「禅問答」とは?!意味や解説
「禅問答」は日常会話でも使われる言葉ですが、一体どの様な意味があるのでしょうか。
言葉の由来や具体例なども併せて紹介します。
目次
- 「禅問答」とは?
- 「禅問答」の概要
「禅問答」とは?
「禅問答」の意味は以下の2つがあります。
1つ目は、元々の意味で「禅宗の修行僧が悟りを開く為に師の僧と質疑応答すること」という意味です。
修行僧が宗教や思想、哲学的概念などに関して自分が疑問に思うことを師に問いかけて、師がそれに答えます。
2つ目は「意味が分りにくい会話」という意味です。
こちらは元々の意味が転じて使われているものですが、日常会話で使う時にはほぼこちらの意味がになります。
- 「禅問答」の読み方
- 「意味が分からりにくい会話」の由来
「禅問答」の読み方
「禅問答」の読み方は「ぜんもんどう」になります。
「問答」を「もんとう」と読み間違わない様にしましょう。
「意味が分からりにくい会話」の由来
「禅問答」の現代の意味は「意味が分かりにくい会話」ですが、これには由来があります。
「禅問答」は、感覚的な返答が多く、非常に非論理的であったり、抽象的な内容が多くなります。
普通に頭の中でイメージすることが難しいことから、分りにくいことを「禅問答の様だ」と皮肉の意味で使われる様になったのです。
「禅問答」の概要
「禅問答」の概要について紹介します。
- 正解がない
- 「そもさん」「せっぱ」を使う
正解がない
「禅問答」は現在で言う「質疑応答」「Q&A」ですが、答えに正解はありません。
つまり、「こう答えるべき」という基準がないやり取りなのです。
例えば「人は何故生まれたのか」など、哲学的な質問に関して、どこにも正解はなく、本人がどの様に解釈するのかが答えになります。
「そもさん」「せっぱ」を使う
「禅問答」で問いかける時には掛け声として「そもさん」と言い、「さあどうだ?」「答えてみよ」という意味があります。
これに対して答える時には「せっぱ」と言い、「望むところ」「答えます」という意味です。
仏教のシーンでこの言葉が出て来たら「禅問答」していると思いましょう。
「禅問答」は、元々は宗教的な言葉でしたが、現在では「意味が分からない会話」という意味で使われています。
あまりに抽象的で理屈が通じない会話に使いましょう。