「俯瞰的に見る」の意味や見方、読み方は「ふかんてき」?反対語を紹介!
自分の知らない言葉が耳あるいは目に入ったとき、何という意味だろうとまごついた経験はありませんか?
小説や新聞を読んでいて知らない言葉が出てくると、それが漢字であった場合は、読めなくても意味を推し量ることもできますが、耳から音として入っただけの場合は手がかりもなく、話している相手によっては知らないとちょっとあわててしまうことになるかもしれません。
「俯瞰」もそのような言葉の一つではないでしょうか。
今日はこの言葉を取り上げてみたいと思います。
目次
- 「俯瞰的に見る」の意味とは?
- 「俯瞰的に見る」に似た言葉
- 「俯瞰する」あるいは「俯瞰的に見る」の正しい使い方
- 「俯瞰」を使ったほかの言葉
- 「俯瞰」の対義語や反対語の意味
- 「俯瞰的に見る」の英語
- 「俯瞰的な視点」で見るコツ
「俯瞰的に見る」の意味とは?
- 「俯瞰」とは?
- 俯瞰するという経験
- 「俯瞰的に見る」は間違い?
- 「俯瞰的に見る」とは?
「俯瞰」とは?
「俯瞰」という言葉は、あまり友達同士の会話の中では口にしない(耳にしない)かもしれません。
しかし、ビジネスの現場では上司などから「もっと俯瞰的に見なきゃだめだ」などと言われることがあります。
あるいは新聞や小説のなかでこの言葉と出会うかもしれません。
「俯瞰」は「ふかん」と読みますが、普段あまり日常会話に使わない言葉のため、耳から入った「ふかん」という音も、目から入った「俯瞰」という漢字も、「?」になる人もいるのではないでしょうか。
俯瞰を構成している二つの文字、「俯」には「ふせる」とか「うつむく」という意味があり、「瞰」には「見下ろす」という意味があります。
「俯瞰(ふかん)」と書いて、「高いところから広く見渡すこと」という意味になります。
俯瞰するという経験
俯瞰という言葉は知らなくても、誰もが俯瞰した経験があると思います。
子供の時、学校の屋上や友達の住む高いマンションに行って、あるいは近くに小高い丘や山があるならばそこへのぼって、頂上から自分の住む街を見下ろしたことのある人なら、この言葉の持つイメージをつかみやすいでしょう。
近所の家々も、自分の家の屋根も、いつも通る道も、学校も、駄菓子屋も、みんなが一度に見えて、いつも見ていて、見慣れたハズのものがこんなふうになっていたのか、とちょっと感動したのではないでしょうか。
その時の行為――高いところから見渡す行為――が「俯瞰」です。
この言葉を使って日記を書くとしたらこんなふうになるかもしれません。
「今日、ぼくは〇〇(友達の名前)と昼休みに屋上に行った。屋上に出るためのドアに鍵がかかっていないことを〇〇が口にしたからだ。屋上に出ると、そこは広々としていて、少し風が吹いていた。ぼくたちは屋上の端まで歩いていき、そこから街を俯瞰した。街がいつもと違って見えた」
「俯瞰的に見る」は間違い?
「俯瞰」には、「高いところからひろく見渡すこと」という意味があると書きました。
では、「俯瞰的に見る」といった場合はどのような意味があるのでしょうか。
「俯瞰」という言葉のなかにすでに「見る」という意味合いが含まれていますので、そこへもう一つ「見る」という言葉がくると、意味が重複してしまうことになります。
ということは、「俯瞰的に見る」という言い方は間違いだということでしょうか。
「約10cmほど」とか「過半数を超えた」といったように、同じ意味の言葉が繰り返されることを重言(ジュウゲンあるいはジュウゴン)と言い、一つですむものを二回繰り返すことで冗長で余計なこと、つまり間違いであるとするむきがあります。
しかし、重言は一つの強調表現で、必ずしも間違いではないとする見方もあります。
厳密に言うと「俯瞰する」が正しく、「俯瞰的に見る」は間違いかもしれませんが、この表現はよく使われるもので、一つの協調表現だと考えることもでき、会話などで使っても問題はないと思われます。
「俯瞰的に見る」とは?
