「碩学」の意味とは?「碩学」と「博学」に違い・読み方・英語・類語【使い方や例文】
「碩学」とは、「修めた学問・教養が広くて深いこと」です。
「碩学」の「意味・読み方・英語と解釈・碩学と博学の違い・使い方・例文と解釈・類語や類義表現」などについて、詳しく説明していきます。
目次
- 「碩学」の意味とは?
- 「碩学」の読み方
- 「碩学」の英語(解釈)
- 「碩学」と「博学」の違い
- 「碩学」の言葉の使い方
- 「碩学」を使った言葉・慣用句や熟語・関連など(意味を解釈)
- 「碩学」を使った例文や短文など(意味を解釈)
- 「碩学」の類語や類義表現
- 「碩学」の対義語
「碩学」の意味とは?
「碩学」の意味は、「修めた学問・教養が広くて深いこと」や「学問を広く深く修めた人物(幅広い学問の教養と深い見識を持っている人)」になります。
「碩学」の「碩(せき)」という漢字には、「大きくて優れていること・広くて深いこと」などの好ましい意味合いがあります。
例えば、「碩学の教養に裏打ちされたお話を傾聴すると、とてもためになります」や「机上の学問だけではなく、文化芸術にも造詣のある碩学から指導を受ける機会がありました」などの文章でその意味を示せます。
「碩学」の読み方
「碩学」の読み方は、「せきがく」になります。
「碩学」の英語(解釈)
「碩学」の英語とその意味の解釈は、以下のようになります。
- 「碩学」を使ったEnglishの例文1
- 「碩学」を使ったEnglishの例文2
「碩学」を使ったEnglishの例文1
“He has a deep understanding of a variety of art.”
この「碩学」を使った例文は、「彼は各種の芸術を深く学んでいる碩学です」を意味しています。
広くて深い物事の理解を持っている「碩学」は、英語で“have a deep understanding”で表現することができます。
「碩学」を使ったEnglishの例文2
“She is an erudite scholar of modern economics and politics. ”
この「碩学」を使った例文は、「彼女は近代経済学と近代政治学に広く精通している碩学です」を意味しています。
“erudite”は、「博学・博識・知識が多いこと・教養があること」を意味する英単語です。
「碩学」と「博学」の違い
「碩学」と「博学(はくがく)」は、「碩学」が「学問を広く深く修めたこと・人物」を意味しているのに対して、「博学」が「幅広く色々な学問にわたって豊かな知識を持っていること・人物」を意味しています。
現代では「碩学」と「博学」の意味の違いはほとんどありませんが、強いて言えば「碩学」は「学問・知識の深さ(学問を深く修めた権威もある知識人)」の意味合いも強くあるのに対して、「博学」の方は「学問・知識の幅の広さ(色々な物事を知っている物知りの度合い)」に重点があるという違いがあります。
また今では、「碩学」よりも「博学」の方が実際に使用される頻度が多くなっています。
「碩学」の言葉の使い方
「碩学」の言葉の使い方は、「学問を広く深く修めていること」や「学問を深く学んでいる人・幅広い知識教養を持っている人」を指示して使うという使い方になります。
「碩学の人」「碩学の徒」「政治学(ヨーロッパ言語学)の碩学」というような熟語で慣用的に使われています。
例えば、「彼は大学で英文学や国際コミュニケーションを教えている英語の碩学です」や「碩学な人は幅広い分野に対する知的好奇心があります」などの文章で使用できます。
「碩学」を使った言葉・慣用句や熟語・関連など(意味を解釈)
「碩学」を使った言葉・慣用句や熟語を紹介して、その意味を解釈していきます。
- 「碩学の徒」
- 「五山碩学」京都五山
- 「碩学王」ヘンリー1世
「碩学の徒」
「碩学の徒」の言葉の意味は、「学問を広く深く修めている人」や「知識・教養が幅広くて深いこと」を意味しています。
「徒」とは、「その仲間・同類の人」を意味する言葉です。
