「物見遊山」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
「物見遊山」という言葉を聞くと、何が浮かびますか。
ほとんどの方が、観光地へ旅行することや見物してまわることをイメージする事でしょう。
昔から四季を楽しみ歌を詠んだり旅をするなど、普段の生活へ行楽を取り入れていた日本人。
今回はそんな日本人の気質ともいえるような「物見遊山」という言葉を紹介します。
目次
- 「物見遊山」の意味とは?
- 「物見遊山」の類語や言い換え
- 「物見遊山」の使い方
- 「物見遊山」を使った言葉
- 「物見遊山」の語源や意味を分解して解釈
「物見遊山」の意味とは?
辞書などで意味を検索すると「見物して遊び回る事」とされていますが、いまいち意味が掴みにくいですね。
「物見遊山」とは、「気晴らしに見物に出かけたり、遊んだりすること」を意味します。
気晴らしというくらいですから、遊びとして気軽な気持ちでいろいろな場所や観光地などに出かけることです。
詳しくは後の項目で解説しますが、この言葉は「物見」と「遊山」の2つに分かれ、その二つが合わさることで「気晴らしに色々な場所へ出かけて見物したり、遊ぶこと」という意味になります。
- 「物見遊山」の読み
「物見遊山」の読み
「ものみゆさん」と読みます。
音読みして「ぶっけんゆうざん」と読んだり「ものみゆうざん」と読み方を間違えている例が散見されます。
正しくは「ものみゆさん」ですので注意しましょう。
「物見遊山」の類語や言い換え
「物見遊山」のように、あちらこちらを見て回ったり、遊んでまわることを指す言葉があります。
3つ解説します。
- 「漫遊」【まんゆう】
- 「遊覧」【ゆうらん】
- 「観光」【かんこう】
「漫遊」【まんゆう】
気の向くままに各地を旅してまわることを意味する言葉で、「まんゆう」と読みます。
「漫遊記」というのは、そういった気の向くままに各地へ赴いた旅の記録をまとめたものです。
「漫」という字には「わけもなく」や「深い考えがあるわけではなく」という意味があり、「漫遊」とは何か深い考えやわけがあるわけではなく気の向くまま遊びに行くということを指しています。
「遊覧」【ゆうらん】
見物してまわる事を意味する言葉で「ゆうらん」と読みます。
「遊覧船」や「遊覧飛行」という言葉でよく知られています。
字を見ると様々な場所を遊びまわっているようなイメージが湧きますが、実際は移動しながら景色などを見て楽しむことを指します。
「観光」【かんこう】
誰もが良く知っているなじみのある言葉ですね。
「かんこう」と読み、一般的には楽しむことを目的とした旅行そのものを指すことがほとんどです。
もともとは、他国や地方の景色・史跡などを見て回ることを指す言葉でした。
現代では、インターネット上で国や地方の名前と「観光」というキーワードを入力して検索を行うだけで、様々な観光名所を調べることができるようになりました。
「物見遊山」の使い方
実際日常生活で口にすることが少ない言葉ですが、使ってみると実に日本語らしい情緒のある言葉です。
例文を参考に実生活に取り入れてみましょう。
- 「物見遊山」の例文1
- 「物見遊山」の例文2
「物見遊山」の例文1
「春が来たら観光名所へ物見遊山に出かけようか」
「物見遊山」という言葉が表現している、のんびりと風景を見て回ったり楽しみながらあちこちとでかける様子は、行楽そのものをイメージさせます。
日本には古くより、春夏秋冬それぞれを自然とともに楽しむ行事が多数存在します。
例えば春に行う花見は日本独特の行楽といえます。
季節が変わるごとに名所も変わり、あちらこちらへ出かけたくなるのが日本人の性。
特に心地よい温かさで、外に出かけるのもちょうどよい春は、名所を見て回ったりする「物見遊山」にはぴったりの季節です。
誰かを誘うのにただ「出かけよう」と持ち掛けるよりも、風情のある粋な例文です。
「物見遊山」の例文2
「修学旅行は単なる物見遊山だけじゃないから真面目に取り組みなさい」
