「ご高説」とは?意味と類語!「高説を垂れる」と「講釈を垂れる」の違い
ご高説、という表現がありますね。
職場や学校生活において、ご高説を拝聴した経験は誰にでもあるものです。
それならば、ご高説という言葉にはどのような意味があるのでしょうか。
ここではご高説という表現について考えていきたいと思います。
目次
- 「ご高説」とは?
- 「ご高説」は皮肉にも使われる?
- 「ご高説」を使った言葉(表現)と意味を解釈
- 「ご高説」を使った例文や短文など(意味を解釈)
- 「ご高説」の類語や類義語・言い換え
- 「ご高説を垂れる」と「講釈を垂れる」の違い
- 「ご高説」を使うときの注意点
「ご高説」とは?
この言葉は、高説という表現に丁寧の「御」を高説つけた表現であり、人の優れた意見を聞く、という意味を持っています。
高説という言葉には他より良い意見、優れた意見という意味があるため、ご高説を聞く、という表現は誰か優れた意見を賜る、誰かの優れた意見を頂戴する、拝聴する、という意味になるのです。
例えば、高校のときには人気大学の教授が高校を訪れ、高校生たちが話を聞くということもあるかもしれません。
大学生になると、大企業のCEOから社会人になるにあたって役にたつような話や、社会人になれば社長や取引先の社長から実践的な話を聞く、ということもあるのではないでしょうか。
- 読み方
- 「ご高説」の正しい使い方
読み方
この表現は「ごこうせつ」と読みます。
「ご高説」の正しい使い方
この表現は尊敬の表現として使われ、他の人を敬い、その人の見解や意見を指し示している良い方だといえます。
あるいは、尊敬している相手が述べる考え、優れていて素晴らしい意見、という意味もあります。
日常的に使われる言葉ではないためかしこまったビジネス文書などで使われることが多いのではないでしょうか
上の立場にいる人に対し、「ご意見を伺いたいのですが」という時に使われます。
「ご高説」は皮肉にも使われる?
この表現は確かに「ご意見を伺いたいのですが」という時に使われますが、あまりにも軽々しく使ってしまうと、相手を小馬鹿にしたようなニュアンスを与えてしまいます。
例えば、「君のご高説を聞いているようなムダな時間はないんだ」といった皮肉を込めた言い回しも存在します。
そのため、時と場合によって、たとえ目上の人から話を聞きたいと思った場合であったとしても、ご高説という言葉を使うのではなく、「ご意見をお伺いしたいのですが」などとストレートに述べたほうが伝わりやすい場合もあります。
「ご高説」を使った言葉(表現)と意味を解釈
ここではこの表現を使った言い回しを紹介します。
- 「ご高説を伺う」
- 「ご高説を拝聴する」
「ご高説を伺う」
ご高説を伺う、というのは誰かから意見を求める、ということになります。
例えば、尊敬する誰かから意見を受けたいと思う時、「ご高説を伺いたい」と打診することもあるのではないでしょうか。
「ご高説をお伺いしたいのですが」と意見を求めてみると、自分たちだけでは思いもしなかったアイディアがもらえるかもしれません。
1回、2回使うのであれば問題はありませんがこの表現の多用には気をつけましょう。
「ご高説を拝聴する」
ご高説を拝聴する、というのは人の優れた意見を聞くこと、という意味を持ちます。
顧客や有識者など、ビジネスの場において目上の人に意見を聴かなければいけない時、敬意を込めて「ご意見を拝聴する」と述べます。
相手の考えは優れていて深い、という意味を持っており、普段から良い助言をする人に対して使えます。
そのため、相手に心酔して意見だけではなく人物も崇めている、などといったニュアンスを持ってしまうこともありますから、使いすぎには注意です。
「ご高説」を使った例文や短文など(意味を解釈)
ここではこの言葉を使った例文を紹介します。
- 「ご高説」を使った例文1
- 「ご高説」を使った例文2
- 「ご高説」を使った例文2
「ご高説」を使った例文1
「ご高説を拝聴したいのですが、お時間をいただけませんでしょうか」
どうしても誰かからの意見を聞きたい、その人の意見を聴かなければ決断ができない、ということがありますよね。
そのような時、「ご高説を拝聴したいのですが」と打診ができます。
その人の意見は優れている、自分としてはその人の意見をぜひ聞きたい、その人の意見を聞けたら前進できる、決断できる、などという意味を含めてご高説という表現を使います。
その上で「お時間をいただけませんでしょうか」といった形で丁寧に打診をします。
