「軍部の台頭」とは?意味や具体的な内容・その終焉・「軍部の暴走」や例文まで詳しく解説
この「軍部の台頭」は、日本の近代史を語る上で大事な出来事の1つです。
目次
- 「軍部の台頭」とは?
- 「軍部の台頭」の終焉
- 「軍部の暴走」とは?
- 「軍部の台頭」を使った例文と意味を解釈
- 「軍部の台頭」の類語
「軍部の台頭」とは?
日本の近代史は、明治維新による大政奉還から始まったと解釈していいでしょう。
「明治」に改元されたのが1868年で、それから日本はそれまでの武士の時代から、近代国家へと姿を変えていきます。
しかし、ようやく刀の時代が終わったと思った途端、今度は近代兵器(銃など)による軍事化が進んでいきました。
1914年には第一次世界大戦が勃発し、それに勝利した日本はますます軍事国家への道を進んでいきます。
この頃から、国号を公式に「大日本帝国」と名乗るようになり、陸軍が国民生活に介入することも多々ありました。
この頃に国内で軍隊(主に陸軍)が色々なことに幅を利かせたことが、歴史上「軍部の台頭」(ぐんぶのたいとう)と呼ばれています。
「軍部の台頭」の終焉
軍部の台頭は、「明治」から「大正」、そして「昭和」と改元され、1939年に開戦となった第二次世界大戦中がピークでした。
ご存知のように、日本はこの大戦に敗北し、無条件降伏を受け入れることになります。
それによって軍隊は解散され、軍部の台頭も終焉を迎えました。
その後、日本では軍隊は所有していませんが、国土の防衛のみを行う組織として自衛隊が結成された次第です。
「軍部の暴走」とは?
第二次世界大戦は、1941年のアメリカの真珠湾への奇襲攻撃によって、太平洋戦争と名前を変えること(日本から見て)になりました。
これによって、アメリカが完全に日本の敵に回った訳ですが、この奇襲攻撃を指示したのが当時の日本海軍の元帥だった山本五十六だと言われています。
戦争にもきちんとした国際的なルールがあり、敵となる国に対して最初の攻撃の前に「宣戦布告」を行わないといけません。
それを無視したこの奇襲攻撃は、「軍部の暴走」と(山本五十六の暴走とも)言われており、これがなければアメリカまで敵に回し、敗戦することもなかったのではないかという歴史研究がされています。
しかし、山本五十六が指示した訳ではないという説もあり、実際の詳しいところは分かっていません。
「軍部の台頭」を使った例文と意味を解釈
軍部の台頭を使った例文と、その意味の解釈です。
ここでの「軍部の台頭」は、日本のことを挙げていますが、かつては他の国でも少なからず同様のことがあったようです。
- 「軍部の台頭」を使った例文1
「軍部の台頭」を使った例文1
「武士の時代が終わったら、今度は軍部の台頭と、昔の日本は忙しい展開だったようだ」
今でこそ、そのように考えてしまいますが、江戸時代が長く続いた為、諸外国と比べて近代化が遅れた日本にとって、当時の軍隊の急速な拡大、及びその台頭はやむを得なかったとも言えるでしょう。
ですが、それが二度の大きな戦争にも繋がってしまった訳なので、今思えば、他の方法での近代化の(軍事力以外で諸外国と肩を並べられる)方法もあったのかも知れません。
「軍部の台頭」の類語
「軍部の台頭」の時代には、政治の世界にも軍隊が大きく幅を利かせていました。
その為、以下は「軍部の台頭」と共に、同時の日本を象徴する歴史用語です。
- 「軍事政権」【ぐんじせいけん】
「軍事政権」【ぐんじせいけん】
この言葉は、正確には軍隊が政権自体を司っている場合に使いますが、当時の日本では、これに近い政治が行われていました。
よって、「その頃の日本は軍事政権とも言えるほど、軍部の台頭が目立っていた」などと一緒にして使うことがあります。
「軍部の台頭」は、日本の近代史には欠かせないキーワードの1つとなっており、その諸々をきちんと反省できたことから、現在の日本という国家があると考えていいでしょう。