「未必の故意」とは?意味【使い方や例文】
「未必の故意」という言葉の意味や使い方を紹介します。
さらに「未必の故意」を使った例文や、「故意」とは何かについて紹介して行きます。
目次
- 「未必の故意」の意味とは?
- 「未必の故意」の意味
- 「未必の故意」の「故意」とは
- 「未必の故意」の言葉の使い方
- 「未必の故意」を使った例文
- 「未必の故意」と「認識ある過失」の違い
- 「未必の故意」と「確定的故意」の違い
「未必の故意」の意味とは?
みなさんは「未必の故意」という言葉を知っているでしょうか。
「未必の故意」は「みひつのこい」と読み、「未必」は「みひつ」、「故意」は「こい」と読みます。
推理小説が好きな人や警察小説が好きな人は、「未必の故意」という言葉を聞いた事があるかもしれません。
また、新聞の三面に乗るようなニュースが好きな人も、「未必の故意」という言葉に興味があるかもしれません。
一方で「未必の故意」という言葉を、今回初めて目にした人もいるでしょう。
そこで「未必の故意」という言葉の意味や使い方を紹介します。
この言葉の使い方の意味を知ると、「未必の故意」の具体的な事例などに興味が湧くかもしれません。
「未必の故意」の意味
「未必の故意」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
法律用語でもある、「未必の故意」とは何か、その意味を見て行きましょう。
- 犯行に及ぶ時の容疑者の心理状態
- 犯罪につながるかもしれないという認識
犯行に及ぶ時の容疑者の心理状態
「未必の故意」には、確定的に犯罪をしようとするのではないが、「結果的に犯罪行為になったとしてもかまわない」と思い、犯行に及ぶ時の、容疑者の心理状態を指します。
例えば、誰かを殺してしまった人に、殺意があったかどうかは、量刑を定める時の重要な要素になります。
明らかに殺意がある場合は殺意ありとする事ができますが、それほど明確な殺意がなく、それでも相手を殺してしまう事があります。
このような時に、「未必の故意」かどうかが問われる事になります。
犯罪につながるかもしれないという認識
殺人事件を起こした容疑者に、殺意があるかどうかハッキリしない時に、「未必の故意」が問われます。
この時、容疑者に、「このままだと、相手が死ぬかもしれない」という認識があれば、「未必の故意」となり、「故意」による殺人と同等の「殺人罪」が適用されます。
例えば、相手を殴っている時に、「このまま殴り続けたら、相手が死ぬかもしれない」と気付いているのに殴り続けた場合、ハッキリした殺意がなくても「殺意があった」とみなされるという事です。
殺人以外でも、危険運転をしている時に、「このままでは人を轢いてしまうかもしれない」という意識が認められると「未必の故意」とみなされます。
「未必の故意」の「故意」とは
「未必の故意」に使われている「故意」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「故意」という言葉は、一般的な意味と、法律用語としての意味があります。
そこで「故意」の、両方の意味を見て行きましょう。
- 「一般的な故意」
- 「法律用語の故意」
「一般的な故意」
一般的に使う「故意」という言葉には、「わざとする事」「たくらむ事」という意味があります。
誰かをケガさせてしまった時に、わざとやったか偶然かでは、大きな違いがあります。
偶然なら仕方ない面もありますが、わざとなら許せないからです。
そのため、「故意なの?偶然なの?」とケガをさせた人に問いただす事も珍しくありません。
「故意」で悪い事をする人は、たまたま悪い事をしてしまった人とは違い、悪質で近寄りたくない人です。
「法律用語の故意」
法律用語としての「故意」にも、同じような意味があります。
「自分の行為が、一定の結果を生じると認識していて、あえて行為に出る心の様子」を「故意」と言います。
「故意」に対する言葉として「過失」があります。
「過失」には、「不注意や怠慢などが原因で、引き起こした失敗」という意味があります。
自動車を運転していて、誰かを傷つけてしまった時に、「故意」か「過失」かで、量刑は大きく変わります。
当然、「故意」の方が、重い罰を受ける事になります。
「未必の故意」が重要なのも、「故意」か「過失」かによって、量刑が大きく変わってくるからです。
そこで、慎重に「未必の故意」なのか、「過失」なのかを見極める事になります。
「未必の故意」の言葉の使い方
「未必の故意」という言葉を、どのような場面で使えばいいでしょうか。