では、「俯瞰的に見る」といった場合、どんな意味があるのでしょうか?
ただ「俯瞰する」といった場合と違いがあるのでしょうか?
「俯瞰」の「高いところから広く見渡すこと」という意味の、「高さ」も、「広さ」も、「見渡す」行為も、一つの物理現象です。
しかし、「俯瞰的に見る」といった場合、そこには必ずしも「高さ」が入っているわけではありません。
たとえば、上司が、「仕事がはかどるためには自分の部署のことだけを考えていてはいけないよ。
もっと俯瞰的に他の部署のことも見なきゃだめだ」と言ったとき、どこか全ての部署が見渡せる高い所に行って見て来い、と言っているわけではありません。
つまり、「俯瞰的に見る」と言った場合、それは比喩的に使われています。
「高いところから広く見渡す」ように、広い視野で物事を見なければならないと言っていることになります。
「俯瞰的に見る」に似た言葉
「俯瞰的に見る」と同じようなニュアンスを持つ言葉を集めてみました。
- 「鳥瞰(ちょうかん)する」
- 「大局的(たいきょくてき)に見る」
- 「展望(てんぼう)する」
「鳥瞰(ちょうかん)する」
鳥という字に、俯瞰でも使われている、「見下ろす」という意味の「瞰」の字が入っています。
意味は、「(空を飛ぶ鳥のような視点で)高い所から見下ろすこと」、あるいは「高い所から全体を見渡してとらえること」となります。
俯瞰も鳥瞰もほぼ同じような意味を持っていますが、実は微妙な違いを持っています。
それは「俯」と「鳥」の字が示しているように、「俯く」視線か、「鳥」の視線かの違いです。
「俯く」と言った場合、視線は角度的に真下を見ているのに対し、鳥の場合は真下とは限らず斜めに見下ろしている場合もあります。
また、漢字の成立した時代を考えると、鳥の方がはるかに高い視点を持っていることはいうまでもありません。
つまり、字義的には、鳥瞰のほうが俯瞰よりも高さも角度も広がりをもつことになります。
ところが、一般的にはこのような差異は意識されず、むしろ「鳥瞰」よりも「俯瞰」が使われているのが現状です。
「大局的(たいきょくてき)に見る」
「大局」には、「広く全体を見渡した場合の、物事のなりゆき、情勢」という意味があります。
そこで、「大局的に見る」と言った場合、「物事を全体的な観点で把握すること」「物事全体のなりゆきを考慮して見る」ということになります。
物事の全体をとらえて見る、という点では「俯瞰的に見る」と同じですが、違うのは「なりゆき」を通して見るところです。
つまり、時間軸も考慮していることになります。
「展望(てんぼう)する」
「広々と、遠くまで見渡すこと。また、そのながめ。見晴らし」、「広く、社会のできごとや将来性などを見渡すこと。見通すこと。見通し」という意味があります。
展望のなかには「見通す」という意味があり、「見通す」には、「初めから終わりまで見る」「目に見えないものを見抜く」「将来のことや物事のなりゆきを予測する」といった意味があります。
「俯瞰的に見る」が現在の状況を広く全体的に見るのに対して、「展望する」は今後の動向も含めて見る(予測する)という違いがあります。
「俯瞰する」あるいは「俯瞰的に見る」の正しい使い方
「俯瞰する」と「俯瞰的に見る」の意味と違いについて、もう少しくわしくみてみたいと思います。
「俯瞰する」=「高いところから広く見渡すこと」
「俯瞰的に見る」=「高いところから広く見渡すように、広い視野で物事を見る」
両者の違いは、「俯瞰する」が実際に高い所から見ている物理的行為であるのに対して、「俯瞰的に見る」は比喩的行為であるという違いがあります。
- 「俯瞰する」の例文1
- 「俯瞰する」の例文2
「俯瞰する」の例文1
「スカイツリーから俯瞰する都内の景色はなかなかよかった」
上記の例文で、「俯瞰的に見る」を使うとどうなるでしょうか。
「スカイツリーから俯瞰的に見る都内の景色はなかなかよかった」
違和感がありませんか?
