「悲壮感」の意味とは?「悲壮感」と「悲愴感」の違い・読み方・対義語・英語
「悲壮感」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
悲しいという感じが使われていますので、何となく意味がわかるという人もいるかもしれませんね。
それならば、「悲壮感」というのは一体どのような意味を持ち合わせているのでしょうか。
また、「悲壮感」を持つ人はどのような特徴があるのでしょうか。
ここでは「悲壮感」という言葉について紹介します。
目次
- 「悲壮感」の意味とは?
- 「悲壮感」の読み方
- 「悲壮感」の英語(解釈)
- 「悲壮感」の対義語
- 「悲壮感」の言葉の使い方
- 「悲壮感」を使った言葉と意味を解釈
- 「悲壮感」を使った例文や短文・意味を解釈
- 「悲壮感」と「悲愴感」の違い
「悲壮感」の意味とは?
「悲壮感」というのは、悲しく大変な出来事に直面しているにもかかわらず、凛とした振る舞いをする様子を指しています。
「悲壮感」の壮という漢字は立派な青年を表すと言われており、悲しみの感情を人に見せないよう、生成堂々と振る舞っている人を表すようになったと言われています。
ちなみに、後に述べますが「悲壮感」は悲愴感とは意味が異なりますので注意しましょう。
「悲壮感」の読み方
「悲壮感」は「ひそうかん」と読みます。
ちなみに、全く違う意味を持つ単語である悲愴感も「ひそうかん」と読みます。
これらは漢字が違いますので、注意するようにしましょう。
「悲壮感」の英語(解釈)
「悲壮感」という表現を英語にすると“sense of despair”と表現できます。
あるいは、“a tragic but brave resolution”と表現することもあります。
悲しい状態でありながら、悲しいという気持ちを人に見せないということで“try not to show depression”などと表現することも可能です。
「悲壮感」の対義語
「悲壮感」という表現の対義語にはこれといったものは存在しません。
しかし、楽観という単語が「悲壮感」の対義語だと考えられています。
楽観というのは、事態は明るい向きに見ること、好ましい状態に向かうだろうと良い風に考えて心配しないこと、という意味を持ちます。
「悲壮感」というのは悲しみを隠し、あえて明るく振る舞うという意味を持ちますので、楽観という表現とは意味が逆であることがわかります。
「悲壮感」の言葉の使い方
「悲壮感」という表現は日常的に使うことが可能です。
例えば、誰か身近な人が亡くなるととてもショックですよね。
しかし、だからといって葬儀の時、その人たちが号泣しているかと言えばそうでもなく、中には一生懸命、葬儀に来た人たちが持てなそうと努力している人を見たことがある、という人もいるのではないでしょうか。
悲しみを押し隠して一生懸命笑っていたり、一生懸命笑顔を見せようとしていたり、という状態を指しています。
しかし、そのような姿は周りから見るととても痛々しいものです。
そのような時に「悲壮感」という表現が使われます。
「悲壮感」を使った言葉と意味を解釈
ここでは「悲壮感」という単語を使った表現をいくつか紹介します。
「悲壮感」を感じる、「悲壮感」がない、「悲壮感」にさいなまれる、といった言い回しは日常的にも使われますので、ぜひ知っておきたいものです。
- 「悲壮感を感じる」【ひそうかんをかんじる】
- 「悲壮感がない」【ひそうかんがない】
- 「悲壮感に苛まれる」【ひそうかんにさいなまれる】
「悲壮感を感じる」【ひそうかんをかんじる】
痛々しいほどに悲しみを押し隠し、笑顔見せようとしている人を見ると、周りの人が逆に気の毒だと感じてしまう、ということがあります。
例えば、夫を亡くした未亡人が葬儀の時に一生懸命明るく振る舞い、笑顔を見せていたら、誰もが「悲壮感」を感じるのではないでしょうか。
たとえ葬儀の時に遺族が泣いていなかったとしても、その人たちが悲しくないわけはありません。
どちらかというと、他人には泣いている顔を見られないように、そして自分の大切な人のために葬儀に来てくれた人に対し、きちんと対応できるように、努力をしているのです。
