「道徳」の意味とは?「道徳」と「倫理」の違い・対義語・英語・類語
「道徳」という言葉は誰もが学校で聞いた経験を持つのではないでしょうか。
学校によっては「道徳」の授業が実行されていることもあり、幼い頃から社会生活を営む上で善悪の判断が求められます。
それならば「道徳」とは一体どのような意味なのでしょうか。
ここでは「道徳」という言葉について紹介します。
目次
- 「道徳」の意味とは?
- 「道徳」の読み方
- 「道徳」の英語(解釈)
- 「道徳」の対義語
- 「道徳」の言葉の使い方
- 「道徳」を使った言葉・慣用句や熟語・関連
- 「道徳」を使った例文や短文など(意味を解釈)
- 「道徳」の類語や類義表現
- 「道徳」と「倫理」の違い
「道徳」の意味とは?
あ
人間は善悪の区別をし、自分の良心に従って生きていかなければいけません。
その時に基準となるものが「道徳」になります。
「道徳的規範」、「道徳性」、などというものを指すこともあり、モラルと言われる場合もあります。
善悪の区別をつけられなければ、人間は社会生活を営めません。
しかし、その基準は目に見えないものですから、幼い頃からしっかりと身に付けていかなければいけないのです。
これが「道徳」になります。
「道徳」の読み方
「道徳」とは「どうとく」と読みます。
学校教育でも重視されている科目であり、「道徳教育」に力を入れている学校もたくさんあります。
しっかりと読めるようにしておきましょう。
「道徳」の英語(解釈)
「道徳」を英語にすると“moral”になります。
日本語でもモラルと呼ぶことがありますね。
あるいは、良心という意味で“conscience”ということもあります。
例えば、「学校で道徳の授業を受ける」ということであれば、“we took the class of morality”という表現になります。
良心と言っても、両親ではありません。
「道徳」の対義語
「道徳」の対義語は背徳になります。
「道徳」という言葉は良心に従って生きる基準、善悪を判断する基準、という意味になり、背徳は「道徳」に反すること、という意味になります。
本来あるべき人としての道から外れている、後ろめたい感覚、などという意味を持ち、善悪の区別がついているにもかかわらず悪いことをしてしまった感覚を指します。
「道徳」に反するという意味で、「道徳」という言葉の対義語になるのです。
「道徳」の言葉の使い方
学校教育では「道徳」の授業が重視されます。
また、実際に「道徳」の授業をしているという事だけではなく、子供たちにも「道徳」の教育が浸透しているということを重視しなければいけません。
善悪の判断をつけるという事は子供の頃からの教育が大切であり、いきなり身に付くものではありません。
さらに、目に見えるものでは無いからこそ、感覚が大切になります。
「道徳」の授業を受けるときには「道徳」の授業を受けているということではなく、「道徳」の授業がきちんと身に付いているということが重要です。
「道徳」を使った言葉・慣用句や熟語・関連
ここでは「道徳」という言葉を使った言い回しをいくつか紹介します。
- 「道徳教育」
- 「道徳心」
- 「道徳観」
「道徳教育」
先ほども述べた通り、最近では学校で「道徳教育」が重視されています。
子供たちに善悪の判断を教えるため、何がよくて何が悪いのか教育するために「道徳教育」は注目を浴びているといえます。
学校も「道徳教育」をしているということではなく、子供たち「が道徳教育」を受けて精神的に成長しているということを誇りに思わなければいけません。
学校によっては「道徳」の授業ではなく、倫理など表現が異なる場合もあります。
ミッションスクールの場合は聖書の授業で代用していることもあります。
「道徳心」
「道徳心」というのは善悪を判断し、良いことをしようとする心、「道徳を守る心」、という意味を持ちます。
誰しも善悪を判断すれば、善を重視しますよね。
悪いと思っている事は、たとえやりたいと思ったとしても罪悪感を覚えるのではないでしょうか。
そのような気持ちを「道徳心」といいます。
「道徳心」を持っていれば、何か悪いことをした時にも罪悪感を持つようになり、次からはしない、反省する、といった行動につながるのです。
「道徳観」
「道徳観」というのは人々が善悪をわきまえて正しい行動をするため、守らなければいけない規範の相対という意味になります。
人間として生きていくために大切な価値観とでも言えるでしょうか。
倫理観とは意味合いが異なります。
「道徳」を使った例文や短文など(意味を解釈)
ここでは「道徳」という言葉を使った例文を紹介します。
- 「道徳」を使った例文1
- 「道徳」を使った例文2
「道徳」を使った例文1
「あの学校は道徳教育に力を入れているが、子供たちのマナーはあまり良いとは言えない」
学校は道徳教育に力を入れていますが、だからといってそれが子供たちに浸透しているとは言えません。
確かに道徳教育に力を入れている学校であるということで、学校は高い評価を受けるでしょう。
しかし、大切な事は実際に子供たちが善悪を判断できるということになります。
教師が道徳教育をしているということだけに満足してしまえば、それは子供たちに浸透していきません。
そのため、子供たちのマナーがなっていないなど、問題につながってしまうのです。
「道徳」を使った例文2
「子供の頃から道徳を学ぶことが大切です」
「道徳」は学校教育のみで身に付くものではありません。
家庭においても「道徳」はしっかりと教えていかなければならず、子供が幼い時から善悪の判断を教え込む必要があります。
子供は素直ですから、善悪の判断がつきません。
しかし、親から注意され、人間関係から学び、成長していくのです。
学校教育だけに任せていても「道徳」は身に付かないということを覚えておかなければいけません。
「道徳」の類語や類義表現
ここでは「道徳」という言葉の類義語を紹介します。
- 道義【どうぎ】
- モラル
道義【どうぎ】
道義というのは人が文行うべき「道徳上の筋道」という意味を持ちます。
鳥という意味も持っており、正しいあり方、やるべきこと、という意味を持ち合わせているのです。
「道」は目指すべき高度な状態や根本法則という意味を持ち、「義」は人としてあるべき原則のことを指しています。
モラル
先ほど「道徳」という表現はモラルとも言い換えられるという話をしました。
モラルというのは生き方に対する真剣な反省という意味も持ち合わせており、何か悪いことをしたときには反省するという姿勢を指しています。
人間はいくら善悪の判断をつけられたとしても、必ずしも良いことばかりができるというわけではありません。
悪いことをしてしまうこともあるでしょう。
しかし、それに反省する姿勢が求められるのです。
「道徳」と「倫理」の違い
「道徳」という表現と倫理という表現は非常に似ていますが、意味は若干異なります。
「道徳」というのは人の文行う道であり、倫理というのは人として守るべき道ということになります。
こう聞くとほとんど同じ意味ではないかと思う人もいるかもしれませんが、「道徳」は個人や家族など、小さな集団に対して用いられることが多く、倫理というのは個々人から社会に至るまで、広い範囲に用いられることが多いと言えます。
「道徳」という言葉は人としてぜひ知っておきたい表現です。
正しい意味を理解し、適切に使えるよう意識しましょう。