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「知らぬが仏」の意味とは?由来、類語や反対語を紹介!

「知らぬが仏」という言葉があります。

いったいどのように使われ、どのような由来をもつ言葉なのでしょうか。

知らぬが仏

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「知らぬが仏」の意味とは?由来、類語や反対語を紹介!>


目次

  • 「知らぬが仏」の意味とは?
  • 知らぬが仏について解説
  • 知らぬが仏の類語や言い換え
  • 知らぬが仏の例
  • 知らぬが仏に続く言葉


「知らぬが仏」の意味とは?

「知らぬが仏」とは、日本のことわざです。

知らなければ腹も立たないこと、転じて知らない方が良いことを指します。

また、本人だけが知らないで平然とした顔をしていることをののしるなどの時にも使われます。



知らぬが仏について解説

「知らぬが仏」とは、よく言われる言葉ではありますがその起源についてはあまり知られていません。

しかし、その読み方が示す通り、歴史のある古い言葉であることがうかがえます。

  • 読み方
  • 由来
  • 英語

読み方

「知らぬが仏」とは、「しらぬがほとけ」と読みます。

現代の口語では「知らぬ」「ぬ」を活用として使用することはあまりなくなりましたが、文体としては打ち消しの助動詞としてよく使われます。

ちなみに、打ち消しの助動詞「ぬ」は、完了の助動詞としても使われます。

例文の場合、「知らぬ。」という使い方です。

どちらも古文で使われていた活用方法になるため、使用すると雰囲気が古くなります。

由来

「知らぬが仏」は、「江戸いろはかるた」というかるたがもとになっています。

このかるたは江戸時代には遊ばれていたと言われ、かるたのカードにことわざを書いて、取り札として遊ぶものでした。

そのため、知らぬが仏以外にもさまざまなことわざをみることができます。

なお、江戸いろはかるたは現在にも受け継がれていますが、言葉の使い方の変化により過去の文章からリニューアルしていることも多いです。

英語

英語では、「知らぬが仏」を訳すとするなら“Ignorance is bliss”という言葉があります。

これは、無知は至福であるという意味になり、どちらかと言えば皮肉の意味合いが強い傾向があります。

なお、フランス語でも同じ無知は至福であるという言葉があり、“L'ignorance est le bonheur”と表記します。

反対語

「知らぬが仏」に完全に対になる対義語は存在しません。

あえて言うならば、「知は力なり」「知識は力なり」といった、知識があること、知識を得ることが良いこととする言葉が近くなります。

ストレートな言い方で、あまり庶民に浸透していたようには思えない言葉です。

知らぬが仏の類語や言い換え

過去、庶民とお上の差がはっきりと分かれていた時代には、庶民が知識を蓄え、知識層として育つことはあまり歓迎されることではありませんでした。

そのため、無知を推奨するような言葉が生まれ、それが広まったのです。

その理由からも、「知らぬが仏」の類語はたくさんあります。

  • 反対語
  • 人生字を識るは憂患の始め
  • 世間知らずの高枕
  • 聞くは気の毒、見るは目の毒
  • 触らぬ神に祟りなし
  • 見ぬが仏、聞かぬが花

