「糟糠の妻」の意味・読み方・類語【使い方や例文】
難読文字が使われている「糟糠の妻」という言葉の意味や類語を紹介します。
さらに「糟糠の妻」の使い方や例文を紹介して行きます。
目次
- 「糟糠の妻」の意味とは?
- 「糟糠の妻」の語源や由来
- 「糟糠の妻」の言葉の使い方
- 「糟糠の妻」を使った例文
- 「糟糠の妻」の素晴らしさ
- 「糟糠の妻」のダメな使い方
「糟糠の妻」の意味とは?
「糟糠の妻」という言葉を知っているでしょうか。
ほとんどの人が知らないと答えるかもしれません。
また「どうやって読むの?」と「糟糠」という漢字を見て頭を抱える人もいるでしょう。
一方で、文学に精通している人や、様々な活字媒体に目を通す習慣がある人なら、「糟糠の妻」という言葉をすでに知っているでしょう。
「糟糠の妻」という言葉は、意味を知ると味わい深いものがあります。
また人によっては、とても素敵な言葉だと感じる事ができるでしょう。
そんな魅力的な言葉、「糟糠の妻」という言葉の読み方と意味を紹介します。
- 「糟糠の妻」の読み方
- 「糟糠の妻」の意味
「糟糠の妻」の読み方
「糟糠の妻」は「そうこうのつま」と読みます。
「糟糠」を「そうこう」と読むのは、初見ではほとんど無理でしょう。
それほど、この言葉には難しい漢字が使われています。
知っていれば他の人に自慢できるウンチクを手に入れた事になります。
これを機会に「糟糠の妻」を「そうこうのつま」と読む事を覚えておきましょう。
「糟糠の妻」の意味
「糟糠の妻」にはどのような意味があるでしょうか。
まず「糟糠」には、「酒かすと米ぬか」という意味があります。
転じて「糟糠」には、「粗末な食べ物」という意味があります。
そして「糟糠の妻」には、「酒かすや米ぬかのような、粗末な食べ物を一緒に食べて暮らしてきた妻」という意味があります。
つまり「糟糠の妻」には、「貧しい時期に結婚し、一緒に苦労を共にした奥さん」という意味があります。
すでに結婚している男性の中には、貧しい頃に結婚をして、たくさん苦労を掛けた奥さんがいるかもしれません。
そのような奥さんは、「糟糠の妻」と呼ぶのにふさわしい人です。
このように「糟糠の妻」という言葉には、「貧しい時期をともに過ごした妻」という意味があり、言葉にする夫側の感謝の気持ちが込められています。
「糟糠の妻」の語源や由来
「糟糠の妻」という言葉の語源を紹介します。
この言葉が登場したのは、中国の『後漢書』と呼ばれる歴史書の中です。
「糟糠の妻は、堂より下ろさず」という一節が、「糟糠の妻」の言葉の語源となっています。
「糟糠の妻は、堂より下ろさず」という言葉には、例え裕福になっても別れる事はできないという意味があります。
すでにお金持ちになってから結婚した相手に対しては、苦労を掛けた負い目もなく、一緒に成功してきた思い出もありません。
そのため好きな気持ちが薄れたら、簡単に離婚する事ができます。
しかし、貧しい時代を共にした相手に対しては、そのような気持ちになりにくいものです。
また体面上を考えても、そのような行動を取るべきでないでしょう。
「糟糠の妻」の言葉の使い方
「糟糠の妻」という言葉を、どのような場面で使えばいいでしょうか
「糟糠の妻」という言葉には、「貧しい時期をともに過ごした妻」という意味があります。
そのため、まさにそのような奥さんがいる男性は、「糟糠の妻」という言葉を使ってみましょう。
例えば、定年退職を迎える日などに、しみじみと貧乏時代のふたりを思い出し、奥さんに感謝の言葉を掛ける時に「糟糠の妻」という言葉を使うのもいいでしょう。
また、苦しい時期を過ぎて、ようやく満足な暮らしができるようになった段階で、「糟糠の妻」という言葉を使って感謝を伝えてもいいかもしれません。
