「鵜の真似する烏」の意味とは?読み方、類語や使い方、英語や対義語を紹介!
「烏合の衆」を始めとして、「烏」という文字を折り込んだ言葉を、目にすることが、あります。
例えば、「烏の行水」「鷺を烏と言いくるめる」などといった言葉です。
「髪は、烏の濡れ羽色」と言えば、真っ黒な髪の中に、青みを含んでいる、つややかで、十分に保湿された、きらめくように美しい髪のことをさします。
烏は、身近な人里に住み、隙を見ては、いろんなものを咥えていったり、いたずらをしたりして、人間社会と深く関わりあって、生活していますので、その生態から、多くの言葉が生まれたのだろうと思われます。
目次
- 「鵜の真似する烏」の意味とは?
- 「鵜の真似する烏」の類語
- 「鵜の真似する烏」の使い方
- 「鵜の真似する烏」の英語
- 「鵜の真似する烏」の対義語
「鵜の真似する烏」の意味とは?
「鵜の真似する烏」は、鵜と烏は、どちらも真っ黒な色をしているところが、よく似ています。
だからといって、烏が、鵜の真似をして、水中に潜って魚を捕ろうとしたら、潜水に関する能力は、全く持ち合わせていないことから、大変な結果を招くことになることは、分かりきったことです。
これらのことから、自分がもっている能力や知識のことは考えずに、人の真似をして、失敗することを意味している言葉です。
- 「鵜の真似する烏」の語源
- 「鵜の真似する烏」の読み方
「鵜の真似する烏」の語源
鵜も烏も、体全体が真っ黒な色をした鳥ですので、よく似ています。
もちろん、首の長さや体の大きさは違いますが、色は、そっくりです。
この鵜は、水に潜って、鮎などの魚を捕ることを得意としています。
一方、烏の方は、行水は上手ですが、泳ぎは苦手で、まして水に潜ることはできません。
ある日、そんな烏が、水に潜って魚を取っている鵜の姿を見て、あまりのうまさに、驚かされました。
そこで、まねることが上手な烏は、早速、鵜の真似をして、魚を取ることに挑戦しますが、当然のごとくうまくいかずに、とうとう最後には、川の水をたらふく飲んで、溺れてしまう、という寓話などから、生まれたことわざのようです。
しかし、烏は、鳥の中でも、特に、頭がよいとされていますので、実際に、鵜のように、見よう見まねで、魚取りに挑戦している烏を、見た人が実際にいるのかもしれません。
何気なく見かけた、水の中に頭を突っ込んでいる烏の様子が、鵜飼いの鵜の様子を連想させて、(鵜を真似る烏)という語句がうまれてきたのかもしれません。
ことわざの主旨は、このように、自分の力も考えないで、後先のことも考えずに、上手な人の真似をすると、結果的には、失敗をすることにつながってしまうという警告を含んだ言葉です。
「鵜の真似する烏」の読み方
「ウノマネスルカラス」と、書かれている通りに、そのまま読みます。
国語の辞書には「鵜の真似をする烏」(ウノマネヲスルカラス)と、「を」が入った形で表記されています。
また、「烏が鵜の真似」(カラスがウノマネ)と、主語が入れ替わって、表記されている場合もあります。
「鵜の真似する烏」の類語
鵜が登場することわざには、よく目にする「鵜の目、鷹の目」「鵜呑みにする」などが、あります。
鵜は、古くから、主に魚取りの道具的な扱いで、活用されていましたので、獲物を狙う鋭い眼光や餌を食べる様子など、当時の人達は、ごく身近で見たり、感じたりしていたので、ことわざにも多く登場するようです。
しかし、「鵜の真似する烏」の意味に類するようなことわざは、あまり多くないので、なるべく近いと思われるものを記載しています。
- 「雁が飛べば石亀も地団駄」【かりがとべばいしがめもじだんだ】
- 「鳥なき里の蝙蝠」【とりなきさとのこうもり】
- 「鯉が踊れば泥鰌も踊る」【こいがおどればどじょうもおどる】
「雁が飛べば石亀も地団駄」【かりがとべばいしがめもじだんだ】
庭の池で一緒に過ごしていた雁が、空高く飛び去って行くのを見て、石亀が、自分も飛ぼうとして、あれこれ動き回るけれど、一向に飛び立てない、どうしようもない悔しさに、地面を激しく踏みつけたり、身をよじったりして、行きどころのない怒りを爆発させていますが、それは、飛びという能力が備わっていないから、仕方のないことで、さんざん悔しがっても、どうしようもないことを表しています。
そこから、自分の能力や立場、分相応のあり方などを忘れて、やたらに人のことをうらやましがることの愚かさに気付かせ、本来の自分のあり方を諭すことわざです。
「彼が、Yさんが、今回の新薬開発の研究チームの一員に入ったことに、同期の入社だけに、どうしても納得がいかないようで、若手を集めては、飲んで回っているみたいだけど、度が過ぎると(鵜が飛べば石亀も地団駄)の亀になってしまうぞ」
「鳥なき里の蝙蝠」【とりなきさとのこうもり】
空を飛び回る鳥のいない土地では、唯一、空中を飛び回れるのは、蝙蝠だけです。
たいしたものだと、里の動物や人々も、空中を自由自在に飛び回る蝙蝠を見上げます。
つまり、空を飛ぶ生き物のことは、誰も知らないわけです。
知っている人は、ただの一人もいないのです。
だから、蝙蝠は、威張って、空中を飛べるすばらしさや、鳥の優れていることなどを、物知り顔で、語ることができます。
転じて、その分野に本当に詳しい人や、優れた知識や能力を持った人達がいないところでは、あたかもその分野の専門家のように振る舞い、偉そうに、威張っている人のことを意味しています。
