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「篤志家」の意味・類語・対義語【使い方や例文】

人には人情というものがありますが、このような姿勢も持っている人は、周囲の人々から尊敬されたり、好意を持って迎えられますね。

しかし、自分の幼かった頃に経済的に苦労をされてきた人達の中には、大人になってから大きく2つのタイプの人間になるような気がします。

1つは、お金で苦労した分だけ、金銭的な面で非常に貪欲な人ですが、このような人は他人に心を許すことなく、自分だけしか信じることができない、ある意味寂しいタイプの人です。

しかし、もう1つには、苦労しただけあって、他人にも愛の手を指しのべることができる人です。

世の中に貢献することを生きる喜びとしているのかもしれませんが。

この時に浮かんでくる言葉が「篤志家」でしょう。

篤志家

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「篤志家」の意味・類語・対義語【使い方や例文】>


目次

  • 「篤志家」の意味とは?
  • 「篤志家」の「篤」の漢字に使い解釈
  • 「篤志家」の言葉の使い方
  • 「篤志家」を使った例文・短文(解釈)
  • 「篤志家」の英語
  • 「篤志家」の類語
  • 「篤志家」を使う時の注意点・自称はしてもいい?


「篤志家」の意味とは?

「篤志家」の意味とは?

「篤志家」という言葉を使う場面は、日常生活はおろか、ビジネスの世界でもあまりないのではないでしょうか?

では、どのような意味がこの言葉にあるのかと言えば、「篤志家」とは、「篤志のある人」ということになります。

特に、「社会奉仕や慈善事業などを熱心に実行・支援する人」のことを指しており、「篤志」自体には、「志の熱いこと」という意味があり、「社会事業や公共の福祉などに熱心に協力すること」や。

「その心、その行動」ということを指しています。

  • 「篤志家」の読み方

「篤志家」の読み方

「篤志家」の読み方は。

「とくしか」となります。

「篤」「あつ」という読み方ができることから、思わず「あつしか」と言いたくなりそうですが、注意しなくてはなりません。



「篤志家」の「篤」の漢字に使い解釈

「篤志家」の「篤」の漢字に使い解釈

「篤志家」「篤」にも、非常に情深いといったような意味があります。

この漢字には、「真心がこもって念入りである」「手厚い」といった意味があります。

「篤」を使った単語には、「篤実」「篤厚」「篤行」「篤志」「篤信」「篤学」など色々なものがありますが、いずれにしても、「篤」の意味合いが色濃く出ていることは言う間でもありません。

「篤」は元々、「馬がゆっくり歩く」「厚い」などの意味をもつ漢字ですが。

これは漢字上部の「竹」と下部の「馬」に分けるとその由来が見えてきます。

解釈にはいくつの解釈がありますが、「竹」は丸くて厚い筒状のものなので、「丸い」「太い」といったような意味で使われています。

これに「馬」を組み合わせることで、「丸い馬」「太っている馬」というような意味を持つことになり、その馬が「ゆっくり歩くさま」や、「太った」「大きい」「厚みのある」と意味が転じてきたことから、最終的に「手厚い」「人情が厚い」「誠実」といった「厚い」の意味が生まれてきたのです。

一方で、重みのある様子から派生した解釈もありますが、「ある1点に重点がある」という理解から「もっぱらである」「熱心である」という意味も出てきています。

「篤志家」の言葉の使い方

「篤志家」の言葉の使い方

「篤志家」の言葉の使い方としては、世の中に貢献してきた人に対して使うことが多く見受けられます。



「篤志家」を使った例文・短文(解釈)

「篤志家」を使った例文・短文(解釈)