また基本的に「糟糠の妻」という言葉は、第三者が口に出すべき言葉ではありません。
もし誰かに対して言う時は、本人がいない場所で、こっそりと使うようにしましょう。
「糟糠の妻」を使った例文
「糟糠の妻」という言葉を使った、例文を紹介して行きます。
様々な場面における、「糟糠の妻」を使った文章を見て、より深い意味や使い方のコツを知りましょう。
- 例文1
- 例文2
例文1
ビジネスシーンにおける、「糟糠の妻」を使った例文を紹介します。
「私が勤務する会社の創業者は、経済的な苦労が尽きなかったという。
創業50周年のパーティで創業者が、『糟糠の妻』という言葉を使って、涙声で奥さんの話をした時は、本当に感動した」
現在は大きな会社でも、その創業者は裸一貫で事業を立ち上げている事が珍しくありません。
会社を軌道に乗せるまでは、資金繰りに苦労し、経済的に厳しい時代を送っていたかもしれません。
その時代を支えた奥さんは、まさに『糟糠の妻』そのものと言えます。
この例文からは、『糟糠の妻』の素晴らしさと、その意味が良く伝わってきます。
例文2
日常的な場面における「糟糠の妻」を使った例文を紹介します。
「私は今日、定年退職の日を迎えた。振り返れば、経済的に恵まれない時期が長く、妻には苦労を掛けた。私に唯一誇れるものがあるならば、頑丈な身体に生まれた事と、『糟糠の妻』を持てた事だ。妻には恥ずかしくて言えないが、本当に感謝している」
「普通の人」という言葉がありますが、本当は普通の人など世の中にはおらず、誰もが人生の主人公です。
例えば定年退職を迎えた日は、人生の主役として、自分がどのような人生を送ってきたのかを振り返る、良い機会になるでしょう。
そのような時に、貧しい時代を共に過ごした、奥さんの存在をあらためて思うかもしれません。
このような時に、自分の奥さんに対して「糟糠の妻」という言葉を使うのは、この言葉のいちばん正しい使い方かもしれません。
「糟糠の妻」の素晴らしさ
「糟糠の妻」をもらっている男性は、幸せな男性だと言われます。
なぜなら貧しい時代に結婚を決めた女性は、男性の裕福さや社会的ステータスが欲しくて、結婚したわけでない事がはっきりしているからです。
逆に、すでに経済的自由を手に入れ、社会的ステータスを手にした男性にすり寄る女性は、お金や社会的地位が下がった途端に、男性を捨てて出て行くような女性かもしれません。
つまり信用できない女性かもしれません。
そのような女性と結婚しても、長く幸せな家庭を築けるかどうかは分かりません。
「糟糠の妻」は、結婚相手として信用できる女性です。
そのような女性と出会えた男性は、やはり幸せな男性ではないでしょうか。
「糟糠の妻」のダメな使い方
「糟糠の妻」という言葉は、基本的にそのような奥さんを持つ夫本人が使う言葉です。
なぜなら「糟糠の妻」という言葉には、粗末な食べ物しか食べられないくらい貧しい時代を共にした妻という意味があるためです。
「貧しい時代」と言えるのは本人だけで、他人が指摘するのは失礼になります。
そのため会社の創業者夫婦などに、「糟糠の妻」という言葉を使って褒めようとするのは、尊敬の念しかなくてもNGです。
例えば結婚式など晴れの場のスピーチで、貧乏時代を共にしてようやく結婚した二人に対して、「糟糠の妻」という言葉を使いたくなる場面があるかもしれません。
もちろん「素晴らしい奥さん」という意味で使いたくなるのですが、その場合ももちろんNGです。
「糟糠の妻」という言葉の意味や使い方を見てきました。
貧乏な時代は苦しいものですが、乗り越えてしまえば誇らしく思えるでしょう。
そのような時代を共にした奥さんは、きっと戦友のように見えるのではないでしょうか。
「糟糠の妻」という言葉には、一言の中に、夫婦が過ごしたたくさんの情景が透けて見える、素敵な言葉ではないでしょうか。