「物見遊山」は風情のある素敵な日本語ですが、皮肉表現として使われることも多い言葉です。
遊んでまわったり、名所を見て回ったりする「物見遊山」は、仕事や学業とは反対の「遊び」です。
そのため、本来遊びではない場で観光や遊びにうつつを抜かしているように見えることを「物見遊山」と皮肉で表現することもあります。
例文のように、修学旅行というのは学生にとって、行ったことのない遠方の地で友達と寝食をともにするというビッグイベントで羽目を外してしまいがちですが、先生にとっては学校教育の一環です。
「遊びじゃないんだぞ」と釘をさすのに「物見遊山じゃないんだから」と表現しています。
近年では、政治家の視察などでも「物見遊山」が皮肉として使われることがあります。
現地の状況や現状を見て回る公務として訪れているはずなのに、業務とは関係のない温泉や観光地などの「物見遊山的」にしか思えない場所への訪問はいかがなものかと指摘されるのです。
「物見遊山」を使った言葉
「物見遊山」を使った言い回しや言葉がいくつか存在します。
その中でもよく使われやすい言葉を2つご紹介します。
- 「物見遊山気分」
- 「物見遊山的な」
「物見遊山気分」
「物見遊山」とは気晴らしにあちこちへ出かけたり遊びまわることです。
つまり、仕事などの真面目に取り組まなければいけないものではなく、ただの遊びでゆったりとした気持ちで楽しむことを指します。
「気分」というのはある期間続く感情や雰囲気を表す言葉です。
「物見遊山気分」とは、仕事ではなく遊びの気持ちで、という意味を示す表現です。
「政治家の視察というが、観光地ばかりめぐってまるで物見遊山気分だ」というような、皮肉表現で使われたりします。
「物見遊山的な」
「〜的」というのは、「そのような性質をもった」や「そのような様子の」という意味を示す言葉で、名詞に付く言葉です。
「物見遊山的な」というのは「気晴らしのお出かけや遊びとしての」という意味合いです。
例えば「物見遊山的な出張」という言葉であれば、「仕事としての出張ではなく遊びや観光目的としての出張」という意味になります。
「物見遊山」の語源や意味を分解して解釈
始めの方でも述べたように、「物見遊山」はひとつの言葉ではなく、2つの言葉が合わさっている言葉です。
それぞれを分解して、ひとつずつ解釈していきましょう。
- 「物見」
- 「遊山」
「物見」
読んで字のごとく、「物を見ること、見物すること」です。
また、見物のための場所そのものを指すこともあります。
日本には、四季の恩恵を受けた豊かな自然や景勝地がたくさんあります。
「もののあはれ」といって、日本人には古来より自然・人生・芸術などに触発されて生まれる、しみじみとした情趣や哀感を大切にする美意識が備わっています。
四季の移り変わりもそうです。
例えば春になって桜が咲き乱れ、夏へと移るころには花が散りゆくその様子を見て、季節が変わりゆくことにしみじみと哀愁やもの悲しさを感じたりしていました。
自然や景色を見て何かを感じたり考えたりする文化が根付いています。
「遊山」
「遊山」というのは「行楽など、遊びに出かけること」を意味しますが、もとは仏教用語です。
禅僧がひとつの寺で修行を終えて、次の寺へ移動する際に出会う自然や景色を楽しみながら歩き回り旅をすることを指す言葉です。
「遊」は好きに歩き回ること、「山」は寺を意味していました。
厳しい修行を終えた僧が次のお寺へ向かうまでの間にできた、気晴らしだったことでしょう。
それが転じて「気晴らしに遊びに出かけたり、山野で遊ぶ」という意味で使われるようになりました。
いかかがでしたか。
「物見遊山」と一言にするとただ遊んでまわったり観光に出かけることと結び付けがちですが、その裏には古来から日本人が季節や景色を大切に楽しむ文化があったからこそ受け継がれてきた言葉ともいえます。
楽しいテーマパークで遊ぶ観光も良いのですが、たまには季節や景色を楽しむ「物見遊山的」な旅行をするのも、風情があって良い気分転換になる事でしょう。