「究竟」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
日本語には、実に色々な用語やことわざがありますが、古くは中国から伝来してきた故事や日本古来の大和言葉や、英語を語源とするカタカナ語まであります。
最近ではインターネットのLINEなどのSNSで用いられるネットスラングまでと、実に多様な言葉まで溢れかえっています。
その中でも、宗教用語が、そのまま日常生活の中の言葉・用語として用いられるものまであるのですが、「究竟」という言葉をご存知でしょうか?
この言葉を知っている人は、「日本語博士」と呼ばれてもいいくらいに難しい言葉かもしれません。
目次
- 「究竟」の意味とは?
- 「究竟」の類語や言い換え
- 「究竟」の使い方
- 「究竟」を使った例文と解釈
- 「究竟」の英語
- 「究竟」を使った言葉や関連語・意味の解釈
「究竟」の意味とは?
「究竟」という言葉は、身近な生活シーンはおろか、ビジネスシーンでも使うことは、ほとんどないと言ってもいいくらいに珍しい言葉だと思いますが、その理由は「究竟」が仏教用語だからです。
「究竟」の意味は、「物事の最後に行きつくところ」ということを指しており「無上」、「終極」というふうにも解釈できるのですが、天台宗で悟りに至る「六つの段階をいう六即の第六位」のことで、「この上ない完全円満な仏の境地」と言われています。
仏教用語となると、かなり難しい意味合いになるかと思うかもしれませんが、「究竟」の意味は、「最後に行きつくところ」という意味の他に「極めて優れていること」もしくは「極めて都合がよいこと」、「あつらえむき」という理解もできます。
- 「竟」という文字
- 「究竟」の読み方
「竟」という文字
「究竟」に使われている「竟」という文字には、「終わる」、「ことが済む」という意味があり、「究竟」=「行きつく葉て」という理解につながってきます。
「究竟」の読み方
「究竟」は「くきょう」という読み方になりますが、このように読むことができる人はかなり少ないと思われます。
この言葉正確に覚えておくことで、言葉のボキャブラリーを増やしておき色々な場面で使ってみると、周囲の人の注目を浴びる可能性がありますね。
「究竟」の類語や言い換え
「究竟」には「最後に行きつくところ」という意味があるので、会話や文章の中で継承や過程の結末として使われる連語しての用法がありますので、そのような観点からこの言葉の類義語を挙げてみると、次のような表現があります。
- 「帰するところ」
- 「とどのつまり」
「帰するところ」
「帰するところ」とは、「行きつくところ」という意味で文章の中で用いられることがあります。
具体的な使い方としては、「決着がどうなるか予想が付きにくい」ということを表現する場合に、「趨勢(すうせい)の帰するところを知らない」と使うことができるでしょう。
「とどのつまり」
「究竟」の類語語には、「帰するところ」の他に「とどのつまり」という表現も挙げることができます。
「とどのつまり」の意味は、「ものごとの果て」や「結局のところ」となり、「とどのつまり、これに決まってしまった」というような使い方で見るケースがあります。
「とどのつまり」の「とど」は、「魚のボラ」のことで、成長していくと、「ハク」→「オボコ」→「スバシリ」→「イナ」→「ボラ」と名前を変えていき、最後には「とど」になることから、「とどの詰まり(とどのつまり」となったとされています。
ここから、「結局」という理解に転じたとも考えられています。
「究竟」の使い方
「究竟」は仏教用語のために日常的な使い方を見ると、かなり難しいかもしれませんが、「最終段階」や「行きつく先」が見えた時に使うことができる言葉にも思えます。
「究竟」を使った例文と解釈
では、「究竟」を使うには、どのような場面があるか例文を見ていくことにしましょう。
- 「究竟」の例文1
- 「究竟」の例文2
- 「究竟」の例文3
