「江戸の敵を長崎で撃つ」の意味とは?敵を撃ったのは誰?類語、反対語を紹介!
江戸の敵を長崎で討つ」ということわざを聞くと、「あれ、どうして江戸の敵が長崎のような遠い所にいるんだろう。」などと意外に思う人もいるかもしれませんね。
なぜ「長崎で」なのでしょうか。
目次
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の意味とは?
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の類語のことわざや四文字熟語
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の使い方
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の反対の意味によく似たことわざ・言い回し
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の英語
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の敵を討ったのは誰?
「江戸の敵を長崎で討つ」の意味とは?
江戸時代、今の東京である江戸の地で恨みたくなる仕打ちを受けたが、相手が油断した頃、遠く離れた長崎で恨みを晴らせたという故事から、意外な所や筋の違う点で仕返しすることのたとえに使われます。
また、恨みを買った人が、新規の相手から、過去に恨んだ人にとっては仕返しにあたることをされる、といったことのたとえにもなります。
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の読み方
「江戸の敵を長崎で討つ」の読み方
「敵」は「かたき」と読み、「えどのかたきをながさきでうつ」が正解です。
「討つ」は刀などで斬ることを指します。
江戸時代の有名な「敵討ち(かたきうち)」として、「赤穂浪士の吉良邸討ち入り」があります。
赤穂地区の武士が、生活の糧であった主君を亡くし遺恨をもっての脱藩・浪人化の末、仇の吉良義央以下を見事討ち取ったというお話です。
敵討ちをしやすくするために幕府がわざと吉良家を江戸郊外に移していたという噂があり、吉良邸の周辺の人と江戸っ子は、赤穂の脱藩士が主君との義のために敵討ちを決行するだろうと気にして、その決行を今か今かと期待し待っていたといいますから、「敵討ち」は江戸時代のきわめてメジャーな関心事といえます。
「江戸の敵を長崎で討つ」の類語のことわざや四文字熟語
「江戸の敵を長崎で撃つ」に似たことわざに、「江戸の仇を駿河で取る」と「江戸の敵を長崎が討つ」、「遠交近攻」があります。
- 「江戸の仇を駿河で取る」
- 「江戸の敵を長崎が討つ」
- 「江戸の敵を…」の後はどれが本当?「長崎『が』」が「長崎『で』」になったいきさつ
- 「遠交近攻」
「江戸の仇を駿河で取る」
江戸から駿河までは目と鼻の先の距離ですが、江戸まではるばる来ていた旅人が、江戸を出て気持ちが切り替わった頃合いを狙い、江戸で恨みを持った相手がバッサリ討ち取りに行く、という、江戸時代にはありがちな恨みの晴らされ方が、「江戸の仇を駿河で取る」ということわざの起源であるという話があります。
「江戸の敵を長崎で討つ」とはことわざの成立したいきさつが類似しています。
国名が違えばやり方がちょっと違ってきます。
「江戸の敵を長崎が討つ」
江戸時代の文政年間の、1819年、大阪から江戸は浅草にやってきた、一田正七郎という籠職人がいました。
大規模なからくり人形が作れるのが自慢で、今でも大人気の「三国志」の、大柄で力自慢の武将として知られていた関羽などの人形を作って興行しました。
次に、亀井斎という籠職人が官女や布袋などの七福神、酒呑童子の人形を見世物にしました。
しかし、大阪の一田という見世物師ほどの人気が集まりません。
元々江戸っ子だった亀井斎は激怒、江戸っ子たちも同調するようになり、興行人気が浅草で競い合われていました。
そんな中、長崎からやって来た、ギヤマン(ガラス)細工師が、それまではギヤマン細工といえば小さな細工しか見かけなかったことを盲点に感じて、籠細工師の人形ほど大きな見世物に憧れ、長年苦心してやっとギヤマン細工の灯籠の模型と、ビードロ細工のオランダ大船の模型とを完成させました。
機械仕掛けで動くからくりで、凝りに凝っていることに大砲の音をも真似て鳴らすこともできました。
これが、大人気となったのです。
大阪の一田正七郎の大規模な籠細工見世物の興行人気を軽々と凌ぎ、それを見ていた亀井斎はなんとなく溜飲を下げて、「江戸の敵を長崎が討つ」といったそうです。
「江戸の敵を…」の後はどれが本当?「長崎『が』」が「長崎『で』」になったいきさつ
一田正七郎と亀井斎たちの、江戸・浅草での見世物興行人気争いでは、実は、長崎出身者にお株を奪われただけ、という共通の被害が潜んでいます。
お互いに、どんどん人気の順位が下がってしまうからです。
つまり、一田も亀井も、長崎の特産品にしてやられてしまったわけです。
亀井周辺の江戸っ子たちもまた、同じ思いがされてきて、だんだん長崎出身者による敵討ちを喜べなくなりました。
それで、「江戸の敵を長崎が討つ」というまだまだ新しかった言い回しが江戸・浅草でひと通り流行って忘れられた頃になり、「『江戸の敵を長崎が討つ』だったね」という、過去の事象を含んだ言い回しを払拭しようとしたのです。
そのため、敵討ちのような出来事があった場所を、江戸ではなかったようにしたいばかりにたった一文字だけ、「長崎で」と変えることで、あたかも違う場所で違う出来事があったかのように、「江戸の敵を長崎で討つ」という言葉をせっせと使用して広めました。
そんなふうにして、再度江戸っ子に流行らせ、現代にまで至ることわざとして定着化させたのだ、という話があります。
