「プロ根性」とは?意味や言い換え!例文と解釈
この「プロ根性」は、スポーツの世界でよく使われる言葉ですが、それ以外の世界でも見聞きすることがあります。
目次
- 「プロ根性」とは?
- 「プロ根性」を分解して解釈
- 「プロ根性」の表現の使い方
- 「プロ根性」を使った例文と意味を解釈
- 「プロ根性」の類語や類義語・言い換え
「プロ根性」とは?
「プロ根性」とは、「その道のプロとしての意識」を表現する言葉です。
ここで言うプロとは、その道を生業(食べていく為の手段)としているという意味になり、そうだからこその強い目的意識のことだと解釈してください。
例えば、建築物件において、急に追加の仕様が加わったとします。
それまでこなすと日程的に間に合いそうにないところを、職人たちの頑張りによって何とかしてしまったといったような使われ、それに対して「見上げたプロ根性だ」といったような使われ方になります。
- 「プロ根性」の読み方
「プロ根性」の読み方
「プロ根性」は、「ぷろこんじょう」と読んでください。
この言葉をよく見聞きするのはスポーツの世界で、野球の世界では、「あの選手は毎試合、早出、特打は当たり前といったプロ根性の持ち主だ」のような形で使われます。
早出や集合時間前に来ていることで、特打は志願してのバッティング練習のことです。
これを毎試合続けているその選手は、間違いなくプロ根性の持ち主だと言っていいでしょう。
「プロ根性」を分解して解釈
「プロ根性」を分解して、それぞれ詳しく解釈していきます。
この言葉は様々な世界で使われています。
- 「プロ」
- 「根性」
「プロ」
「プロフェッショナル」を略した言葉です。
本来の英語の“Professional”は、その道によって生計を立てている(職業にしている)ことの表現ですが、カタカナ語では、そうではない場合にも使うことがあります。
例を挙げると、金銭にはならないアマチュアの競技ながら、マスターレベルの人に対して、「これぞプロの技だ」などと使っています。
つまり、「その道に精通(熟練)している」という意味を込めて使っています。
「根性」
「根性」とは、その人間の性質と表せる言葉で、頑張りによって物事の解決を図れるかどうかのバロメーターのようなものだと考えると分かりやすいでしょう。
これがある言われる人は、そういった問題の解決の為の努力を惜しみません。
逆に無い人は、すぐに諦めてしまったり、最初から手をつけようとしないといった具合です。
この「プロ根性」のように使う場合、「○○としての意識の高さ(努力を惜しまない姿)」と解釈してください。
「プロ根性」の表現の使い方
「プロ根性」は、アイドルの世界でも使われる言葉です。
例として、歌っている最中にアクシデントによってマイクの音声が切れてしまった時に、その分声を張り上げて、少しでも観客に聞こえるように咄嗟に対応したといったような「プロ根性」が挙げられます。
その道のプロとして活躍している(生業にしている)のであれば、少なからずこのような根性はもっているものです。
「プロ根性」を使った例文と意味を解釈
「プロ根性」を使った例文と、その意味の解釈です。
プロはプロでも英語的な解釈で、単に職業にしているだけだと考えている人には、これが無いことも少なくありません。
- 「プロ根性」を使った例文1
- 「プロ根性」を使った例文2
「プロ根性」を使った例文1
「0-10での敗北とは… 少しくらいはプロ根性を見せて欲しかった」
プロスポーツにおいて、さすがに1点も取れずに敗北を喫してしまうようでは、プロ根性が無いと言われてしまっても仕方ないでしょう。
例え負けるとしても、1点や2点くらいは取る意地は見せて欲しいものです。
「プロ根性」を使った例文2
「徹夜でこなしたと言っていたが、これぞプロ根性だと感心した」
何も無理をすることがプロ根性ではありませんが、プロとして、徹夜してでもこなしたところは賞賛に値するというものです。
この言葉は、精神論に通ずるところがあるので、決してそれを強要されることはありません(持ち合わせているかは、その人次第です)。
「プロ根性」の類語や類義語・言い換え
「プロ根性」を言い換えるなら、以下が一番適当です。
実際にも、ほとんど同じ意味で使われています。
- 「プロ意識」【ぷろいしき】
「プロ意識」【ぷろいしき】
プロとしての意識という意味になり、「プロ根性」と同様に使うことができます。
「根性」という言葉には、上のように精神論的な意味合いが含まれる為、それを嫌う(出さない)場合にはこちらのがいいでしょう。
ビジネスでは、こちらの方がよく用いられています。
「プロ根性」は、職業としている対象には(ある程度は)持ち合わせていて当たり前だと言えますが、中には全くそれが無いという人も居るものです。
これは、生業と考えているか、単に職業としか考えていないかの違いだと言えるかも知れません。