スカイツリーから都内の景色を見ている行為は、実際に「高い所」から「見ている」という物理的行為ですので、この行為について比喩的に言うのはおかしいからではないでしょうか。
「俯瞰する」の例文2
「問題を俯瞰的に見ることで解決の糸口が見えてきた」
これは「俯瞰的に見る」を使った文章です。
都内の景色とは違って「問題」というものは目に見えません。
しかし、実際に高い所に身を置いて眼下に広がる景色を見るように、問題を抱え込んでしまった自分を、いったん問題から切り離して距離を置き、そこから問題を見ていることを示しています。
この文章に「俯瞰する」を使うとどうなるのか見てみましょう。
「問題を俯瞰することによって解決の糸口が見えてきた」
違和感がないと思いませんか?
そうです。
「俯瞰する」が使えることが分かります。
つまり、「俯瞰的に見る」という場面には、「俯瞰する」が使えるわけです。
まとめると、「俯瞰する」を使った文章に、「俯瞰的に見る」は使えない場合があるのに対して、「俯瞰的に見る」を使った文章には「俯瞰する」を使うことができるということになります。
両者を使い分けるコツは、実際に高い所から見ているのかどうか、ということになります。
山頂やスカイツリーなどのように実際に高い所から見ている行為について「俯瞰的に見る」という比喩表現を用いるのは間違いだということになります。
一方、「俯瞰する」は、必ずしも高い所から見ている行為だけでなく、それ以外の場面でも使えます。
「俯瞰」を使ったほかの言葉
「俯瞰する」あるいは「俯瞰的に見る」についてみてきましたが、「俯瞰」を使った言葉をいくつか取り上げることで、「俯瞰」を俯瞰したいと思います。
- 「俯瞰図」
- 「俯瞰撮影」
- 「真俯瞰撮影」
- 「俯瞰風景」
- 「俯瞰力」
「俯瞰図」
地図や図面を、上空から見下ろしたように描いたもので、建物や山などが三次元的に描かれています。
「パノラマ図」「鳥瞰図」ともいいます。
「俯瞰撮影」
被写体を高い位置から見下ろして撮影することを言います。
「真俯瞰撮影」
俯瞰撮影のなかでもとくにカメラを真下に向けて撮影したものを指します。
たとえば、自分で作ったケーキの出来栄えを撮るときに、テーブルの上に置いたケーキを真上から撮影する場合などです。
「真俯瞰ショット」とも言います。
たとえば、「自作のケーキを真俯瞰撮影してブログに投降した」といった使い方をします。
「俯瞰」そのものに「真下を見る」の意味があるため、「真俯瞰撮影」も意味が重複していますが、「俯瞰撮影」のなかでもとくに真下にアングルをとった撮影ということで、表現の強調、俯瞰撮影との差別化のために用いている言葉だと考えるなら、この言い方も必ずしも間違いではありません。
「俯瞰風景」
奈須きのこ原作の長編伝奇小説『空の境界(からのきょうかい)』のなかの第一章のタイトル及びその内容です。
「俯瞰力」
視野を広げて物事を客観的に見る力のことを言います。
政治やビジネス、スポーツの場面でよく用いられる言葉ですが、子育てとか友達との間に起きた問題といったものなど、日常生活のあらゆる場面で求められる力だといえます。
「俯瞰」の対義語や反対語の意味
「俯瞰」とは反対の意味を持つ言葉も取り上げてみたいと思います。
- 「仰望(ぎょうぼう)」
- 「仰視(ぎょうし)」
- 「青い空を仰望する」
- 「近視眼的(きんしがんてき)」
「仰望(ぎょうぼう)」
「あおぎ、望むこと」「心を寄せて慕うこと」の意味があります。
「仰ぐ」には、「顔を上にむける」「上を向いて高い所を見る。
見上げる」の意味があり、「望む」には、「遠くをながめる」「はるかに見渡す」の意味があるので、「俯く」の意味の「俯」に、「見下ろす」の意味の「瞰」から成り立つ「俯瞰」とは、物理的意味合いにおいて対語になります。
「仰視(ぎょうし)」
意味は、「あおぎ見ること」になります。
仰望と仰視はどちらも「仰ぎ見る」ことですが、違いはないのでしょうか。
「仰」の後に続く漢字にヒントがあります。
「視る」には、「注意して視線を注ぐ」「まっすぐに見る」という意味があります。
そして「望む」には先にも書いたように「遠くをながめる」とか「はるかに見渡す」の意味があります。
