「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の意味とは?読み方や使い方を紹介!
こんな言葉を聞いた事は無いでしょうか。
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」
言葉としても長く、独特のリズム感も有り、非常に印象深く、また記憶には残りやすく感じるものの、実際にこれがどういう意味の言葉なのかという点に関しては、よく知らないという方も多いかもしれません。
今回はこの「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」という言葉について、いくつかの文節に分けながら解説していきたいと思います。
目次
- 「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の意味とは?
- それぞれの花と位置関係
- もうひとつの解釈
- 美しさを表す言葉
- 醜さを表す言葉
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の意味とは?
芍薬も牡丹も非常に美しい花であり、また百合の花も清楚な美しさを持つ花です。
この言葉は、美人の姿や立ち居振る舞いを花に見立てて表現した言葉で、美しい女性を形容する賛辞のひとつとして使われます。
日本語にはこのように、人を自然などの美しいものに例えたり、逆に生き物や自然の風景を人に見立てる、擬人化の表現が多数存在します。
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」というこの表現も、比喩のひとつの形であると言えるでしょう。
ですが、幾つかの疑問が残ります。
数多く存在する花の中から、なぜこの三つが選ばれたのでしょうか。
日本の固有種である花に限定しても、美しい花は他にも存在するはずです。
また、「立つ」「座る」「歩く」と言った動詞それぞれに別々の花が割り当てられているのには、どういった理由があるのでしょうか。
それについても後ほど、解説していきたいと思います。
- 「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の読み方
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の読み方
「たてば・しゃくやく」「すわれば・ぼたん」「あるく・すがた・は・ゆり・の・はな」と三つの文に分けて読みます。
読み方自体は決して難しくないのですが、どこからどこまでがひとつの文節であるか、意味がどこで区切れるのかがやや解りにくい部分もあります。
ここでは主体が三種類の花ですから、そこで区切れるのだと判別するのが正しい形となります。
それぞれの花と位置関係
この言葉の中には「芍薬」「牡丹」「百合」と、三つの美しい花が登場しています。
ですが、花の名前に付随している動詞は「立つ」「座る」「歩く」と、それぞれ全く別のものが指定されています。
もちろん、これにはきちんとした理由が存在します。
ここではそれぞれの花の特色を踏まえながら、なぜこれらの動詞があてられたのかを解説していきたいと思います。
- 「立てば芍薬」
- 「座れば牡丹」
- 「歩く姿は百合の花」
「立てば芍薬」
芍薬(しゃくやく)は高さが約60cmほどの植物で、非常に美しい花を咲かせます。
その美しさは、後述する牡丹が「花王」と呼ばれるのに対し、それに次ぐ美しさという意味合いで、花の宰相「花相」と呼ばれます。
すらりと伸びた茎の先端に華麗な花が、天の方向、つまり上を向いて咲くのが特徴であるため、この花を最も美しく見ることのできる角度は、高い位置から見下ろす、つまり「立った状態」であると考えられています。
「立てば芍薬」という言葉の中には、芍薬が最も美しく見える、見る側の姿勢という意味合いが込められているのです。
「座れば牡丹」
牡丹(ぼたん)は「百花王」「花神」「富貴花」など、様々な別名が存在するほど、日本人に愛され続けてきた花です。
芍薬と非常に似た花では有りますが、牡丹は枝分かれした横向きの花をつけるため、最も美しく見えるのは、横から低い位置で見る姿勢、つまり「座った」状態です。
これもまた、牡丹を最も美しく見ることのできる位置関係を示しています。
「歩く姿は百合の花」
百合(ゆり)は日本だけでなく、アジアの北半球側やヨーロッパ、北アメリカなど広く分布しており、世界中で愛される美しい花です。
高さは種類によって様々ですが、真っ直ぐに伸びた先端に美しい花が咲き、風を受けてに揺れる様は、特に美しいとされてきました。
そのため、立ってじっくりと眺めるよりも、歩きながら風にそよいでいる様子を愛でるのが、百合の花の美しさを堪能する最も良い見方であるとされています。
そのため「歩く」という単語を結び付けられ、美しさの形容詞として用いられているのです。
もうひとつの解釈
