「俗世間」の意味とは?・読み方・対義語・英語【使い方や例文】
俗世間は、仏教用語ではありませんが、その中の1つが元になって作られた言葉です。
目次
- 「俗世間」の意味とは?
- 「俗世間」の読み方
- 「俗世間」の英語(解釈)
- 「俗世間」の対義語はある?
- 「俗世間」の言葉の使い方
- 「俗世間」を使った言葉と意味を解釈
- 「俗世間」を使った例文や短文・意味を解釈
- 「浮世離れ」の意味
「俗世間」の意味とは?
この「俗世間」は、2つの意味で使われる言葉です。
特に最近では、2つ目の意味で使うことが多いと言えるでしょう。
- 「娑婆」
- 「俗な世の中」
「娑婆」
この「娑婆」(しゃば)とは、我々人間が普段普通に生活している、この世の中のことです。
仏教用語が元になっていると書きましたが、この「娑婆」がそれで、一般的には「俗世間」と呼んでいます。
仏教では、人間は死後に「仏の世界」(極楽浄土)に行くとされていますが、その際に、「娑婆との縁が切れる」と表現します。
我々の普段生きている世界とは別の世界に行くという意味で、その世界との区別の為に使われる「娑婆」という言葉を一般の言葉にしたものが「俗世間」です。
「俗な世の中」
もう1つの意味は、「世間一般における様々な誘惑が建ち並ぶ世界」という意味です。
こちらの意味で使う場合には、この「俗な世の中」と表現できます。
多く場合で、まずはこちらの意味だと解釈して構いません(葬儀の場などは除きます)。
「俗世間」の読み方
「俗世間」は、「ぞくせけん」と読む言葉です。
略して「俗世」(ぞくせ)や「俗の世」(ぞくのよ)と表現されることもあります。
この言葉の元となった「娑婆」(しゃば)は、刑務所などの監獄を出所する際に、「ようやく娑婆に戻れる」と使うことがあります。
この場合の意味は、もちろん「俗な世の中」の方ですが、「娑婆」にはそのような意味はないので、正確には誤用になります。
これは、刑務所などを「地獄のような場所」だと例えて、そこから「人間の世の中」に戻れることという意味だと考えればいいのかも知れません。
尚、「娑婆に戻れる」とは使っても、同じ意味の「俗世間」を用いて「俗世間に戻れる」とはあまり使いません。
この理由は定かではありませんが、単に言葉の響きからだと考えられています。
「俗世間」の英語(解釈)
俗世間を英語で表現すると、“workaday world”か“secular society”となります。
前者はそのまま「俗世間」と表現できる言葉で、「我々の生きている世の中」という意味ならこちらの方です。
後者は、「通俗的な社会」という意味で使う言葉で、「俗」という意味が強い表現になります。
先の意味で挙げた、「世間一般における様々な誘惑が建ち並ぶ世界」という解釈の方の英訳です。
「俗世間」の対義語はある?
「俗世間」の反対の意味は、先ほどの「仏の世界」(極楽浄土)と表現できます。
「仏の世界」では仏教色が色濃くなってしまうので、一般的な言葉としては「極楽浄土」の方がいいでしょう。
また、「俗な世の中」という解釈の対義語となると、「無欲な世界」と表現するのが一番です。
下記で解説する「俗世間と一線を画した世界」という表現も、同様に対義表現になります。
「俗世間」の言葉の使い方
俗世間は、我々が普段生活している世の中のことなので、「俗世間を生き抜くのは厳しい」といったような形で、「この(今の)世の中」という部分の強調の為に使われることが多いです。
「俗な世の中」という意味で使う場合には、ほとんどの場合でそのような世界での誘惑と絡めて使われます。
よって、「誘惑の多い世の中」のことだと考えてもいいくらいです。
「俗世間」を使った言葉と意味を解釈
俗世間を使った、よく見られる形の表現です。
異なる解釈ができるものがある点にも注目してください。
- 「俗世間を離れる」
- 「俗世間と一線を画した世界」
「俗世間を離れる」
この表現は、2つの意味に解釈できます。
1つは、この世と縁が切れる(死去する)ことという意味で、「父が他界し、俗世間を離れることになりました」などと使います。
そして、もう1つは「世俗的な誘惑の多い世界から脱出する」という意味で、「受験の為には俗世間を離れる必要がある」といった形で使っていれば、こちらの意味だと考えていいでしょう。
「俗世間と一線を画した世界」
上で挙げたように、「俗世間」の対義表現の1つになります。
「世俗的な誘惑の多い世界」とは全く反対の世界のことで、受験勉強の毎日といった世界(生活)がこれに当たります。
そのような世俗の誘惑から離れていると言いたい時に、「俗世間と一線を画した世界で生活している」などと使うことがあります。
「俗世間」を使った例文や短文・意味を解釈
俗世間を使った例文や短文です。
この世の中という意味と、実際に使われることの多い、色々な誘惑の多い俗な世界という意味で使っているものの両方です。
- 「俗世間」を使った例文1
- 「俗世間」を使った例文2
- 「俗世間」を使った例文3
「俗世間」を使った例文1
「この度、父が俗世間での生活を終えて旅立ちました」
本来の意味での使い方で、葬儀の際の挨拶などに使われる形です。
仏教では「娑婆」という言葉を使いますが、聖職者(僧侶)以外が無理にその言葉で表現する必要はなく、この「俗世間」や「俗世」でいいでしょう。
「俗世間」を使った例文2
「俗世間に興味をもち過ぎてしまった為、かなり借金ができてしまった」
世の中の様々な誘惑の乗ってしまうと、その都度お金が掛かるものです。
特に昔から言われている「飲む」(お酒)、「打つ」(ギャンブル)、「買う」(異性関係)のどれかに深く興味をもってしまうと、いくらお金があっても足りません。
自分で稼いだお金をどのように遣おうが、それはその人の勝手というものですが(犯罪になってしまうようなことは除きます)、それ以上に遣った為に借金ができてしまっては困ったものです。
「俗世間」を使った例文3
「俗世間から解脱できるという怪しげなセミナーに誘われた」
そのようなセミナーも多いですが、ほとんどが怪しげなものだと考えていいでしょう。
自分の「欲」の制御はとても大切なことですが、セミナーを受けたくらいでできるものでもありません。
本気でそれを考えるなら、民間のセミナーなどではなく、仏教の修行でも受ける方がよほど効果的だというものです(本気で仏門に入るのではなく、修行だけ受けるということです)。
「浮世離れ」の意味
この「浮世離れ」には、2つの意味があり、1つは通俗的な欲とは無縁の生活をしていることの表現です。
前述した、「俗世間と一線を画した世界」に住んでいるという意味だと考えてください。
もう1つは、世間の常識では考えられないような言動が多い人のことをそのように指して使う場合です。
そのような人は、「マイペース」と表現されることもありますが、それよりは「エクセントリック」(普通の人とはかなり違う趣向がある)の方が近いと言えるでしょう。
俗世間は、「我々の住んでいるこの世の中」という意味の「娑婆」からできた言葉ですが、実際には「様々な欲がからんだ世界」という方の意味で使われることの方が多いと言えるでしょう。