人生字を識るは憂患の始め

人は字を覚え、学ぶことを始めると、人生というものを考え始めます。

それにより、生きるということが憂うつになる、悩みや疑問を抱いてしまうと言うことわざです。

「知らぬが仏」と大変似たことわざですが、こちらはどちらかといえば無学な人が学識高い人をあてこするのが正しい使い方です。

世間知らずの高枕

厳しい世の中の雰囲気や現実を知らないでいれば、枕を高くして安心して寝ていられるという意味です。

そもそも枕を高くして眠るとは、中国の古文が由来です。

過去、戦争時に不意の敵襲などに備え、地面に耳をつけて眠っていた大王も、不安がなければいつもの高い枕で眠れるということです。

世間のことに無頓着であればのんびりしていられるという揶揄とも取れます。

聞くは気の毒、見るは目の毒

聞く、見るとは、トータルで知ると言うことですから、「知らぬが仏」とほぼ同義語です。

江戸時代は語呂合わせがうまいことを洒脱と考え、言葉遊びが大変盛んだった時代です。

そのため、特に不要な語でも語感が良ければ後ろにくっつけたりされています。

聞くは気の毒、見るは目の毒も、聞く、気の毒、で終わらせることもできますが、その後に続く言葉がある方がリズムが良かったため採用されたのでしょう。

触らぬ神に祟りなし

「知らぬが仏」に対し、神という言葉が使われているのが触らぬ神に祟りなしです。

西洋と日本の神に対する考え方には大きな隔たりがあります。

西洋では宗教上、唯一神のことを指すため、神とは個別の存在でありたった一人しかいません。

しかし、日本における神とは八百万の神などと言われる多神教と言え、どちらかと言えば自然現象などを指している場合があります。

最も大きな自然現象と言えば、台風や干ばつ、飢饉や流行病などです。

そのため、この文例で言えば、余計なことをしなければ飢饉のような悪いことも起きないととらえることができます。

見ぬが仏、聞かぬが花

これは、「知らぬが仏」の別バージョンといえます。

ただし、「知らぬが仏」の場合は受動的な形で知らないことが多いのに対し、見ぬが仏、聞かぬが花の場合は自らの意思で知ることをやめている、積極的消極行動をとることを良しとする言葉です。

「知らぬが仏」のイメージは、安穏としてのほほんとした世間知らずのイメージですが、見ぬが仏聞かぬが花の場合はほぼ内容を知っているにも関わらず、その真相には踏み込まないで目を逸らしているイメージがあります。

「知らぬが仏」より、少しだけ不幸そうなイメージです。

同じようなことであれば、「知らぬが仏」で100パーセントの安心を得たいものです。



知らぬが仏の例

「知らぬが仏」の使い方は様々にあります。

最大のポイントは、知った後に残念な気持ちになる時に使うことです。

また、知らないことにより甚大な被害がないことも条件のひとつでしょう。

  • 浮気
  • 人事
  • 宝くじ
  • 家族
  • 未来
  • パートナーの過去
  • 自分と関りがあっても、優先順位の低いもの

浮気

「浮気」をされていたとしても、それを知らずに終わってしまえばそのまま生活を続行することができます。

特に、結婚生活の場において、なんなら浮気を知りたくなかったという配偶者はとても多いもの。

結婚生活は愛のみで構成されているわけではなく、生活や将来なども含みます。

感情でおいそれと捨てるにいきませんから、感情が揺らぐようなことはできるだけ知りたくないと思うのも当然なことです。

人事

希望していた「人事」が通らなかった時、それなのに自分と同程度、あるいは同程度と思っていた人物がそのポストに採用されたと知ったら、少なからず嫉妬の念を抱いてしまうものです。

これこそ知らぬが仏、知らなければ負の感情を持つこともありません。

しかし、自分だけが知らないで、周囲の人間が周りでささやく「知らぬが仏」は大変屈辱的なもの。

知らないことを貫き通すのであれば、他者からの言葉にも耳を貸さない決意が必要と言えます。

宝くじ

「宝くじ」を買う人は多いと思います。

これは、当たることを本当に望んでいるのではなく、夢を買うことを目的としていることが大半です。

しかし、たまたまお金がなかったり、欲しいものがあった時に、ついつい番号を確認してしまうことがあります。

その際、当選番号が全く見当はずれな番号なら良いのですが、番号がケタの違う番号で当選、あるいは僅差で当選などしていた場合は大変ショックで、残念な気持ちに支配されます。