対象に対して注意を払うように見たものなのか(あるいは対象だけをまっすぐに見たものなのか)、はるか遠くを見渡すような感じで見たものか、同じ顔を上に向けて見た行為でも、どのように見たのか、強調したいほうに使い分けることができます。
たとえば次のような文章でその差異を考えてみたいと思います。
「青い空を仰望する」
どこまでも続く空には広がりがあります。
この場合、空を「仰視する」ではなくて「仰望する」がふさわしいでしょう。
しかし、空に「仰視」を使うのは間違いだと言っているのではありません。
たとえば、空の一点を見つめているようなときには「仰視」になるでしょう。
「富士山を仰視する」はどうでしょうか。
富士山に注意を払って見ているなら「仰視」を使い、富士山という山に対して親しみをもって見ているなら「仰望」になります。
同じ対象を見ていても、どんなふうに見ているかで使う言葉も変わります。
「近視眼的(きんしがんてき)」
「目先のことにとらわれて、全体や将来に考えが及ばないさま」という意味があります。
「俯瞰」を比喩的に用いた場合の対義語になります。
「俯瞰的に見る」の英語
「俯瞰する」といった場合には、物理的な意味(高い所から全体を見下ろす)という意味と、比喩的な意味(高い所から見るように、物事全体を広い視野で見る)の両方があるのに対して、「俯瞰的に見る」といった場合には、物理的な意味はなく、比喩的な意味で使われることはすでに述べました。
では、英語で表現する場合はどうなるのでしょうか。
実際に高い所から見下ろす行為(物理的)を表すものとしては“overlook”が近いでしょう。
“When I overlook the city of Tokyo from the TOKYO SKYTREE, it was so wondeful.” (スカイツリーから東京を俯瞰したとき、とても素晴らしかった)
一方、比喩的な意味で物事を見る場合は、“take a broad view of things”(物事を広く見る)、あるいは“think about things from a higher perspective”(より高い観点から物事を考える)が近いでしょう。
また、「俯瞰撮影」については、英語では“a crane shot”、「俯瞰図」は“a bird's-eye view”となります。
「俯瞰的な視点」で見るコツ
今までは「俯瞰」という言葉の持つ意味について考えてきました。
ここで視点を変えて、俯瞰的な見方を身につけるにはどうすればいいかについても少し考えてみたいと思います。
- 俯瞰的な見方を身につけることは可能なのか?
- 俯瞰的な見方を身につけるには
- 自分の感情や行動を言語化する
- 他人の意見に耳を傾ける
- 事実か解釈かを区別する
俯瞰的な見方を身につけることは可能なのか?
人工衛星やロケットが打ち上げられる時代に生きるわたしたちは、地球の姿を、映像によって間接的にですが俯瞰することができます。
そして、わたしたちは地球が丸いことを知識として知っています。
しかし、物理的に地球を外から見ることができなかった時代に、すでに地球が丸いと考える人たちがいました。
彼らは地球について比喩的な意味において「俯瞰」していたといえるでしょう。
また、太陽が地球の周りをまわっているのではなく、地球が太陽の周りをまわっていると考えた人たちも、地球や太陽について「俯瞰」していたといえます。
地上から太陽を見ている分には、どうしても太陽の方が動いているように見えます。
彼らは、なぜ、俯瞰的に見ることができたのでしょうか。
少なくとも、俯瞰的に見るのが難しいような状況でも、それを可能にした人たちがいるということは、「俯瞰的に見る」ことが不可能なことではないことを私たちに教えてくれています。
ではどうすれば、わたしたちは「俯瞰的な見方」を身につけることができるのでしょうか。
俯瞰的な見方を身につけるには
この問いについてだれもが納得しうる答えを私は持ち合わせていません。
「俯瞰」という言葉の意味を知り、それをイメージできたとしても、俯瞰的な見方を身につけるのは簡単ではありません。
俯瞰力も、筋肉の持久力や瞬発力のように訓練して培っていく必要があります。
