から、神主のすぐ下の地位に「禰宜(ネギ)」という位がありますが、この禰宜の子孫のことを「禰子(ネコ)」と言います。
これに、お釈迦様の弟子の僧侶であることを表す「釈子(シャクシ)」という言葉が加わって「禰子も釈子も(ネコモシャクシモ)」と言っていたのが、変化してできたという説。
次に、女子を意味する「めこ」が(猫)に通じ、子どもを意味する「弱子(ジャクシ)」が「杓子」に通じて、「女子(メコ)も弱子(子ども)ジャクシも」と言っていたのが、変化してできてきたとする説。
さらに、寝ている子を意味する「寝子(ネコ)」(猫)と赤ん坊を意味する「赤子(セキシ)」とで、「寝子も赤子も」が、変化してできたとする説。
「猫も杓子も」の語源2
または、「杓子」は、しゃもじのことで、主婦が使うものであるから、主婦を表していて、猫も登場することから、「主婦も家族もみんな総出で」でという意味から出た言葉が変化してできたとする説。
それに加えて、猫としゃもじは、どこにでもいる動物と、どの家にでもある道具の組み合わせの上に、毎日使うありふれた道具であることから「ありふれたもの」という意味の言葉が変化してできたとする説が、あります。
こうして見てくると、どの説明も一長一短ありそうですし、後付けの感が強くします。
いかにも後付けらしい説として、次のような説もあります。
「猫も杓子も」の語源 3
「女子(メコ)も赤子(セキシ)も」とあるのを「メコモシャクシモ」と読み違えたことからできたとする説。
ここまでくると、まさに言った者勝ちのようです。
そうした意味では、一休和尚の説話には、妙に説得力がありますが、本当の語源は、いずれなのかは、はっきりしません。
いずれにせよ、猫と杓子との組み合わせには、何の因果もなく、単なる語呂合わせであったようです。
風と桶屋のようには、「なるほど」とうなずけるような必然的なわけがなく、うまく結びつけることができませんでした。
単に、どこにでもあるものの中でも、語呂のよいものが代表として取り上げられただけのようです。
「猫も杓子も」の類語
「誰も彼も」「みんな」といったことを表す言い回しは、この他にも多く見られます。
次に挙げている他にも「皆が皆」「あの人もこの人も」「ひとり残らず」といった言葉が、同じような意味で、使われています。
- 「そろいもそろって」【そろいもそろって】
- 「どいつもこいつも」【どいつもこいつも】
- 「右も左も」【みぎもひだりも】
「そろいもそろって」【そろいもそろって】
似たような者が、集まっていることに対して、あきれている気持ちが含まれた、どちらかと言えば悪い意味、イメージで使われる言葉です。
「文化祭のステージを造るメンバーを募ったところ、「そろいもそろって」鈍くさいやつばっかり集まってきて、先が思いやられるよ。」
「どいつもこいつも」【どいつもこいつも】
「だれもかれも」や「どの人もこの人も」といった意味を、ぞんざいな言い方にした言葉ですので、「そろいもそろって」に似通った所がある言葉でもあります。
「Aさんだけが間違えているのかと思っていたら、「そろいもそろって」みんな同じ所を間違えているとは、どういうことですか。きちんと、説明してください」
「右も左も」【みぎもひだりも】
普通、「右も左も」ときたら、「分からない」が対句としてくっついてきます。
地理的に不案内であることやその地にうとく、土地勘がないことを表します。
また、判断が付かない、分別がつかないといった状態を表す言葉でもあります。
さらに、「見る」を付け加えて、周りが同じ様子であることを表すこともあります。
「調子にのって、車を飛ばしてきたのはよいけれど、この先、どっちへ行けばよいのか、右も左も分からない状態で、途方に暮れてしまいました」
「演歌歌手Sのコンサートに言ったのだけど、右を見ても左を見ても、ど派手な服装のおばさんばっかりで、がっかりでした」
「猫も杓子も」の使い方
「だれもかれも」「みんな」といった意味合いで使う言葉ですので、意外と使いやすく、うまく使いこなせると、大人を感じさせてくれる言葉です。
- 「猫も杓子も」の例文1
- 「猫も杓子も」の例文 2
「猫も杓子も」の例文1
「最近、食事に行っても、すぐには食べられないね」
「そうそう、猫も杓子もインスタ映えねらいの撮影会だもんね」
「ところで、あなたは、インスタグラムって、やってる」
「そんな面倒なことは、もちろんパス」
「猫も杓子も」の例文 2
「最近のテレビって、つまんなくない」
「そうそう。猫も杓子も雛段バラエティーばっかりでさ」
「おまけに、お決まりのように、猫も杓子も芸人オンパレードだもんね」
「見る気、しないよねえ」
「猫も杓子も」の英語
英語訳は、この言葉の意味を、見事に言い当てている、という印象を受けるほど、ストレートな表現です。
ただし、“every body”「誰も(みんな)。皆さん」は、あまりにもそのまま過ぎて、そっけない感じがします。
かと言って“anybody and everybody”とすると、「だれでも。だれもかれも」と、集団が限りなく大きくなって、自分と言う個が、その中に、埋没してしまって、見えなくなってしまっています。
そうした欠点を全て解消したような英訳が“all the world and his wife”です。
「世界の人。世間。世の中。全人類」と、世界中、全ての人を網羅していることが表された上に、再確認するように“all”が付けられています。
そして、「猫も杓子も」もみんな参加する証拠に“his wife”奥さんまでも出かけるのです。
実に、名英訳ではありませんか。
「猫も杓子も美人」の意味
限りなく猫を愛する作家、村山由佳さんが「ネコメンタリー」として、17歳の猫「もみじ」を中心とした、猫の何気ない仕草を映像に撮ったものをウェブ上に公開しているものをいいます。
中でも、NHKとのコラボで創り上げた「ネコメンタリー猫も杓子も」は、余命わずかの老猫と村山さんとの最後の生活をドキュメントではない、ネコメンタリーで描いた感動の作品です。
筆者の名前も「村山由佳(時々もみじ)」とあって、村山さんが愛猫もみじにかける愛情には、胸に迫るものがあります。
その他にも「毛布(モフモフ)大好きもみじさん」と、毛布とたわむれるもみじのなにげない仕草を、ファインダーを通して伝わってくる、愛情いっぱいの村山さんの目でとらえた瞬間、瞬間のナイスイショットを集めた映像もあります。
極めつけは、出演…村山由佳、朗読…上野樹里で作り上げられたDVD「猫を愛する作家が綴る猫をめぐる物語」です。
作品は、軽井沢でのもみじとの何気ない日常を、書きおろしのエッセイの朗読をバックにして、美しい映像と共に、村山さんともみじとの心の交流を描く60分の映像ストーリー。
猫が好きな人はもちろんのこと、あまり好きでない人も、この映像を見たら、きっと猫が好きになります。
その他にも、鍋猫や昼寝をする猫、塀の上を渡る猫など、猫好きには、文字通り、垂涎の映像が、次々に現れてきます。
これはもう、猫も杓子も、実際に見てみるしかない映像集です。
猫も杓子もと、あまり確たる根拠もないままに、引き出された猫も、ある面では、災難です。
「猫の手も借りたい」「猫の額ほどの庭」「猫に小判」などと、やたら引き出されては、さしたる意味もなく、第一、猫でなければならない理由が見当たりません。
とはいえ、暖かい日差しが差し込む窓辺で、うたた寝をしている猫を見ていると、そんな手でもないよりは、ましかという気持ちが、借りる気を起こすのでしょう。
それにしても、猫も杓子も、いつもスマホを握りしめている、妙な社会になりました。