「Kさんは、社の新人が集まった席では、IT関連の用語をやたらと使って、その道のプロを気取っているだけではなく、ITの申し子みたいなことも匂わせているけれど、(鳥なき里の蝙蝠)にならなきゃいいがと、かえって心配になってくるよ」
「鯉が踊れば泥鰌も踊る」【こいがおどればどじょうもおどる】
大きさや色合いといい、魚の形もさることながら、ゆったりと泳ぐその様子は、淡水魚の中で、さすがに王様と呼ばれるのにふさわしい、品格と形とを備えた高級魚です。
そんな鯉が、楽しそうに踊る姿を見て、口の周りには無精ひげを蓄え、ぬるぬるした感触の肌をした、見るからに風采の上がらない泥鰌が、まねて踊りだす様を表した、たとえ咄です。
当然のことながら、とうてい同じには、なるはずもなく、優雅さや動きの違いは、歴然としています。
分をわきまえずに、分不相応な他人の真似をすることを意味する言葉です。
これが行き過ぎると、(鵜の真似する烏)となって、「水に溺れる」へと、転落していくことになります。
「Tくんのプレゼンは、オリジナリ性の高さを、いやに強くアピールするけれども、見せてもらう限りにおいては、Sくんの提案と、特に、コンセプトの部分などに、違いを感じなられないのだよね」
自分の見方が悪いのかなあ。
いずれにせよ、(鯉が踊れば泥鰌も踊る)にはならないように、キーワードとなる言葉について、細かなパーツとなる重要語句との関係を中心に、見直してください。
「鵜の真似する烏」の使い方
ロッカールームに引き上げるなり監督が
「次の試合では、フォーメーションを変えるぞ」と、言い始めました。
サッカーの試合に負けると、いつも何か、リアクションをおこすのが、例のクセです。
「そんな、急には変更委できませんよ。第一、今のメンバーで、ポジションはどう変えるんですか。」と、キャプテンが、反論します。
「ツートップ。ツートップ。今や、世界はツートップの時代だ」と、興奮気味の監督。とその時、マネジャーが「そんなに、簡単に流れに乗っかっても、どうせ(鵜の真似する烏)になるだけですよ。
水に溺れて、チームはバラバラですよ」と、見事な一言。
ややあって、地鳴りのようにおきた拍手と怒号は、新たなパワーをこのチームにもたらしたのです。
- 「鵜の真似する烏」の例文1
- 「鵜の真似する烏」の例文2
「鵜の真似する烏」の例文1
「今回の大型プロジェクトにGくんが、一員として加わっているけれども、彼の技量で、居並ぶエンジニア相手に、プレゼンはともかくも、提案自体を構成することができるのかな。
ひいき目に見ても、まさに(鵜の真似する烏)の状態だね」
「鵜の真似する烏」の例文2
「いくら、他社との共同入札の場での、我が社の取り組みに関する説明だからと言っても、そんなに専門用語ばかりを並べ立てて、格調高く、威厳を演出しなくても、十分に主旨は伝わると思うよ。
それよりも、やたら専門用語を並べることで(鵜の真似する烏)になってしまって、質問時に、墓穴でも掘ったら、元も子もない悲惨な状態になることを心配するね」
「鵜の真似する烏」の英語
直訳すると“To crow which the cormorant imitates”ですが、「鵜の真似をする烏は水に溺る」とした場合の英訳は
- “People ruin themselves by trying to ape their betters.”
- “The jay is unmeet for a fiddle.”
となっていて、“crow”も“cormorant”も登場しません。
「鵜の真似する烏」の対義語
分不相応な背伸びをして失敗をすることに対する言葉ですので、分相応を意味することわざが、対義に当たると考え、その例を記載しました。
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」
海岸でよく見ていると、両方のはさみを器用に使って、蟹が穴を掘りながら、砂地の中に隠れていく様子を観察することができます。
それは、とても器用で、体が隠れてしまうころには、掘り出す砂だけが、ぼこっと穴から、おもしろいように現れてきます。
この時に、自分の体の大きさに合わせて、大きくもなく、小さくもなく、ちょうど身の丈にあった穴を掘ります。
そのことから、自分の力量や身の丈に応じた、見栄やはったりのない言動をすることを意味します。
「鵜の真似する烏」のことわざには、「鵜の真似をする烏(水に溺れる)」とか「鵜の真似をする烏(は大水を飲む)」という表記になったものもあります。
この方が、意味ははっきりしますが、かなり直接的なことわざになってきます。
烏は、頭のよい鳥ですが、羽の色から、嫌われる存在でもあります。
しかし、よく物事を観察していて、同じ行動をすることができることは、よく知られている事です。
車のタイヤにひかせて、固い胡桃の殻を割ったり、盗んだ他の鳥の卵を、空中から落として、割って食べたりと、感心させられるほど、知恵を働かせています。
そう考えると、意外と、鵜が魚をつかまえる方法と変わらないような仕草をしているところを、見た人がいるのではないでしょうか。
でないと実際に目の前で見てできた言葉であろう「鵜の目」や「鵜呑み」との、整合性がとれないようです。
背伸びをする、偉そうぶるのは、人間の弱さの表れですが、正直な姿でもあります。
烏の知恵に負けないように、蟹の心で生きていくのも大切です。