そのような状態を見ると、「悲壮感」が感じられるものです。
「悲壮感がない」【ひそうかんがない】
たとえ悲しいことがあったとしても、すべての人が悲壮感を漂わせるわけではありません。
悲しいことがあってもその気持ちを押し隠し、周りが気の毒に思うほど普通に振る舞おうと努力をする人もいれば、たとえ悲しいことがあっても、全然悲壮感を漂わせない人もいます。
悲壮感を漂わせることなく、「あの人は全然痛々しく見えない」と思われた場合、その人は悲壮感がないといえます。
「悲壮感に苛まれる」【ひそうかんにさいなまれる】
悲壮感にさいなまれるというのは、悲しい状態に陥り、気持ちが明るくならないということを指しています。
気分が重くなり、何をしても楽しくない、何をしていても悲しい、辛い、などといった気持ちが出てしまう、常に絶望した気持ちになる、という状態は悲壮感にさいなまれる、といいます。
このような状態になってしまった場合、うつ病になってしまう可能性もあるため、周りの人の協力が必要です。
必要に応じて診療内科などを受診することも大切です。
「悲壮感」を使った例文や短文・意味を解釈
ここでは「悲壮感」という表現を使った例文を紹介します。
どのような言い回しがあるのか、ぜひ知っておきましょう。
- 「悲壮感」の例文1
- 「悲壮感」の例文2
- 「悲壮感」の例文3
「悲壮感」の例文1
「葬儀の時、小さな女の子は悲壮感を漂わせていた」
人間はだれでもいつか命を落とすものです。
しかし、まだ幼い子供がいる状態で命を落とせば、多くの人の悲しみを誘います。
例えばまだ小さな子供がいるお母さんが亡くなったとしましょう。
その子供が葬儀の時、一生懸命泣かないように努力をしていたら、誰もが痛々しい気持ちになるのではないでしょうか。
親をなくすというのは大変なことであり、特に子供が小さければなおさらです。
しかし、そのような子供が一生懸命葬儀の時に泣かないように努力をすれば、それはまさに悲壮感が漂っていると言えるのです。
「悲壮感」の例文2
「夫が失業したにもかかわらず、彼女は悲壮感を漂わせないように努力をしている」
最近は経済的にも困難な時代になり、リストラなどの事情により、いきなり仕事を失うなどという人も珍しくありません。
しかし、夫が仕事を失えば、家族は大きな打撃を受けてしまいます。
その一方で、そのような状態をおくびに出さず、前向きに、そして周りの人に大変であるということを知らせないように振る舞う奥さんも存在します。
実際はかなり大変な状態であったとしても、そして悲しみに暮れる毎日であったとしても、それを周りに知られないように努力する人はまさに悲壮感を漂わせないようにしていると言えるでしょう。
「悲壮感」の例文3
「彼女は悲壮感にさいなまれるようになり、後にうつ病と診断された」
何をしていても楽しくない、何をしていても満足できない、という状態になると、それは悲壮感にさいなまれている状態だといえます。
そして悲壮感にさいなまれた場合、うつ病に進行してしまう可能性があるため、注意が必要です。
人間は誰しも適度にストレスを発散し、楽しいと思えることをしなければいけません。
しかし、何をしていても楽しくない、満足できない、という状態になってしまうと、精神的に参ってしまう可能性があります。
「悲壮感」と「悲愴感」の違い
「悲壮感」という言葉には、悲しみを表に出さないように行動するという意味があります。
しかし、同じ読み方である悲愴感という表現は見るに忍びないほど、悲しく気の毒な状態であること、という意味を持っています。
例えば、お母さんを亡くした幼い子供は、悲愴感に満ちているでしょう。
それに対し、「悲壮感」は悲しいことがあっても勇ましく行動することという意味がありますので、意味が異なります。
「悲壮感」という単語と悲愴感という単語を混合して覚えている人は多いのではないでしょうか。
どちらも同じ意味を持っている、と思っている人もいるかもしれません。
しかしこれらは意味合いが違いますので、それぞれの意味をしっかり覚えておく必要があります。