誰かがそのトレーニングの方法や内容について言っていたとしても、それが全ての人に当てはめることのできるものなのかどうかは疑問です。
そこで、解答ではなく、参考として、効果があると思われることを取り上げるにとどめたいと思います。
自分の感情や行動を言語化する
自分がどんなふうに感じたか、どんなふうに反応したか、そういったことを言葉にしてみるのは自分を客観視するための助けになりかもしれません。
頭のなかで言語化するのもいいですが、欲を言えば日記をつけて、それを文字として書き記すのはさらに助けになるでしょう。
頭のなかにあった考えを紙に書き出し、あらためてそれを読むとき、違う視点から眺めやすくなります。
他人の意見に耳を傾ける
人は実にいろいろな考えを持っているものです。
十人十色といいます。
いろいろな人からその考えていることを聞くのは、様々な観点にふれる良い機会となります。
そして多くの考えにふれることは、それだけ自分のなかに判断材料も増やすことになります。
本を読むことも、他人の考えにふれる機会となります。
積極的に、自分以外の人の考えに触れる機会を持つようにしましょう。
事実か解釈かを区別する
積極的に他人の考えにふれることは、いろいろな見方を身につけるのに役立ちますが、注意したいこともあります。
それは、読んだり聞いたりした意見が、「事実」なのか、あるいは一つの「解釈」にすぎないのかという点をわきまえるということです。
「事実」か「解釈」かを区別して考える習慣を持つのは大切です。
あなたが宝くじを当てたとき、それを知った人はあなたを幸運な奴だと言うかもしれません。
あなた自身も自分をそのように考えるかもしれません。
しかし、宝くじに当たったことは事実であっても、あなたがほんとうに幸運な人かどうかはわかりません。
あなたはある日、突然恋人から去られ、恋人を失うかもしれません。
あなたは自分を不幸な人間、あるいはダメな人間だと考えるかもしれません。
しかし、恋人に去られたことは事実であっても、不幸な人間と考えたり、ダメな人間と考えたりするのは解釈にすぎません。
あなたは悲しんでも、自分を不幸な人間だとかダメな人間だとか考える必要はありません。
なぜなら、その考え方は一つの解釈にしかすぎないからです。
「事実」か「解釈」かを区別して考えることができれば、ある考えにとらわれてそこから抜け出せなくなるということを避けることができます。
ある考えにとらわれないということも、物事を客観視するために重要なことではないでしょうか。
「俯瞰」についてまとめると次のようになります。
「俯瞰」には、物理的な意味(高い所から全体を見下ろす)と、比喩的な意味(高い所から見るように、物事全体を広い視野で見る)があること。
「俯瞰的に見る」と言った場合、それは実際に高い所から見ているわけではなく比喩であること。
「俯瞰」のなかにすでに「見る」という意味があるために重言となりますが、強調した表現だとすれば必ずしも間違いではないという見方もできること。
「俯瞰」の意味から派生した言葉に、「真俯瞰撮影(あるいは真俯瞰ショット)」や「俯瞰力」といった言葉があること。
「俯瞰的な見方」を身につけるために生活のなかで実践できることとして、自分の考えや行動を言語化したり、他人の意見によく耳を傾けて、いろいろな考え方にふれたり、本を読んだりすること、事実と解釈を区別して考えることを取り上げました。
自分の置かれた状況や問題を「俯瞰」できるかどうかは、社会人として生きていく上で必要不可欠な要素だといってもいいでしょう。
物理的に「俯瞰」する場合、それはどこか高い場所へ行ってそこから下を見下ろばすみます。
しかし比喩的な意味で物事を「俯瞰」する場合、高い場所に当たるところはどこになるのでしょうか。
少なくとも自分が元いた場所(考え)から離れてみることでしょう。
そのためには、自分の考えを言語化したり、自分の考えだけにこだわらず、多くの人の意見を聞くようにすることが大切です。
物理的な意味でも、比喩的な意味でも、高い場所へ行くにはのぼるという努力が必要になりますが、高みに立って俯瞰したその景色はその人の人生の財産になることでしょう。