「酷評」とは?意味や類語!例文や表現の使い方
「酷評」、という表現を知っているでしょうか。
何かについて「酷評」を受けると辛いですよね。
それならば、「酷評」という言葉にはどのような意味があるのでしょうか。
ここでは「酷評」という言い回しについて紹介します。
目次
- 「酷評」とは?
- 「酷評」の表現の使い方
- 「酷評」の対義語
- 「酷評」を使った例文と意味を解釈
- 「酷評」の類語や類義語・言い換え
「酷評」とは?
「酷評」というのは厳しく批評されること、あるいはその批評のことを指しています。
例えば小説などを発表した時、周りから様々な評価を受けますよね。
その時に手厳しく批評された場合、それを「酷評」といいます。
「とても面白かった」「ためになった」などという評価ではなく、「ここの部分が事実に沿っていない」「ここの部分が事実に沿っていない」や「この考え方は誤りである」などと厳しく評価された場合に「酷評」という表現が使えるのです。
ただ単に「つまらなかった」などというものは「酷評」に含まれない場合もあります。
「酷評」の表現の使い方
学者が自分の論文を発表したり、小説家が新しい小説を発表したりすると、周りから評価を受けます。
最近はインターネットでレビューを書き込めるようにもなり、一般の人たちも小説や論文等に評価をことが可能になりました。
そのような時、手厳しく評価されたらそれは「酷評」をされたということになります。
ただし、「酷評」というのはあくまでも手厳しい評価ですので、それが今後の成果につながることもあります。
「酷評」の対義語
「酷評」の対義語は絶賛という表現になります。
「酷評」とは、欠点ばかり上げて少しも褒めない手厳しい評価のことを指しますが、絶賛というのはその反対で、短所を全然あげず、褒めてばかりいるということになります。
小説や論文が褒められてばかりという事は珍しいですが、新しい商品等が消費者から絶賛されるという事は珍しくありません。
「酷評」を使った例文と意味を解釈
ここでは酷評という表現を使った例文を紹介します。
- 「酷評」を使った例文1
- 「酷評」を使った例文2
「酷評」を使った例文1
「教授の論文は1部の研究者からは酷評されているが、1部からは絶賛されている」
論文等が絶賛されるという事はあまりなく、批判されても当たり前ということがあります。
論文などはそれを高く評価する人もいれば、それを批判する人もいて当たり前なのです。
そのため、1部からは「酷評」されているけれど1部からは絶賛されている、ということもあります。
「酷評」を使った例文2
「あの作家は、新しい小説を酷評されて落ち込んでいる」
小説家も学者も人間ですから、あまりにもひどい評価を受ければショックを受けることもあります。
ただし、そのような「酷評」が今後の仕事につながっていくこともありますし、論文に関しては新しい見解をもらえることもありますので、それが今後の業績につながることも珍しくありません。
そのため、どのような評価であれ、周りからの声は非常に重要です。
「酷評」の類語や類義語・言い換え
ここでは「酷評」という表現の類義語を紹介します。
- 「手厳しい評価」【てきびしいひょうか】
- 「冷評」【れいひょう】
- 「痛論」【つうろん】
「手厳しい評価」【てきびしいひょうか】
手厳しい評価というのは良くない評価のことであり、低い評価を指しています。
辛辣な評価、歯に衣着せぬ評価、などと言われることもあり、批評と言われる場合もあります。
「冷評」【れいひょう】
冷評とは冷淡な態度で批評するという意味になります。
冷ややかな調子の批評であり、批判ばかりされた場合に冷評という表現が使われます。
「痛論」【つうろん】
痛論とは手厳しく論じるという意味です。
これは評価ではなく、あくまでも論じるという意味合いになります。
例えば「教育行政に関して痛論する」と言えば、教育行政に関して手厳しく議論を交わす、という意味になるのです。
「酷評」という表現は小説などで使われる表現ですので、ぜひ知っておきましょう。
インターネット上などでも「酷評」が繰り広げられる場合もあり、作家や学者にとっては厳しい時代になってきたと言えます。