では、ここから「篤志家」の言葉の使った例文を見ていくことで、どのような場面で使うことができる言葉なのかを理解していくことにします。

  • 「篤志家」の例文1
  • 「篤志家」の例文2
  • 「篤志家」の例文3

「篤志家」の例文1

「彼は、長年、社会奉仕や慈善事業などを熱心に取り組んできた人なので、まさに篤志家と呼ぶにふさわしい人でしょう」

世の中には、「彼」のように、悩める人の手助けをする慈善事業家と呼べる人がいます。

おそらく、このような人は幼い頃に非常に苦労していた経験を持っているのかもしれません。

自分の利益を優先させるのではなく。

世の中の人々のために貢献することを選んだ立派な人と言えます。

大企業の中にも創業者と呼ばれる人々は経済界の重鎮であるにもかかわらず、「彼」のように社会奉仕に心を砕いている人も少なくありません。

「篤志家」の例文2

「自分で死ねないとすれば他人に殺してもらうほかはないのだが、進んで殺人罪を犯してくれるような篤志家はいない」

このような形でも「篤志家」という言葉を使うことができるので、少し驚きです。

ここで言っている「篤志家」は、「慈善事業家」というタイプの人ではありませんが、今にも命をなくそうとしている人の苦しみを消してくれるような人のことを言おうとしているのでしょうが、決してそのような「篤志家」がいるわけではありません。

「篤志家」の例文3

「わが校の再建資金は、篤志家の寄進によるものです。これで再建の目途が立ったのです」

學校経営が立ち行かなくなった時に、志のある人が再建を手助けしてくれたのでしょう。

この人もまさに「篤志家」と言うふさわしい人でしょう。

「篤志家」の英語

「篤志家」の英語

「篤志家」を英語で表現すると、“a benevolent person”、あるいは“a charitable person”と訳すことができます。

「篤志家」の類語

「篤志家」の類語

では、ここで「篤志家」の類語を見ていきましょう。

  • 「博愛主義者」
  • 「慈善家」
  • 「愛他主義者」

「博愛主義者」

「博愛主義者」とは、「人種・国家・階級・宗教などの違いを越えて、人類は広く愛し合うべきであるとする主義としている人」となります。

「博愛主義者」の人は、とても穏やかな性格の人が多く、相手を思いやり大切にする気持ちが強い人です。

中には本来の性格が怒りっぽく短気という人もいますが、怒りっぽくても、情深い人も少なくありません。

このような人は、常に世界中の人々が、平等に幸せになることを祈っていますので、平和主義の側面も持っているとも言えるでしょう。

また、争いや悲惨な事件も嫌っており、痛ましい事故や事件のニュースをテレビやネットで見ることで、大きく心を痛めてしまうほどです。

また、物事に対して寛容で、過ちを犯した人であっても、行き過ぎた責めをするようなことはしませんし。

誰しもがイライラする時でも、落ち着いて寛容な態度を取ることができます。

いつも、世の中の秩序が保たれて、多くの人々が幸せに生活できるように、心の底から願っているのです。

他人の罪や過ちを責めるより、新しい次のチャンスに変えて、多くの人のプラスになる方を選択していることを考えています。

「慈善家」

「慈善家」とは、「他人に対して情けや哀れみをかけることや、恵まれない人々に経済的・物理的な援助をする人」のことです。

このような人の心情と行為は、非常に相手を慈しむ心を持ち合わせている人と言えるでしょう。

「愛他主義者」

「愛他主義者」は、「自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方を持っている人」のことです。

このような人は非常にボランティア精神に富んで、常に世の中に貢献している人でしょう。

「篤志家」を使う時の注意点・自称はしてもいい?

「篤志家」を使う時の注意点・自称はしてもいい?

「篤志家」を使う時に注意すべき点は、社会奉仕をしている人でも、心の中は、「売名行為」で満ち溢れている人ならば、真の「篤志家」とは呼ぶことができません。

また、ボランティア活動などで社会貢献していることを自分自身でアピールしている人も自分自身で「篤志家」と名乗ることは不自然です。

icon まとめ

この数年、日本が地震や台風などの災害で多くの人々が被害者となっています。

そのような環境の中で、知名度のある芸能人が一般の人々と混ざりながら、ボランティア活動に参画しているニューズがネットで流れています。

しかし、彼らの行動はある意味「売名行為」という印象を持ってしまいます。

というのも、芸能人の中には、自分の名前を伏せて密に活動している人もいるからです。

本当の「篤志家」とは、誰の視線も意識することなく、奉仕する人のことかもしれないと思うのです。