「おぼこ娘」とは?意味!徹底解説
「おぼこ娘」とは、「世間擦れしていない純粋で素朴な娘・男について何も知らない初心な生娘」を意味する言葉です。
「おぼこ娘」の「意味・類語(シソーラス)や言い換え・対義語・初恋おぼこ娘の意味」などについて、詳しく説明していきます。
目次
- 「おぼこ娘」とは?意味
- 「おぼこ娘」の類語や言い換え
- 「おぼこ娘」の対義語
- 「初恋おぼこ娘」とは?
「おぼこ娘」とは?意味
「おぼこ娘」という表現は、「世間擦れしていない純粋で素朴な娘」や「男について何も知らない初心な生娘・男と性的関係を持ったことがない処女」を意味しています。
「おぼこ娘」の「おぼこ」というのは、「うぶこ(産子=赤ちゃん)」の音が変化して生まれた言葉とも言われ、「まだ赤子のように純粋・素朴・無知(経験がない)・世や男に染まっていないといった意味のニュアンス」が含まれています。
「おぼこ娘」の類語や言い換え
「おぼこ娘」の類語・言い換えについて、分かりやすく解説していきます。
- 「世間擦れ(世間慣れ)していない娘」
- 「処女・生娘」
「世間擦れ(世間慣れ)していない娘」
「おぼこ娘」の類語・言い換えとして、「世間擦れ(世間慣れ)していない娘」があります。
「おぼこ娘」というのは、欲望や損得が渦巻く厳しい世間(世の中)でまだ揉まれていない初心(うぶ)な娘を意味しています。
その意味合いから、「おぼこ娘」という表現は、それとほとんど同じ意味を持つ「世間擦れ(世間慣れ)していない娘」という表現で言い換えることが可能なのです。
「処女・生娘」
「おぼこ娘」の類語・言い換えとして、「処女(しょじょ)・生娘(きむすめ)」があります。
「おぼこ娘」という表現は、「まだ男性と交際したり性的関係を持ったりしたことがない処女」や「まだ男性との性的体験がない初心(うぶ)な若い女性」のことを意味しています。
それらの意味合いから、「おぼこ娘」という表現と良く似た意味を持つ類語(シソーラス)として、「処女・生娘」という言葉を上げることができるのです。
「おぼこ娘」の対義語
「おぼこ娘」の対義語を紹介して、その意味を解釈していきます。
- 「阿婆擦れ(あばずれ)」
「阿婆擦れ(あばずれ)」
「おぼこ娘」の対義語として、「阿婆擦れ(あばずれ)」が上げられます。
「阿婆擦れ(あばずれ)」という表現の意味は、「世間擦れしていたり男慣れしたりしていて、品性・貞節(ていせつ)に欠けた厚かましい年かさの女性」になります。
「阿婆擦れ(あばずれ)」は江戸時代に生まれた俗語(スラング)で、はじめは世間擦れして礼儀・品性のない男性に対しても使われていました。
現在では「阿婆擦れ(あばずれ)」は、「言葉遣い・態度が悪い荒っぽい女性」や「性道徳を逸脱している誰とでも関係を持つ淫奔な女性」を指す俗語として使われています。
「初恋おぼこ娘」とは?
「初恋おぼこ娘」という言葉は、「松竹」が製作して1953年3月19日に公開された日本の映画のタイトルです。
「初恋おぼこ娘(上映時間44分)」は、「妻の青春」の光畑碩郎が脚本を書いて、「流れの旅路」の小林桂三郎が監督を務めた映画です。
「初恋おぼこ娘」のメインキャストは、娘美代子役の榎本美佐江(えのもとみさえ)、山代修吉役の若杉英二(わかすぎえいじ)、美代子の父・甚市役の坂本武(さかもとたけし)が務めました。
世間慣れしていないおぼこ娘である美代子の、修吉(茶問屋の若旦那)に対する身分違いの純粋な初恋をテーマにした映画になっています。
「おぼこ娘」という言葉について徹底的に解説しましたが、「おぼこ娘」には「世間擦れしていない純粋で素朴な娘」や「処女・生娘」などの意味があります。
「おぼこ娘」の類語(シソーラス)・言い換えとしては、「世間擦れ(世間慣れ)していない娘」「処女・生娘」などがあります。
「おぼこ娘」という言葉について詳しく調べたい時は、この記事を参考にしてみて下さい。