「僻み」とは?意味・英語【使い方や例文】
「僻み」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
「僻み」はひねくれた気持ちで物事を曲げて受け取ってしまうことを指しています。
相手の言い分などをネガティブに捉えてしまった、相手の意味合いを勘違いして悪く受け止めてしまった、などという経験を持つ人もいるかもしれませんね。
「僻み」とはそのような状況を指しています。
ここではその「僻み」という言葉について紹介します。
目次
- 「僻み」の意味とは?
- 「僻み」の読み方
- 「僻み」の英語(解釈)
- 「僻み」の言葉の使い方
- 「僻み」を使った言葉と解釈
- 「僻み」を使った例文・短文(解釈)
- 「僻み」と「妬み」の違い
- 「僻み」と「嫉み」の違い
「僻み」の意味とは?
誰かから何か言われた時、ついひねくれた気持ちでその言葉を受け止めてしまったり、相手の言い方を偏見や差別等に捉えてしまい、必要以上に悪く受け止めてしまったという経験を持つ人は多いのではないでしょうか。
そのような状況は「僻み」を感じていると言えるでしょう。
「僻みっぽい人」というのはひねくれていることが多く、周りからあまり理解されていないことがあります。
「僻み」の読み方
「僻み」は「ひがみ」と読みます。
普段よく聞く表現ではあっても、漢字では何と書くのかわからない、なんと読むのかわからない、という人も多いかもしれませんね。
後で説明しますが、ひがみという表現と似た言葉には妬みや嫉みなどといった表現もあります。
よく似た表現ではありますが、似た言葉でもありますので読み間違えないように気をつけましょう。
「僻み」の英語(解釈)
「僻み」という表現を英語でいうと“envy”や“jealousy”などといった表現を使うこともできますが、劣等感という意味で“inferiority complex”表現を使うことも可能です。
あるいは歪んだ考え方のことを“warped view”予言することもありますし、偏見のことを“biased”ということもできます。
例えば「私には偏見があるかもしれない」というのであれば“I may be biased”というが使えます。
「僻み」の言葉の使い方
「僻み」という表現は日常会話でもよく使われる表現です。
名詞で使われるよりは、「僻み」っぽい人などといった表現で使われることが多いかもしれません。
友達や知り合いと話をしていると、どうしてもいちいち物事を曲げて捉える人や正直に捉えられない人、常にネガティブな人などいるかも知れませんね。
そのような人はまさに「僻み」っぽいと言えるでしょう。
ただし、仲が良い人に対して直接いうならば構いませんが、あまり知らない人に対して直接言ってしまうと嫌がられることがあります。
「僻み」を使った言葉と解釈
「僻み」という表現よりも「僻み」っぽいなどといった表現で使われることが多いという話をしました。
それならば、「僻み」という言葉を使った表現にはどのような意味があるのでしょうか。
ここでは「僻み」っぽいという言葉と「僻み」根性という言葉について紹介します。
- 「僻みっぽい」の意味
- 「僻み根性」の意味
「僻みっぽい」の意味
「僻み」っぽいという表現はすぐ僻む傾向があるということを意味しています。
形容詞であり、名詞を修飾します。
「僻み」っぽい人、「僻み」っぽい性格、などといった言葉で表します。
「僻み根性」の意味
「僻み根性」というのは素直ではない性格や僻みっぽい性質そのものを指しています。
中には「僻み根性」は大切だと考える人たちもいます。
人間には誰にも欲求がありますよね。
そして欲求があるからこそ人間は上を目指せるのです。
人のことを妬ましい、うらやましい、などと思うからこそ前進できると考える人たちもいます。
ある程度の「僻み根性」は大切だと考えられます。
「僻み」を使った例文・短文(解釈)
それならば、「僻み」という言葉を使った例文にはどのようなものがあるのでしょうか。
ここでは例文をいくつか紹介します。
- 例文1
- 例文2
- 例文3
例文1
「あの人はいつも僻みっぽくて嫌になるよ。
すぐにひねくれた捉え方をするよね」
同じことを言っても、捉え方によって物事は大きく変わってきます。
表現が違えば同じ言葉を投げかけられたとしても受け止め方が違ってきますよね。
常にひねくれた捉え方をされてしまったら面倒だと思う人も多いのではないでしょうか。
常に物事を正直に捉えられない、自分にとって優位な解釈をする、などという性格の人とは話していても疲れます。
そのような人はまさに「僻み」っぽい計画をしていると言えるでしょう。
例文2
「僻みの気持ちはある程度大切だけど、表には出しすぎないほうがいいよ」
「僻み」の気持ちは確かに前進する意味で大切です。
人間は欲求がなければ前に進めません。
しかしその一方で、「僻み」の気持ちをあまりにも表に出してしまえば、周りの人に対して不快感を与えてしまうでしょう。
そのため、その気持ちを持つことは大切ですがその気持ちはあくまでも自分の心の中に収め、表に出さないことも必要です。
例文3
「僻み根性は素直な証だと思う」
「僻み」根性を表に出す人は周りから敬遠されてしまうことがありますが、その一方でこの気持ちは素直である証だとも考えられています。
他の人に対して競争心を持つという事は必ずしも悪いということではありません。
もちろん、その感覚を表に出しすぎてしまうと周りの人に嫌な思いをさせてしまうかもしれませんが、少なからず自分の心の中で「僻み」根性を持つという事はモチベーションにつながるといった考え方もあります。
「僻み」と「妬み」の違い
「僻み」と「妬み」という言葉はどのように違うのでしょうか。
どちらも似たような表現ではありますが、若干の違いがあります。
「僻み」は相手の言い分などを曲げて捉えてしまうことを指しますが、相手の長所を素直に受け止められない場合、それを妬みといいます。
確かに「僻み」も妬みも相手の幸福等を受け入れられず、憎む気持ちを申しています。
しかし、どちらかというと妬みは他人の方が優れているから悔しいという感覚を表しており、「僻み」は自分が不当に扱われていると感じ、ひねくれてしまう状況を指しています。
つまり、妬みというのは相手に対して向けられる感情であり、「僻み」は自分に感情が向けられている状況を指しています。
「僻み」と「嫉み」の違い
「僻み」とよく似た表現に嫉みというものがあります。
これは他人に対してその人が自分よりも優位に立っているということが悪らしくなってしまい、自分に劣等感を抱いてしまうことを指しています。
つまり、「僻み」は自分が不当に扱われていると感じることですが、嫉みは相手が羨ましくてどうして自分は幸せになれないのかという自分に対する悪意を表しているのです。
つまり、嫉みは相手に対する感情であり、「僻み」は自分に対する感情であると言えるのです。
ちなみに、嫉みは相手のことが羨ましくて悔しいという気持ちであり、嫉みは相手が羨ましくてに憎らしいという気持ちになります。
「僻み」という表現は日常的にもよく使われます。
しかし、同時に妬みや嫉みといった表現もよく使われますよね。
それぞれのニュアンスをしっかり理解しておきましょう。
確かに日常生活ではよく似た意味として使われていますが、それぞれの言葉には若干の違いがあるということを知っておかなければいけません。