「神の思し召し」とは?意味や類語!表現の使い方
「神の思し召しがあるように」という言葉をあなたが言われたなら、どのような思いを馳せるでしょうか。
「神の思し召し」という言葉は、日常生活の中で聞くより、教会でよく出て来る言葉の印象が強いのではないかと思いますが、ここでは、この「神の思し召し」について考えて行くことにしましょう。
目次
- 「神の思し召し」とは?意味
- 「神の思し召し」の表現の使い方
- 「神の思し召し」を分解して解釈
- 「神の思し召し」を使った例文と意味を解釈
- 「神の思し召し」の類語や言い換え
「神の思し召し」とは?意味
「神の思し召し」という言葉は、普段の日常生活の会話の中ではめったに使うことがないでしょうが、「神様がお望みのようになることを待つ」や「神様がお望みの通りに」という意味を指している表現です。
この意味から転じて「なるようになる」とったような解釈で受け止めることもできる場合があります。
- 「神の思し召し」の読み方
「神の思し召し」の読み方
「神の思し召し」は「かみのおぼしめし」という読み方になります。
「神の思し召し」の表現の使い方
「神の思し召し」を使う場面は、信仰を持っている人が物事の結末を天の意味に委ねる時に、求める心境、思いを言っていることが多いのですが、信仰を持たない人でも「なんとかなるさ」というような心境の場合に、この言い回しで片づけられることがあります。
「神の思し召し」を分解して解釈
「神の思し召し」を「神」と「思し召し」の2つの言葉に分解して、各々の言葉の意味を探っていくことにします。
- 「神」
- 「思し召し」
「神」
「神」とは、「人の人智を超えた崇高な存在」と言えるものでしょう。
世界には、多くの「神」様が存在していますが、人それぞれ信じる「神」は決して1つではありませんし、どのような「神」を信じるかも人の自由で、縛られることはできない存在でもあります。
「思し召し」
「思し召し」は「相手を敬うようなその考えや気持ち」というと意味があります。
また、このような「お考え」、「ご意向」という意味合いがある他に「金額を相手の考えに任せる」、「異性にひかれる気持ち」といったある種のフランクな意味合いで使われることもあります。
「神の思し召し」を使った例文と意味を解釈
では、ここで「神の思し召し」を使った例文を見て行くことにしましょう。
- 「神の思し召し」を使った例文1
- 「神の思し召し」を使った例文2
「神の思し召し」を使った例文1
「神様の思し召しを受けるということは、心が暖かくなって魂が浄化されることかもしれません」
このような例文の気持ちになれる人は、とても信仰心の熱い人と言えるでしょう。
何事にも「神のご意思」を最優先にすることができる人でもありますが、あまりにこのような思いや強いと、人としての自分の意思がないように受け止められてしまうこともあるかもしれませんね。
「神の思し召し」を使った例文2
「悪い行いとする人には罰は与えられ、善い行いをする人には。良い報いは与える。それこそが、神の思し召しなのだ」
これもある意味、宗教色の強い例文の印象があるのですが、普通の人でも理解できる内容でしょう。
悪いことをすれば、その報いが降りかかってきますし、善い行いをすれば幸運がもたらされることになるでしょう。
しかし、全ての行いの結果は全て「神に思いのままに」ということが、「神の思し召し」なのかもしれません。
「神の思し召し」の類語や言い換え
「神の思し召し」を他の言葉で言い換えると、どのような表現になるでしょうか。
- 「運命」
- 「天命」
- 「天の意志」
「運命」
「運命」という言葉がありますが、「人間の意志に関係なく身に降り掛かって来る吉凶禍福」という意味がありますが、「人生の巡り合わせ」という解釈もできる言葉です。
「天命」
「天命」も類義語の1つとして扱うことができますが、「身に備わって変えようとしても変えることができない運命」という意味があります。
言い換えると「天から与えられた寿命」という理解もでき、「神から与えられた定め」と言えるのではないでしょうか。
「天の意志」
「天の意志」も類義語と言えますが、「神のお考え」と同義語で、「人の意思を超えた神の意思」を指しています。
「神の思し召し」は、非常に信仰的な要素を持つ言葉ですが、人が物事をやり遂げようとする時にあらゆることをやり尽くした後に、このような心境になるのかもしれません。
できることを全てやった後は、「神の思し召し」を待つだけで、「天命を待つ」ということになるのだと思います。