「日ごろの鬱憤がたまっていた」の意味とは!言葉の意味を徹底解説
「日ごろの鬱憤がたまっていた」という表現を聞いたことがあるでしょうか。
ニュース報道などでも使われることがありますよね。
ここでは、日頃の鬱憤がたまっていた、という表現について紹介していきます。
目次
- 「日ごろの鬱憤がたまっていた」とは?
- 「日ごろの鬱憤がたまっていた」の具体例
- 「日ごろの鬱憤がたまっていた」を分解して解釈
「日ごろの鬱憤がたまっていた」とは?
鬱憤が溜まるというのは心の中に不満が蓄積すること、不満が溜まること、という意味があり、日頃の鬱憤がたまっていた、と言えば日常的に不満が蓄積されていた、日ごろから不満を感じていた、という意味になります。
2019年7月11日、神奈川県小田原市のアパートで女性が視察され、息子が逮捕されたことで、息子が「母親に対する日ごろの鬱憤がたまっていた」と供述しましたね。
母親に対して日ごろから不満がたまっていた、ということになります。
- 「日ごろの鬱憤がたまっていた」の読み方
「日ごろの鬱憤がたまっていた」の読み方
「日ごろの鬱憤がたまっていた」、というのは「ひごろのうっぷんがたまっていた」読みます。
小田原市のニュースに限らず、他の事件報道などでも使われる表現ですので、ぜひ覚えておきましょう。
「日ごろの鬱憤がたまっていた」の具体例
先ほども述べましたが、やはり「日ごろの鬱憤がたまっていた」、という表現で有名な最近の事件と言えば、神奈川県小田原市の事件ではないでしょうか。
日ごろから母親に対して不満がたまっていたということで母親を刺殺し、26歳の息子が逮捕されました。
母親と口論になり、刺したという供述がありましたが、普段から母親に対して鬱憤がたまっていたということがわかっています。
つまり、母親に対する不満がきっかけとなって殺人事件を引き起こしてしまったわけであり、日頃の鬱憤は殺人事件につながるものでもあるということで重視されていかなければいけません。
「日ごろの鬱憤がたまっていた」を分解して解釈
ここでは「日ごろの鬱憤がたまっていた」、という表現を分解して紹介していきます。
- 「日ごろ」
- 「鬱憤」
- 「たまっていた」
「日ごろ」
日頃、というのは普段、常日頃、という意味です。
日常的に、という意味で使われます。
「鬱憤」
鬱憤というのは心の中に積もり重なった怒りや恨みを指しています。
誰かから不条理な扱いを受けた時など、その人にはっきり言えなかったとしても、心の中に怒りがたまっていくということもあるのではないでしょうか。
うまく処理していかなければ、ある日突然爆発してしまうなどということも考えられます。
「たまっていた」
たまっていた、というのはなすべき物事が処理されず、次第に増えていったり、滞ったりしていた、という意味になります。
心の中に蓄積していた怒りや恨みがたまってしまうと、どこかで抑えきれなくなり、爆発してしまう可能性があるでしょう。
それを防ぐために、そのような感情を処理していかなければいけないのです。
「日ごろの鬱憤がたまっていた」、という言い回しは事件報道でよく聞く表現です。
鬱憤がたまらないように、気をつけていきたいですね。