「訝しむ」の意味とは?成り立ち、類語や使い方、例文を紹介!
人間関係において最も大事なことの一つは、何といっても信頼です。
しかし裏を返せば、それが第一に取り沙汰されなければならないほど、世の中には不正と欺瞞がはびこっているともいえます。
本項ではそうしたものに対抗するためにも必要な「訝しむ」という言葉について解説していきます。
目次
- 「訝しむ」の意味とは?
- 「訝しむ」の類語
- 「訝しむ」の使い方
- 「訝しむ」を使った例文
- 「訝しむ」と訝るの違い
- 「訝」を使った言葉
「訝しむ」の意味とは?
- 意味
- 読み方
- 成り立ち
意味
人物の行動や言動、物事の流れに不審、不安な点があり、疑いの気持ちを抱くことを言います。
はっきりと何がおかしい、とは口にできなくとも、嘘や違和感がある。
どこも間違っていないように見えるのに、どこかがすっきりしない。
うまく動作するかどうかが心もとないが、その理由を説明できない。
そうした状況に疑問の目を向けるのが「訝しむ」です。
読み方
「いぶかしむ」と読みます。
上代(奈良時代以前の日本語)では「いふかし」と濁らない音でした。
訝の字は音読みで「ガ」または「ゲン」とも読み、「疑ったり怪しんだりする」他には「誰かを歓迎する、ねぎらう」といった全く似つかない意味を持ちます。
成り立ち
ところで、何かを疑う意味にせよ、迎え入れる意味にせよ、なぜこの漢字の成り立ちは「ごんべんに牙」なのでしょうか。
「牙」の持つもともとの意味まで解釈を拡げると、「食い違う」「害をなすもの」「咬む」といった不穏なものから、反対に「役所」「人を守るもの」などの有益なものを表す場合まで、実に様々に使われる字であることがわかります。
この中で「食い違う(=互い違いに向かい合う、ともいえる)」という意味が、この漢字の由来といえるのではないでしょうか。
ちなみに牙に隹で雅(ガ、みやび)となり、現代では美しさの代名詞ともいえる字ですが、これはもともとカラスを意味しており、長い年月の間にその音読みだけが着目され、いつしか用いられるようになったいわば当て字のようなものであり、「訝」との直接的な関係はなさそうです。
「訝しむ」の類語
- 「懐疑、猜疑」【かいぎ、さいぎ】
- 「勘繰る」【かんぐる】
- 「キナ臭い、胡散臭い」【きなくさい、うさんくさい】
- 「覚束ない」【おぼつかない】
「懐疑、猜疑」【かいぎ、さいぎ】
それぞれ「かいぎ」「さいぎ」と読み、「猜疑心を持つ」などと使います。
どちらも疑惑の思いを向けることに違いはありませんが、猜疑の猜にはさらに嫉妬の心情が含まれるため、相手が間違っているとか嘘をついていることの是非よりも、とにかく気に入らないので疑っているという方が強い言葉です。
「勘繰る」【かんぐる】
勘を働かせる意味…と間違えそうになりますが、「あれこれと余計な所にまで思いを巡らして、悪い方に解釈する」ことをいいます。
代表的な使い方には「下衆の勘繰り」があり、特に心の卑しい、低俗な者(=下の衆)による的外れな当て推量であり、そこには「猜疑」と同様、僻みや妬みが含まれることも少なくありません。
「キナ臭い、胡散臭い」【きなくさい、うさんくさい】
「キナ臭さがある」などといい、どちらもよからぬ裏の面があるのではないかと疑う言葉です。
「キナ」の由来には「薬品の名前」「布や紙、木が焦げている状態のこと」など諸説あり、はっきりとはしていません。
胡散臭いは「うさんくさい」と読み、「胡」にいい加減という意味があることから、いい加減な面が散見されるので「胡散」という説が最も有力ですが、これまたはっきりとした由来はわかっていません。
「覚束ない」【おぼつかない】
「おぼつかない」と読みます。
やはり疑わしいことを指してこういいますが、それが「頼りない、危なっかしい」ものの場合であり、相手の虚言ではなく能力のあるなしが問われているのが、「訝しむ」とは違う点です。
「訝しむ」の使い方