「ご高説」を使った例文2
「ご高説を拝聴したいと言ってやってきたくせに、自分ばかりがしゃべっていたよ」
ご高説を拝聴したい、と誰かのところにやってきたにもかかわらず、実際にはその人の話を聞くことなく自分1人がずっと喋っていた、という人も少なくありません。
人の話を聞きたい、参考にしたい、と言いながら、実際は自分で決断が出ている、ただその決断を後押ししてくれる人を欲しがっている、などという場合は自分の意見ばかりを押し付けてくることがあります。
そうなってしまうと時間の無駄にもなりますから、時間を割くんじゃなかった、と後悔してしまうこともあるかもしれませんね。
特にこの場合は、「ご高説を拝聴したい」と言ってきた張本人がよくしゃべっていたわけですから、逆に「本人がご高説を垂れていたよ」などと皮肉を言われてしまう可能性も高まります。
「ご高説」を使った例文2
「同窓会では、先生のご高説を賜りたいと思っております」
同窓会等が行われる場合、恩師が招待されることもあるのではないでしょうか。
恩師が来るならば、学生時代に聞いていた恩師のありがたい話、前向きになれるような話をもう一度聞いてみたい、と感じる人もいるかもしれません。
実際は先生から話をしてくれることもありますが、事前に話をして欲しいと言われれば、前もって準備をすることも可能です。
懐かしい先生に会えるならば、懐かしい話を聞きたいですよね。
あるいは、そこに集まる同窓生からご高説が出てくることもあるかもしれませんね。
「ご高説」の類語や類義語・言い換え
ここではという表現の類義語を紹介します。
- 「ご見識」
- 「ご慧眼」
- 「ご卓識」
「ご見識」
ご見識、というのは見識という形に丁寧の「ご」をつけた形になります。
物事を深く見通し、本質を捉える優れた判断力を指しており、ある物事に対する確かな考えや意見、という意味を持つこともあります。
ビジネスシーンで使われることも多く、見識が広い、などという言い方もあります。
ビジネスで誰かの指示を仰がなければならない時など、ご見識という表現が使えます。
「ご慧眼」
ご慧眼とは、物事の本質や裏面を見抜く優れた眼力、という意味を持ちます。
鋭い眼力、将来を見通す力、などとも言われており、「けいがん」と読みます。
物事の本当の意味を理解する賢さ、物事の審議や善悪などを見分ける力、などと言えます。
「ご卓識」
卓識とは、優れた判断力や考え、優れた見識、という意味を持ちます。
物事を見通す鋭い力や先見の明として言われることも多く、賢い人が持ち合わせている考え方だとして頼りにされます。
「ご高説を垂れる」と「講釈を垂れる」の違い
講釈を垂れる、というのはダラダラと説明をすること、上から目線でものをいうこと、という意味があります。
ビジネスシーンで用いられる事は滅多になく、友達同士でも使う事はありません。
お互い仲が良くない場合など、「偉そうに講釈を垂れるような言い方はするべきではない」「ダラダラと講釈を垂れるのはやめて」などといった使われ方があります。
それに対し、ご高説という表現は相手を小馬鹿にしたような印象を持つことがありますので、「ご高説を垂れる」という表現には「ご立派なことを偉そうに言っている」と馬鹿にされたイメージで使う表現になります。
そのため、講釈を垂れる、という表現よりも、ご高説を垂れるという表現の方が馬鹿にされているイメージが強くなります。
「ご高説」を使うときの注意点
ご高説という表現を使うときはそれが皮肉に聞こえないようにしなければいけません。
ご高説という表現の使い方によっては、相手を馬鹿にしたようなイメージを与えてしまいます。
そのため、必要以上に敬語をつけないことも大切ですし、場合によっては「ご意見を頂戴したいのですが」のようにストレートに表した方が誤解を招かない可能性もあります。
あまりにも上司に対してこの表現を使いすぎてしまったり、最近失敗したことがある上司に対してこの表現を使ったりすれば、「私のこと馬鹿にしているの?」思われかねません。
時と場合に応じて、他の表現を使えるようにしておいた方が良いでしょう。
ご高説という言葉は立派な敬語なのにもかかわらず、使い方によっては嫌味に思われてしまう、というのもなかなか難しいですよね。
しかし、日本語にはこのような繊細なニュアンスがありますので、特にビジネスシーンにおいてはどの単語を使うのかしっかりと見極めておかなければいけません。
それ以外の言い回しも覚えておき、その場に応じた適切な単語を選ぶ力が求められています。