「曖昧」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
我々もよく耳にしよく用いる言葉ですが、日常会話に留まらず、ビジネスや政治、論議からお菓子のレシピに至るまで、迂闊な「曖昧」さはご法度です。
その一方で芸術や、時に科学理論においてさえも、美点や利点として扱われる事もあります。
誰もが何となく知っている「曖昧」を、つまびらかにするというのも何かの洒落のようですが、ここではこの言葉について詳しく調査していきます。
目次
- 「曖昧」の意味とは?
- 「曖昧」の類語や言い換え
- 「曖昧」の使い方
- 「曖昧」を使った例文
- 「曖昧」の対義語
- 日本語を学ぶ外国人にとっての「曖昧語」
「曖昧」の意味とは?
「はっきりとしない物事や物言い、怪しい様子を指し、元は中国語から転用された漢語(音読み)」です。
「曖」は「ふと何らかの思いが頭に浮かび、振り返る人」と「太陽」の組み合わせ、「昧」は「伸びた木」と「太陽」が合わさった文字であり、どちらも暗く陰ると言う意味を持ちます。
転じて、その物事が何通りにも解釈できてしまう様子を表す場合もあります。
怪しい様子は例えば「曖昧屋」などと言うと売春宿を指す隠語となり、いずれにせよ良いイメージを持たれにくい言葉です。
- 「曖昧」の読み方
「曖昧」の読み方
「あいまい」と読みます。
常用漢字の範疇ではありませんが、曖には他に「おお-う」「かげ-る」「くら-い」、昧には「くら-い」「バイ」などの読み方があります。
「曖昧」の類語や言い換え
- 「漠然」【ばくぜん】
- 「模糊」【もこ】
- 「あやふや、うやむや」【あやふや、うやむや】
- 「ファジー」【ふぁじー】
- 「ベイグ」【べいぐ】
- 「婉曲」【えんきょく】
「漠然」【ばくぜん】
とりとめなく、不明瞭なこと。
曖昧との微妙な違いは、砂漠の漠の字が使われている事からも何となく想像できるように、「範囲が広すぎて、よくわからない」ような意味合いを多分に含んでいる点です。
よって例えば「漠然とした不安」とはよく言いますが、「曖昧な不安」などと言い換えてみると、違和感があるのに気付く事でしょう。
「模糊」【もこ】
同じくはっきりしない様を表し、特に元々同じ意味が重なっている「曖昧」に更に重ねて「曖昧模糊」(あいまいもこ)と熟語として用いられます。
模糊は元々仏教から伝わった単位の言葉であり、分(1割)より12桁も小さい、非常に微少な数である事からの用法です。
「あやふや、うやむや」【あやふや、うやむや】
これもよく使われる言葉ですが、曖昧が主に聞き手や相手にとって解らない内容であるのに対し、話し手や当事者自身がよく解っていないという状態を強調する際には、このあやふやの方が適切と言えます。
うやむやは有耶無耶と書き、耶は疑問を表す助字、すなわち「有りなのか、それとも無しなのか(わからない)」さまを意味します。
「ファジー」【ふぁじー】
英語の“fuzz”(ぼやけた輪郭)から来ている言葉です(ちなみに“fuzz ball”で「毛玉」を意味します)。
曖昧と同じ意味を持ちますが、英語圏では「柔軟性」などと良い意味で捉えられる事も多く、実際家電などで良く耳にする「ファジー機能」は、人の経験則や勘などを機械に取り入れようとする仕組みを指します。
インターネットの検索エンジンなどは人間の入力したファジーな言葉の羅列を瞬時に判断し、その結果を表示してくれるので、初めて使った時には誰しも、その便利さと融通のきくさまに大変驚いた経験があることでしょう。
「ベイグ」【べいぐ】
“vague”と書き、英語やフランス語、ラテン語に見られ、またポルトガル語、スペイン語の“vague”には「放浪する」という意味があります。
英語でははっきり言わない、煮え切らない場合に用いられるので、あまり馴染みはありませんが、ファジーよりも日本語の曖昧に近い表現と言えます。
「婉曲」【えんきょく】
類語ではありませんが、遠回しな表現の事であり、はっきり断定しないという点が似ています。
どちらかというと話し手が相手の事を思いやって、あえて不明瞭にする場合に使われる言葉です。
