「傍観」の意味とは?「傍観」と「静観」の違い・読み方・対義語・類語・英語
私達を日頃のコミュニケーションで使っている言葉の中には、色々な単語が飛び交うものですが、その中で「傍観」という言葉が出てくることがあるでしょうか?
友人や親しい人との他愛もない会話の中では、あまり使われることがないかもしれませんが、仕事をしていると、まれに「傍観」という言葉を使う人がいます。
この言葉には、どのような意味があり、どんな場面で使われる言葉なのでしょう?
今回は、この言葉について見ていくことにしたいと思います。
目次
- 「傍観」の意味とは?
- 「傍観」の読み方
- 「傍観」の英語(解釈)
- 「傍観」の対義語
- 「傍観」の言葉の使い方
- 「傍観」を使った言葉と意味を解釈
- 「傍観」を使った例文や短文・意味を解釈
- 「傍観」と「静観」の違い
- 「傍観」の類語や類義表現
「傍観」の意味とは?
「傍観」とは、「手を出さずに、ただそばでじっと見ていること」、あるいは「その物事に関係のない立場で見ていること」という意味がある言葉です。
「じっと今回は、傍観者を決め込んで、彼らの戦いを眺めている」というような使われ方をします。
「傍観」の読み方
「傍観」は「ぼうかん」という読み方をするのですが、あまり目にする機会が多くない言葉なので、どのように読めばいいのか頭を悩ませる人もいるかもしれません。
この回でしっかりとチェックするようにしておきましょう。
「傍観」の英語(解釈)
「傍観」は“Look on”というイディオム”(熟語)で英訳することができます。
「傍観」の対義語
「自らが直接手を出さずに、そばでじっと見ていること」という意味のある「傍観」と反対の意味を持って言葉としては、「介入」が挙げられるでしょう。
「事件や問題などにどんどん割り込むこと」や、「事件に勝手にかかわること」などの意味があります。
この言葉でよく耳にするのは、「武力介入」かもしれません。
全く関係のない諸外国が武力で迫ってくる場面で用いられる言葉です。
「傍観」の言葉の使い方
「傍観」とは、自分とは全く利害関係のない相手同士が争ったり、戦っている姿を眺めるように見ている際に使われています。
まるで覚めたような眼差しで見る場合もあります。
「傍観」を使った言葉と意味を解釈
身近な生活の中では、あまり使われることが少ない「傍観」ですが、このように言葉の使い方を見てみると、次のような言葉が出てきました。
- 「傍観者効果」
- 「傍観する人」
「傍観者効果」
「傍観者効果」という言葉も日常生活やビジネスの場面でもめったに出てくる言葉ではないでしょう。
これは心理学的な専門用語で、「ある事件に関して、自分の他に傍観者がいる時にその傍観者達も同じような行動を起こさない」ということを言っています。
傍観者が多ければ多いほど、その効果は大きいとされています。
その理由は他人が積極的に行動しないことで、その事態が緊急的なものではないと考えられたり、他人と同調することで非難が分散されるような心理状態が働くものと考えられています。
また、同じような事件を自らから起こすことで、非難されることを恐れる場合もありますが、この場合の心理はビジネスでも見受けられることがあります。
「傍観する人」
「傍観する人」という表現もありますが、「当事者とはならずに、ただ見ているだけの人」のことを言っており、「傍観者」という表現もできます。
「傍観」を使った例文や短文・意味を解釈
では、「傍観」を使った例文も見ていくことにしましょう。
- 「傍観」の例文1
- 「傍観」の例文2
「傍観」の例文1
「まだ、生まれて間もない新生児の身体が日に日に衰弱しているのを、辛い気持で傍観するしかなかった」
この例文は、もしかすると貧しい国の悲惨な光景を表している文かもしれません。
まともに治療を受ける設備や資金がなく、弱っていく我が子を見ているしかない、親の辛い心境を表しているようです。
「傍観」の例文2
「この人達がとても厳しい環境の中で、働きている光景を黙って傍観することはできない」
例文1とは全く関係の反対の環境で辛く苦しい労働を強いられている人々を、ただ茫然と見過ごすことができず、積極的にその環境に飛び込み助け出そうとしているのかもしれません。
「傍観」と「静観」の違い
「傍観」と似たようなフレーズのある言葉として、「静観」という言葉があります。
しかし、この2つの言葉の解釈には違いが見られます。
「静観」とは「その事象に関係性を持ちながらも静かに見守ること」という意味があり、「傍観」は「その事象に関係性はあまりなく第三者的に見守ること」と意味になるので、これらの言葉を使う際には、どのような環境にあるのかを考えて、使い分けすることが必要です。
「傍観」の類語や類義表現
「傍観」には、他にも次のような類義語があります。
- 「第三者的な態度」
- 「高みの見物」
「第三者的な態度」
「第三者的な態度」とは「自分には関係ないものを軽い気持ちで眺めること」という意味があり、「傍観」を言い換えた表現ということができるでしょう。
「第三者的な立場」にある人は、目の前の事柄に対して、何ら利害関係人関係が絡むことがなかったり、支障があるわけでもないので、とても気軽な気持ちで眺めていることができるわけです。
「高みの見物」
「高みの見物」という言葉もありますが、この言葉の意味は「直接は関係のない立場で、物事の成り行きを眺めていること」となります。
自分には直接困るような影響がなかったり、関係がないために、物事の成り行きをのんびりとした気持ちで眺めていることができるのです。
元々「高みの見物」は、「高い場所からはしゃぎながら人々を楽しむように第三者的な立場で見ること」という意味がありました。
ここで使われている「高み」とは、「周囲よりもずっと高い場所」ということで、「見物」は「価値があるものや興味をそそるものを見ること」を意味しています。
また、「高み」の「み」は「見る」という意味てはなく、「深み」などで使われる「状態を示す表現」として使われています。
時々、「高見の見物」と書く人がいますが、これは誤用となるので注意してください。
「傍観」とは、「直接的な影響がない立場で目の前の物事を見ている」ということを指していますが、あなたの周りでも、「傍観」している人がいるかもしれません。
特に仕事関係で「自分には関係のないこと」として、冷ややかな目で見ているしか人もいるかもしれません。
しかし、もしかすると「傍観」していた物事にいつの間にか引き込まれてしまうこともあり得ることです。
このようなことから、冷静に物事を見ていることは必要ですが、関係のないと決め込まないような姿勢を持ち続けることが大切だと思います。