ここまでの解説でお分かりになるかと思いますが、「立つ」「座る」「歩く」というそれぞれの動詞は、その花を最も美しく見ることのできる「姿勢」を表しています。
こういった表現によって女性を、「どのような姿勢から見ても実に美しい」と評している訳です。
ですが、これらの動詞をもっとシンプルに考える、もうひとつの解釈の仕方もあります。
人を花に例えるのではなく、花を人に例える、という表現です。
芍薬が凛と咲く姿が、まるで美しい女性が立っているように見える。
牡丹が鮮やかに咲く姿が、まるで美しい女性が座っているように見える。
百合が風にそよいでいる姿が、まるで美しい女性が歩いているように見える。
この言葉をこういった意味として見る解釈も存在しています。
ひとつの言葉に対して、それがどう言った意味を持つのかというのは、現在でも様々な捉え方や解釈として、諸説あるのです。
美しさを表す言葉
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」という言葉は、美しい女性を花に見立てた比喩表現としての言い回しです。
花は日本だけでなく、世界中で美の象徴とされ、美しいものを例える言葉として広く定着しています。
ここでは日本語の中から、美しい女性を花に例えるなどといった、美に関する比喩表現をご紹介したいと思います。
- 「物言う花」【ものいうはな】
- 「大和撫子」【やまとなでしこ】
「物言う花」【ものいうはな】
これは、物の意味を理解し、話をする花という意味の言葉で、美しい女性をもはや「花そのもの」と見ている表現です。
「解語の花」とも言います。
この言葉と対になる形として、草木の花を指す場合、「物言わぬ花」という表現を使うこともあります。
美しい存在の間には、もはや種別の垣根はなく、ただただ圧倒的に美しいという、美的感覚が現れた言葉です。
「大和撫子」【やまとなでしこ】
日本人女性を指す、昔の呼称であり、ひらがなで「やまとなでしこ」と書くのが本来の形です。
植物の「撫子(なでしこ)」が語源ですが、この花の名が「子を撫でる」という意味と通じることや、可愛らしい花の姿形から、和歌などで子供や女性に例えられる例が多数存在します。
ちなみに植物の撫子の正式名はヤマトナデシコではなく、「カワラナデシコ」が正しいとされています。
醜さを表す言葉
ここまで、女性の美しさを花に例える表現をご紹介しましたが、ではその反対に、美しくない、醜い女性に対する呼び方には、一体どのようなものがあるのでしょうか。
少数ではありますが、ご紹介していきたいと思います。
- 「おかめ」
- 「醜女」
「おかめ」
古くから存在する日本の面のひとつに「おかめ」が存在します。
丸顔で、丸くて低い鼻を持ち、髪は垂れ、頬が丸く張り出したような顔つきをした女性のお面です。
「お亀」と表記したり、「阿多福(おたふく)」とも呼ばれ、この面に似た顔つきの女性も、同様の呼び名で形容されます。
もちろん、それははっきり言えば侮辱の意味を込めた言葉で、女性に対してむやみに投げかけて良い言葉ではないでしょう。
能などに使われる女面には、可憐な娘を表す「小面(こおもて)」や、女神の役を表す「増女(ぞうおんな)」といった美しい面もあり、確かにそれらと比べると随分ユーモラスな顔つきの面ではあります。
ですが、この「おかめ」は、元々日本神話に登場する、「アメノウズメ」という日本最古の踊り子を表したものであるともされています。
また、平安時代には顔がふっくらとした下膨れの顔こそが美人の条件であるとされていたことがあり、かつてはこういった顔が美しいとされていたことがあったのかもしれません。
美人の条件というのは不思議なことに、時代によって移り変わるもののようです。
「醜女」
これは「しこめ」と読み、文字通り容貌が醜い女性を指す言葉です。
「ぶおんな」や「しゅうじょ」とも読みます。
先に醜い女性の表現として提示した「おかめ」と比べると、より直接的な描写であると言ってよいでしょう。
この言葉も「おかめ」の面同様、日本神話に関係があり、黄泉の国に暮らしているという女の鬼、「ヨモツシコメ」が語源です。
ヨモツシコメは恐ろしい顔を持つだけではなく、一飛びで千里(約4000km)を走る足を持つ、まさしく怪物です。
また元が鬼ですから、外見だけではなく、内面に関しても凶暴で恐ろしいという意味合いも持ちます。
当然、女性に対して使う事は大変失礼にあたりますので、不用意に使わないことをおすすめします。
今回は、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」という言葉から、美しい女性を指す比喩表現や、日本人の美意識に関する話題をお届けしました。
花は誰が見ても大変美しいものです。
美しいものを表現するひとつの形として花が用いられるのは、人の感性として実に自然なことなのでしょう。
四季折々の花に目を向けながら、美しさについて考える。
そのような有意義な時間を過ごすのも、時には必要なことかもしれません。