「穿った見方」とは?意味や類語!表現の使い方
「穿った見方」という言葉の意味や使い方を紹介します。
さらに「穿った見方」という言葉を使った例文や、「穿った見方」の誤解について紹介して行きます。
目次
- 「穿った見方」とは?
- 「穿った」の誤解
- 「穿った見方」を使った例文や短文など
「穿った見方」とは?
「穿った見方」という言葉を知っているでしょうか。
「君は穿った見方をする人だ」などと言われた経験があるかもしれません。
一方で、「穿った見方」という言葉をまるで知らないという人もいるかもしれません。
そこで「穿った見方」という言葉の意味を紹介します。
- 「穿った見方」の読み方
- 「穿つ」の意味
- 「穿った見方」の意味
「穿った見方」の読み方
「穿った見方」は「うがったみかた」と読みます。
「穿った」は「うがった」、「見方」は「みかた」と読みます。
「穿った」という言葉は、読むのが難しいかもしれません。
これを機会に「穿った見方」は「うがったみかた」と読むようにしましょう。
「穿つ」の意味
「穿った見方」には、どのような意味があるでしょうか。
「穿った見方」の「穿った」は「穿つ(うがつ)」という言葉が元になっています。
「穿つ」には、「ここと思う場所に穴をあける」という意味があります。
また「突きぬく」という意味があります。
そのため、「山を穿つ」という場合は、山のここぞと思う場所に穴をあける」という意味があります。
「穿った見方」の意味
また「穿つ」には、「人間の機微などを的確に捉える」という意味もあります。
そのため、「穿った見方」には、「人間の機微などを的確に捉えた見方」という意味があります。
人間の本質を捉えたような、素晴らしい見方、恐ろしい見方という意味があります。
そのため誰かに「穿った見方ができる人」と言われた場合は、褒められたと感じていいでしょう。
「穿った」の誤解
「穿った見方」のように「穿った」という言葉が誤解され使われているケースがあります。
例えば、「穿った見方」には、「人を疑い過ぎる、誤った見方」「考えすぎて、本質を見失った様子」などの意味があると、考えている人がいます。
しかし「穿った見方」には、人間の機微などを的確に捉えた見方という意味があり、こちらが正解です。
なぜこのような誤解があるかといえば、「穿ち過ぎ」という言葉があるためでしょう。
「穿ち過ぎ」には、人の機微などを的確に捉えたいと思うあまり、事実から外れることという意味があります。
「穿った見方」の意味を誤解している人は、「穿ち過ぎの見方」と混同していると考えられます。
本来「穿った見方」には、ポジティブな意味があることを知っておきましょう。
「穿った見方」を使った例文や短文など
最後に「穿った見方」という言葉を使った例文や短文を紹介します。
「穿った見方」を使った例文は、どのような文章になるでしょうか。
- 「穿った見方」を使った例文1
- 「穿った見方」を使った例文2
「穿った見方」を使った例文1
「A君は、B君が本当は仕事が好きだというが、それは『穿った見方』だ」
この例文に登場するB君は、普段それほど仕事に燃えていないよう見せているのでしょう。
しかし、A君はよくB君のことを見ていて、「本当は仕事が好きだ」というB君の本質を捉えています。
このように表面的でなく、本質を突いた見方に対して、「穿った見方」という言葉を使います。
「穿った見方」を使った例文2
「『穿った見方』をすると、他の人が怖がってしまう」
この例文のように、いつも人の機微を読み、本質を捉えた見方ばかりしていると、他の人に少し怖がられる可能性があります。
自分を丸裸にされているような気持ちになり、落ち着かないのかもしれません。
「穿った見方」をしながら、それをすぐに伝えるのではなく、大切なポイントだけ伝えるようにしましょう。
「穿った見方」という言葉について見てきました。
「穿った見方」は、ほとんどの人が、意味を取り違えているとされています。
これを機会に「穿った見方」は「人間の機微を捉えた的確な見方」という意味だと知っておきましょう。