こちらにもはっきりとした確証はないものの、どうにも納得できない、引っ掛かる点がある、そうした場合に用います。
その際、多くはおそらく沈思黙考のままで表立って反論などはしないでしょうが、気持ちが顔に出てしまうと損をするばかりか、対象が他人で、考えすぎだった場合には大変失礼にあたりますので注意が必要です。
また、このように対象を怪しむ、疑う場合の他、単に知的好奇心を満足させたいがために疑問を持つことを「訝しむ」と表現することも稀にあります。
「訝しむ」を使った例文
- 「訝しむ」の例文1
- 「訝しむ」の例文2
- 「訝しむ」の例文3
「訝しむ」の例文1
「深夜のアパートに、防犯設備の点検と称して作業服姿の人物が尋ねてきた。何の前触れもなく時間帯も非常識な訪問なので、訝しみながら密かに管理会社に連絡を取った」
「訝しむ」の例文2
「海外を一人旅していると、地域によってはこんな所で東洋人が一人で何をしているのだ、と訝しむ表情で見てくる人もいる。しかしもうそんなことにも慣れてしまったし、金銭のやり取りをきちんとしてにこやかに接すれば、大抵は心を開いてくれるものだ」
「訝しむ」の例文3
「万全と思っていた計画だったが、ここにきて作業の能率が落ちている。理由は皆のやる気の問題なのか他に原因があるのかはっきりしないが、期日までに間に合うのかを訝しみ始めた」
「訝しむ」と訝るの違い
どちらも意味は全く同じですが、「しむ」の有無に大きな違いがあります。
しむは「滅亡せしむる(=滅亡させる)」などというように「〜させる」をあらわす使役の助動詞であり、「訝しむ」とする事で「訝る(いぶかる)気持ちを、私に起こさせる=自分のはっきりした意思というよりは、何となくどこかから湧いてくる疑念」という意味合いが感じられます。
したがって、訝るがより直接疑りを入れているのに対し、訝しむは若干遠まわしに抱く疑念、という点が、非常に僅かではありますがその違いといえます。
「訝」を使った言葉
- 「怪訝」【けげん、かいが】
- 「訝賓」
- 「嗟訝」【さが】
「怪訝」【けげん、かいが】
「けげん」または「かいが」と読み、充分に納得できないことやその状態を指します。
訝しむよりもさらに、「何となくそう思う」意味合いが強く、強固な理論を持たない子供や動物などが不思議がっている様を、こう表現する場合もあります。
「けげん」の場合は名詞、または形容動詞として使うことができ、「怪訝な顔をする」などといいます。
「かいが」の品詞は名詞に限られ、「怪訝の目」などと用いられます。
「訝賓」
前述した「迎え入れる、ねぎらう」という意味の「訝」に、もてなすべき相手というのはもちろん「来訪してきた、従う」などの意味も含む「賓」を組み合わせ、「客を迎え入れて、特別に敬い扱う」とした言葉です。
上級の漢字検定など、余程の場面でないとお目にかかることのない言葉であり、滅多に会話で使われることもないでしょう。
「嗟訝」【さが】
「さが」と読み、訝しむ同様「怪しみ、疑う」ことをいいます。
日常ではまず見かけない非常に稀な言葉で、中国の説法集などにのみその記述を見ることができます。
嗟を使う言葉としては他に「咄嗟」(非常に急なこと、急な場面)「怨嗟」(怨念を持って嘆く)などがありますが、一般的に単独では意味をなさず、組み合わせた字を強める「感嘆詞」、あるいは特に嘆きをあらわす役割があるようです。
したがって、より相手に向けての疑いの念が(その相手の本音はどうであれ)強く、現代的にわかりやすくいえば「被害妄想」の域にまで達してしまっている状態といえるのではないでしょうか。
インターネットを人々が気軽に扱えるようになり、様々な情報が世界中を飛び交う時代となりました。
その量たるや膨大の一言であり、中には疑わしい情報、疑わしさを巧妙に隠した悪質な情報も含まれています。
「訝しむ」とは、そうした世の中の嘘を見抜くためにも心得ておかなければいけない言葉といえます。
邪推をするのではなく、常に冷静な判断を下せるように心がけたいものです。