「曖昧」の使い方
受け手に躊躇や逡巡を強いるような性質を持つので、日本語の会話の中ではあまり好意的に迎えられる事はありません。
殊にビジネスシーンでは、返答や契約書に曖昧な点が多ければ、信用を得るのは難しいでしょう。
情報が錯綜している中では忘れてしまいがちですが、もう決定している事実については、「〜だそうです」や「〜かと」と言わず、はっきりと「〜でした」と断定した方が良いという事です。
「曖昧」を使った例文
- ビジネスにおいて
- 日常生活において
- 物語や日記、記録などにおいて
ビジネスにおいて
「こんな曖昧な予算案では到底認められない」
日常生活において
「彼女の曖昧な物言いは、まるで何かを隠しているかのようだった」
物語や日記、記録などにおいて
「遭難して三日経ったが、相変わらず陸地は見えず、海と空の境界も曖昧で漠然、ぼんやりとしてよく判らない」
「曖昧」の対義語
- 「正確、精確、つまびらか」【せいかく、せいかく、つまびらか】
- 「明確、明朗」【めいかく、めいろう】
- 「クリアー、ブリリアント」【くりあー、ぶりりあんと】
「正確、精確、つまびらか」【せいかく、せいかく、つまびらか】
正確は間違いのない情報、精確は詳細で確かな描写という風に、微妙な違いがあります。
つまびらかは「詳か」「審か」と書き、つまは小さい粒子を、ひらかは開か、つまり開示する事を表します。
「明確、明朗」【めいかく、めいろう】
「明瞭」「明晰」なども同様で、「明確な指示」などと、はっきりと区別できる事を表します。
「明朗」は「明るく朗らかな気質」という意味もありますが、曖昧の対義としては「明朗会計」などという言葉の通り、不正ややましい事がない様子を表します。
「クリアー、ブリリアント」【くりあー、ぶりりあんと】
英語の「ファジー」に対する言葉です。
クリアーはともかく、宝石の輝きの見事さなどに使われるブリリアントは違和感があるかも知れませんが、ファジーの持つぼんやりした暗さに比する言葉となっています。
日本語を学ぶ外国人にとっての「曖昧語」
我々日本人みずからがしばしば違和感をおぼえるように、日本語を学ぼうとする者にとって、その曖昧さ、曖昧さを良しとしてしまう土壌や国民性はやはり、理解に苦しむ大きな壁となっているようです。
例えば何かの約束で、「ちょっと難しい」「ちょっとわからない」などと返答するのは、本人にしてみれば「検討する」または「気乗りしないので断りたい」という気持ちの婉曲だったりするところを、受け手(外国人)にはそれが是なのか否なのかがわからず戸惑った、という経験を良く耳にしますし、何かのある、なしを尋ねた場合に「ちょっとそれは置いてないです」と返されると、その「ちょっと」が何を指しているのか(この場合は「申し訳ありませんが」という意図)を汲み取れない、という事もあります。
「ちょっと一時間待ってて」などという表現は、「一時間」と明確な情報が与えられているにも関わらずわざわざ余計な言葉が付け足されていますから、日本人同士であっても気になる人は気になるでしょう。
「ちょっと」と言いたくなる心理としては、相手に対する済まなさや心地の悪さから思わず発してしまうというのが考えられますが、受け取る当人の気持ちや話し言葉の美しさという観点から見ても、極力控える事を念頭に置くべきです。
またこうした元々の性質の違いから生じる難しさは、日本人が他言語を習得しようとする際にも見られ、「疑問文にYESで返すかNOで返すか一瞬戸惑う」などは、その最たる例です。
先に述べた検索エンジンのように、大量の情報パターンを学習して、即座に類推できれば良いのでしょうが、人間にはやはり個々の差が出てしまうのも無理はなく、完全に取り除くのは難しいと言えます。
曖昧とは否定的にも、肯定的にもいかようにも捉える事ができてしまう、まさしく多義性を持つ言葉だと言う事がわかりました。
私たちは日常において、気配りのつもりでも、受け手には単に混乱の元になるような話し方をしてしまいがちです。
どんな場合においても、まずは心の中で一呼吸置いて、相手に気持ちを正しく伝えられるような整理された発言が求められるのではないでしょうか。