「究竟」の例文1
「ここは暖房機もなく温泉もないことから、冬になる寒さが厳しくなり、人の出入りがほとんど見られない究竟の場所なのです」
このような環境とは、山奥にある片田舎の古びた家屋をイメージしてしまうのですが、厳しい寒さで、全く人の気配がしない寂しい場所になっているのではないかと想像することができます。
おそらく、この時の「究竟」とは、「究極の場所」を指していることになるでしょう。
「究竟」の例文2
「人が担う仕事は、人情とは別次元で行うことが最終的な目的ではありません。若い時に勉学に励むことも、社会人になって事業を興すことも、究竟の目的で最終的には人情のためにすることです」
「人情のために働くこと」という考えを、「究竟」という形で表現した例文と言えますが、現代社会では効率化の流れの中で、業績を上げることが至上命題とされています。
したがって、例文のような考え方をもう一度見つめ直す時代になっているのではないかと思えてなりません。
「究竟」の例文3
「今では車で簡単に行くことができる長野県の分杭峠は、昔は登るに究竟なところであったのです」
長野県の分杭峠は、「ゼロ地場」地帯として、スピリチュアルで有名な場所なので、ここで言う「究竟」とは、「精神的な最終場所」として解釈できます。
「究竟」の英語
「究竟」を英語でどのような言葉で表現できるが、頭の中ですぐに置き換えることが難しく感じてしまうのですが、「究竟」=「優れている」という意味を思い出すと、よく耳にすることがある言葉で英訳することができます。
「優れている」=“excellent”、“best”という英単語に置き換えることができますので、仏教用語の「究竟」という枠を外して、シンブルに「優秀」という言葉で英訳することがコツです。
「究竟」を使った言葉や関連語・意味の解釈
では、「究竟」を使った言葉や関連する言葉のいくつか見ていくことにしましょう。
- 「究竟涅槃」
- 「究極のtkg」
- 「究竟願」
「究竟涅槃」
「究竟」を使った言葉に「究竟涅槃」という言葉がありますが、この言葉の意味は「最上絶対の悟りの境地」や「最も優れた涅槃」、「大般(だいはつ)涅槃」という意味があります。
「涅槃」も仏教用語の1つで「一切の煩悩から解脱した不生不滅の高い境地」という意味を持っており、「究竟涅槃」の表現の中に「顛倒夢想を遠離して究竟涅槃す」という言葉が残っています。
「顛倒夢想」とは、「心に覆いかぶさるものが無くなることで、自由自在な境地で恐怖心も持たなくなる」という意味となり、「遠離」とは「遠ざかり離れること」で、「心に刺さっていた不安や執着心がなくなることで不生不滅の高い境地に到達する」というような理解ができるでしょう。
「究極のtkg」
「究極のTKG」とは、「卵割り機能を内蔵した、白身をメレンゲ状のフワフワ状態卵かけ専用調理マシン」です。
「tkg」は「たまごかけごはん」のローマ字の頭文字から来た言葉で、ある意味、「究竟のマシン」=「行きつくところまで行った卵かけかけマシン」となるのでしょう。
「究竟願」
「究竟願」は「くきょうがん」と読みますが、これも仏教用語で「途中でくじけたり後退したりしないことで成就した願い」という意味がありますが、「究竟」自体、日常生活では使うことが少ない言葉なので「究竟願」も先ず多用することがなく、是非、覚えておきたい言葉の一つです。
人生の中では、楽しいことばかりではなく苦しいことの方がたくさんありますが、そのような苦しいことを耐えた先に叶えられた願いは大変うれしいことなので、常にこのような心境に自分を置いておきたいものです。
「究竟」という言葉が仏教用語ということもあり、確かに自分の周りで耳にすることや目にすることがないことと思いますが、この言葉の意味を理解できると、自分をこのような心境に置いて人生を送りたいと考えてしまいます。
常に自分の意識や心を「無」にすることで、初めて人としての姿が見えてくるのだと思うからです。