「遠交近攻」
「遠交近攻」は「えんこうきんこう」と読み、「交」と「攻」は正反対の意味をもっている言葉です。
「遠きと交わり、近きを攻める」という意味になります。
「三十六計逃げるにしかず」ということわざにも登場する「兵法三十六計」の、第二十三計の戦術です。
遠い所に住む人と手を結び、近くの敵を攻撃した場合、同盟者が遠くて獲物を分け合うトラブルが格段に少ないため、結局自分の勢力が拡大しやすくなる、といった内容です。
長崎という地名は、江戸の人にとっては出島があって珍しく、ご禁制スレスレながらも模型展示なのでギリギリ見せてもOK、という過激な見世物興行が期待できる、斬新なものだったのです。
あまり現実感のない遠さと見世物じたいの珍奇さで、大砲のような重々しいイメージのものが気軽に流行りました。
そして、それは長崎よりぐっと近く、『天下の台所』として名高いがため、江戸っ子にとってそもそも一種の強敵だった大阪人の見世物興行を軽々凌いでしまったのでした。
つまり、より遠い方の長崎と、長崎よりは近い大阪の出し物を、どちらも楽しめたうえ、江戸より大阪がウケていた事象にムカムカしていた気持ちを一掃できた江戸っ子が最も得をしたのです。
「江戸の敵を長崎で討つ」の使い方
一見関係のない場所、あるいは一見因果関係が明瞭でない筋や人に関連して、恨みを晴らす行為をする、という点がポイントになります。
恨みを晴らしているかのようなことがあったが、その中の要素のどこかに意外さを感じたら、ぜひ使ってみましょう。
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の例文1
- 「江戸の敵を長崎で討つ」の例文2
「江戸の敵を長崎で討つ」の例文1
「父親があいつに借金をさせられたあの子が、長じてあいつに金でビンタを喰らわすだなんて、『江戸の敵を長崎で討つ』ということか」
当の父親ばかりを警戒してしまいそうですが、無関心に放置していた子から仕返しをされる、といった場合にも使えます。
「江戸の敵を長崎で討つ」の例文2
「あの上司がピリリと彼女の提案を破って解雇だなんて、まさに『江戸の敵を長崎で討つ』だな、プライベートで手ひどく振られたからってさ。」
仕事とプライベートという筋の違う話も、仕事中の男性がいっしょくたにしてしまう…そんな、プライベートでの恋愛のもつれなどの恨みを、思いがけず仕事に反映させ、仕返ししたつもりになる、という場合にも使われます。
「江戸の敵を長崎で討つ」の反対の意味によく似たことわざ・言い回し
「江戸の敵を長崎で討つ」の反対の意味に似たことわざや言い回しには、いったいどんなものがあるでしょうか。
- 「目には目を、歯には歯を」
- 「一騎打ち」
- 「正々堂々」
「目には目を、歯には歯を」
「目には目を、歯には歯を」は、自分が被害を蒙ったら、まったく同じ方法で仕返しをする、という意味のことわざです。
昔、バビロン第一王朝のハムラビ王が発布したという「ハムラビ法典」の、195,196,197、205条等に、「目には目を、歯には歯を」と関連した記載があるとされています。
ちなみに、加害者が被害者の目を傷つけた場合、加害者の目を傷つけ、もし加害者が被害者の歯を損傷したら、加害者の歯を傷つける、とする「目には目を、歯には歯を」という昔の法律のストレートさは、同等の身分同士の者でだけ適用されたといいます。
そのため、奴隷が自由民の頬を殴ると、奴隷の耳が切り取られた、という「江戸の敵を長崎で討つ」と同じ、筋の違う復讐法も存在しました。
「一騎打ち」
名乗りを挙げて、一武将同士が、おおむね同じ条件下で戦うやり方を「一騎打ち」といったことから、転じて、単に同じシャンルについて、1対1で戦い切ることを指す言い回しです。
現代で「一騎打ち」という戦法がないことから、政局での争いなどを表現する言葉になっています。
「正々堂々」
「正々堂々」という四字熟語は、公正で姿の明らかな形での戦い方や言動のし方を指します。
まったく卑怯さがないことから、逆に延々対策を練られたり、その対策を実行されたりしやすい、つまり、「江戸の敵を長崎で討つ」のようなことをされやすいことになるといえます。
「江戸の敵を長崎で討つ」の英語
「江戸の敵を長崎で討つ」を英語で言う場合、次のようになります。
“Get one's revenge on somebody in a roundabout way.”(回り道で復讐しろ。)
“Get one's own back on somebody in a roundabout way.”(回り道で後ろをとれ。)
英訳だと、相手の迂廻路や畑違いのことは、相手のウイークポイントである、とよりシンプルに定義される感じがします。
「江戸の敵を長崎で討つ」の敵を討ったのは誰?
「江戸の敵を長崎で討つ」ということわざは、一見、同じ武士が江戸から長崎まで敵をつけ狙って、やっと油断したところを襲ったかのようなイメージに受け取られそうですよね。
しかしながら、江戸の恨みを晴らしたのは、結果的には、長崎から来た、大砲や機械仕掛けの見世物をする芸人でした。
このことわざがいいたいのは、執念深くつけ狙ってきわめて個人的に機会をうかがうことより、復讐の場所や印象、ときによってはその尖兵をも、軽く切り替えて、違う側面から切り込むべき、という、前向きで短期達成型の、明るい感じの戦略なのです。
兵法でいう「遠交近攻」の代表例といっても過言ではありませんね。
昔の恨みは、意外な時、意外な場所で晴らされる、というなんだか怨念深いことわざですが、多くの人と多くの場所で接する現代人にとって、細かなことに関して、常時一勝一敗が感ぜられかねないため、卑近に感じやすいことわざかもしれません。
理不尽なことにムカッときた時、軽く気持ちを切り替えて因果応報を待つための一助になりますね。