例えば、「あの悠然とした人物は、碩学の徒として名前を知られている高名な学者です」などの文章で使えます。
「五山碩学」京都五山
「五山碩学(ごさんせきがく)」というのは、禅宗(臨済宗)の五大寺である「京都五山(きょうとごさん)」で、特別に学問・見識に優れていた僧侶のことを意味しています。
江戸時代には、「五山碩学」に選ばれた学問の深い教養がある僧侶は、特別な手当てを別に受け取ることができました。
京都五山の中でも、特に「天龍寺・相国寺(しょうこくじ)・建仁寺(けんにんじ)・東福寺」から、学問・教養に優れた僧侶を「五山碩学」として選出していました。
京都五山としては「万寿寺(まんじゅじ)」も含まれ、「南禅寺」は別格の禅寺とされました。
「碩学王」ヘンリー1世
「碩学王」と呼ばれていたのは、英国(ノルマン王朝第3代イングランド王)のヘンリー1世(1068〜1135年)です。
ヘンリー1世は政治・経済・文化・学問に関する幅広い知識と教養(向学心)を持っていたことから、「碩学王」の異名を取っていました。
ヘンリー1世は実際に優れた政治家であり、広範な法律の知識を活かしてマグナカルタの原型となる「戴冠憲章」を定めています。
「碩学」を使った例文や短文など(意味を解釈)
「碩学」を使った例文や短文などを紹介して、その意味を解釈していきます。
- 「碩学」を使った例文1
- 「碩学」を使った例文2
「碩学」を使った例文1
「真に碩学な人は、色々な専門分野を横断するような幅広い知識と教養を兼ね備えています」
この「碩学」を使った例文は、「本当に深く諸学問を修めて教養も深い人は、色々な専門分野を横断するような幅広い知識と教養を兼ね備えているということ」を意味しています。
「碩学」を使った例文2
「財政・文学だけでなく国際政治にも精通した碩学の意見であれば、内閣もその内容を軽んじることはできないでしょう」
この「碩学」を使った例文は、「財政・文学だけでなく国際政治にも詳しい知見を持つ知識人の意見であれば、内閣もその内容を軽んじることはできないだろう」ということを意味しています。
「碩学」の類語や類義表現
「碩学」の類語・類義表現について、分かりやすく解説していきます。
- 「博識・博学・物知り」
- 「有識・顕学」
「博識・博学・物知り」
「碩学」の類語・類義表現として、「博識(はくしき)・博学(はくがく)・物知り」があります。
「博識」の意味は「広く物事を知っていて知識が多いこと」、「博学」の意味は「幅広くさまざまな学問に精通していて詳しいこと」になります。
「博識」も「博学」も一般的な言葉で言えば、「物知りな人」となります。
それらの意味から、学問を広く深く修めた人である「碩学」の類語として、「博識・博学・物知り」を指摘できます。
「有識・顕学」
「碩学」の類語・類義表現として、「有識(ゆうしき)・顕学(けんがく)」があります。
「有識」の言葉の意味は「学問と教養があって見識が高いこと」、「顕学」の言葉の意味は「権威や勢いのある学問・学派のこと、有名(高名)な学者」になります。
学問を広く深く修めている「碩学」の類義表現として、「有識・顕学」を上げることができます。
「碩学」の対義語
「碩学」の対義語は、「無学(むがく)・浅学(せんがく)」になります。
「無学」というのは、「学問・知識・教養を持ち合わせていないこと」や「基本的な学問・教養に欠けていて物を知らないこと」を意味しています。
「浅学」は「無学」よりは学問・知識の素養がありますが、「学問・知識・教養が浅くて物をよく知らないこと」を意味します。
学問を広く深く修めている「碩学」の対義語として、「無学・浅学」を指摘できます。
「碩学」という言葉について徹底的に解説しましたが、碩学には「修めた学問・教養が広くて深いこと。
深い学問や教養を学んでいる人」などの意味があります。
「碩学」の類語・類義表現としては、「博識・博学・物知り」「有識・顕学」などがあります。
「碩学」という言葉について詳しく調べたい時は、この記事を参考にしてみて下さい。