「未必の故意」は法律用語ですので、事件の裁判などで使われる事が多くなります。
また殺人を犯した容疑者に「殺意」があったかどうかの判断がつきかねる時、「未必の故意」か「過失」かが問われます。
その際に、新聞やテレビのニュースが、事件の内容を視聴者や読者に伝える時にも、「未必の故意」という言葉を使います。
人を殺した人に殺意が合った場合は「殺人罪」になり、「過失」の場合は「過失致死」になります。
「未必の故意」は「故意」と「過失」の間を探るような繊細な判断が必要で、もし「未必の故意」と認められたら「殺人罪」となるため、重要なキーワードとして使われます。
「未必の故意」を使った例文
「未必の故意」という言葉を使った例文を紹介します。
様々な場面における「未必の故意」を使った文章を見て、この言葉の使い方のコツを覚えましょう。
- 例文1
- 例文2
- 例文3
例文1
「相手が意識を失っているのに殴り続けて殺してしまったら、『未必の故意』と思われても仕方ない」
この例文は、喧嘩の末に相手を殴り殺した人のニュースを見た時に、第三者がどのように思うかを文章にしたものです。
人を殴るだけで、かなりの危険があるのに、殴り続けてしまうのは、危険すぎる行為です。
しかも相手が意識を失っているのに殴り続けた場合、「相手が死ぬかもしれない」と想像しない方が不思議です。
このようなケースでは、「未必の故意」だと感じる人が多いでしょう。
つまり殴り殺した人は「殺人犯」に問われるべきだという意見を持っている事になります。
例文2
「曲がりくねった道でスピードを出し過ぎるドライバーは、まとめて『未必の故意』とみなそう」
この例文には、危険運転をするドライバーは、みな人を轢いてしまうリスクを認識すべきだというメッセージがこめられています。
曲がりくねった道でスピードを出した場合、プロのドライバーでも道をそれてしまう可能性が高いでしょう。
もし、それた場所に人がいたら、轢いてしまう可能性が高いでしょう。
危険な運転による事故が起こるたびに、「未必の故意」扱いをして、罪を重くしてほしいと思う人は少なくないはずです。
危険運転をする時、故意でするのはもちろん大問題ですが、無意識だとしても、同じくらい大問題になります。
例文3
「ベランダのへりに鉢植えを置く人は、『未必の故意』がなくても、有罪にしたい」
この例文のように、ベランダのへりに鉢植えを置く、という一件何気ない行為にも危険は潜んでいます。
重い鉢植えをベランダのへりに置いた場合、風などが吹いて落ちてしまった時に、大きな問題が起こります。
下の人がいた場合は、最悪、死んでしまう可能性もあります。
特に高層マンションの上の階に住んでいる人は、このような危険な行為を避けるべきでしょう。
「未必の故意」と「認識ある過失」の違い
「未必の故意」と並んで扱われる言葉に「認識ある過失」があります。
「認識ある過失」には、どのような意味があるでしょうか。
「認識ある過失」は「過失」に含まれます。
「過失をした人が、犯罪になるような結果の発生の可能性を認識しながら、この発生を避けられると思っていて、過失をしてしまう事」を指します。
「未必の故意」と違うのは、「犯罪になる出来事の発生を避けられると認識している」点です。
この違いにより、「未必の故意」は「故意」になり、「認識ある過失」は「過失」に区別されます。
もし人を殺してしまった時、「未必の故意」なら、「殺人罪」に、「認識ある過失」なら、「過失致死」になります。
「未必の故意」と「確定的故意」の違い
「未必の故意」と「認識ある過失」という、二つの言葉を扱いましたが、さらに「確定的故意」という言葉もあります。
「故意」には、2種類あり、「未必の故意」と「確定的故意」があります。
「故意」には「わざと」という意味がありますが、「わざと」の中にも程度の違いがあります。
「確定的故意」は、「わざとの意識が強い、容疑者の心情」という事になります。
人を殺してしまった時に、「殺してやる」とハッキリ思っている場合が「確定的故意」で、「死ぬかもしれない」と思っているのが「未必の故意」という事になります。
どちらも「故意」には変わりませんが、裁判官に与える印象は違ってくるかもしれません。
「未必の故意」という言葉の意味や使い方を見てきました。
難しい法律用語ですが、殺人などを例にとると、「過失」との違いが見えてくると思います。
「未必の故意」「認識ある過失」さらに「確定的故意」と、グラデーションのように似た言葉があります。
3つの言葉をセットで覚えると、「未必の故意」という言葉の意味を忘れずに済むかもしれません。