知らなければ感じなかった気持ちですが、知ってしまえばやはり悔しく感じるもの。

できれば知りたくなかった、と思う気持ちこそ、「知らぬが仏」なのです。

家族

家族間でも、知らぬが仏の方が良かった…ということは案外多いものです。

特に、家庭は生活の場であり、金銭的な問題も大切です。

例えば子供が学生などの場合、親が家庭の金銭的な事情を打ち明けることはあまりありません。

それによって学業に支障が出たり、進路を狭めてしまったり、あるいは大幅に変えてしまうなどということがあるからです。

これは特に、資金繰りが悪い時に言えることです。

こどもは知らぬが仏として、のびのびと暮らしてくれればよいと親は考えるものです。

未来

正確な「未来」を知るということは、SFではありませんから現実的ではありません。

しかし、大変近い未来を噂や予想で知ることはできます。

例えば、会社が倒産しそうだという噂を聞きつけ、株価を調べてみたら急落しているという場合、絶望的な気持ちになるはずです。

株価が落ちれば会社は何か手を打つはずですし、そもそも一時的に社会現象から落ちただけかもしれません。

ひょっとしたら、明日には回復しているかもしれません。

しかし、知ってしまった以上絶望的な気持ちと焦りは感じるなと言われる方が無理です。

翌日に何事もなかった場合、その感情を感じ損と言えます。

そのため、未来に関しても知らぬが仏ということが言えるはずです。

パートナーの過去

知りたくないことと言えば、「パートナーの過去」ほど知りたくないものはありません。

特に、過去にほかにお付き合いしていたパートナーがいる場合、そのパートナーのことを知りたいという人は少数でしょう。

この件に関して言えば過去のことであり、現在に全く関係がありません。

そのため、知って嫉妬の気持ちを抱くだけ損であると言えますし、有益なことは何もないと言えます。

知らぬが仏という言葉に適した状況としては最たるものと言えるでしょう。

自分と関りがあっても、優先順位の低いもの

自分に関わることは、もちろん常にチェックしておくことが望ましいとされています。

しかし、自分のことで手いっぱいの時に、世界のことまで情報を頭に入れていたら処理能力が追い付きません。

例えば、仕事が忙しすぎて過労気味、睡眠時間も満足に取れていない時期に、自社サービスと多少関係のある海外企業が倒産した…というような話題を知る必要があるでしょうか。

そのような小さな情報は、自身の気持ちを不安にさせる効果しか産みません。

知らぬが仏で、まずは目の前のことに集中する方が得策と言えます。

知らぬが仏に続く言葉

江戸時代の人たちは、語呂合わせの妙を楽しむ癖があります。

そのため、もともとあったことわざに意味のある言葉をくっつけ、新たな言葉にしてしまうこともありました。

「知らぬが仏」も、もとからなかった言葉を後付けして楽しまれていたようです。

  • 知らぬが仏、言わぬが花
  • 知らぬが仏、知るが煩悩
  • 知らぬが仏、見ぬが極楽

知らぬが仏、言わぬが花

「知らぬが仏」に続き、言わないことを褒めたたえる言葉です。

知らないでいれば仏でいられる、そのためにはそれを知っている人も事実を言わないことが良いことであるという意味で使われます。

「知らぬが仏」の人は、自分に関りのあること、あるいは直接自分のことだったとしても、悪いことを知らないわけですからのんきに構えています。

それを見て忠告したくなったとしても、その気持ちを壊さないようにグッとこらえることこそ良いことである、という意味です。

確かに、渦中にいる人がなにも知らない場合いろいろくちばしを挟みたくなりますが、その精神の安定を壊してしまうのも避けるべきであるというのは理解できます。

知らぬが仏、知るが煩悩

言わぬが花と続いた場合は、「知らぬが仏」になっている人に対しての相手を戒める言葉になりました。

しかし、その後に「知るが煩悩」と続くのは、完全に当事者のことであり「知らぬが仏」の意味の重ね、重複と言えます。

「人生字を識るは憂患の始め」と同じく、知ったことにより煩悩、悩める気持ちが出てきてしまうと言う言葉で、意味としては全く同じ言葉が二つ重なっています。

しかし、この二つを通して口にしてみると、そのリズミカルできれいな語感に驚くはず。

このようにして、日本の語感センスが育っていったのですね。

知らぬが仏、見ぬが極楽

仏という言葉に対して、極楽という同じイメージを持ってきた言葉遊びです。

どちらも同じ意味の重ねなのですが、極楽という超積極的要素を加えているところがほかの言葉と違います。

「知らぬが仏」はその文脈により、揶揄であったり賞賛であったりに分かれる言葉ですが、見ぬが極楽と続けることにより知らないことをより推奨する言葉に変化します。

江戸時代、極楽という言葉は最上級の誉め言葉です。

この言葉を冠するほどに知りたくないものとはいったいなんなのでしょうね。

icon まとめ

現代で直接使うことは少なくなった「知らぬが仏」

しかし、類語や活用、後続する言葉などから、江戸時代の優れた語感センスを感じることができます。

また、知覚、聴覚を含め、知らないことについて推奨される文化も注目したいところです。

こういった言葉は庶民にこそ広まるもの。

であれば、無学、無知である自分たちを揶揄しながらも、そこそこ楽しくやっていた江戸の庶民の姿が浮かんできます。

現代社会でも、知らなければそのまま通り過ぎていくことは多いこと。

情報が氾濫する時代だからこそ、不要な情報はシャットアウトして「知らぬが仏」といきたいところですね。