「慙愧」とは?意味や使い方!例文や解釈
「慙愧」とは、「自分の行いや発言を反省して恥ずかしく思うこと」を意味する言葉です。
「慙愧」の「意味・読み方・使い方・慙愧を使った言葉・反対語・例文と解釈・類語(シソーラス)や言い換え・英語と解釈」について、詳しく説明していきます。
目次
- 「慙愧」とは?
- 「慙愧」の表現の使い方
- 「慙愧」を使った言葉と意味を解釈
- 「慙愧」を使った例文や短文など(意味を解釈)
- 「慙愧」の反対語
- 「慙愧」の類語や類義語・言い換え
- 「慙愧」の英語と解釈
「慙愧」とは?
「慙愧」という表現は、「自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと」を意味しています。
「慙愧」というのは、「自分の行動・発言を振り返ってみて悪いこと(間違ったこと)をしたと恥ずかしく思うこと、罪悪感を感じること」を意味している表現なのです。
- 「慙愧」の読み方
- 「慙愧」の語源・由来
「慙愧」の読み方
「慙愧」の読み方は、「ざんき」になります。
「慙愧」の語源・由来
「慙愧」の語源は「罪悪・煩悩(欲望の執着)を恥じること」を意味する仏教語に由来していると考えられていますが、元々は「慙(ざん)」と「愧(き)」は別の意味を持つ言葉でした。
「慙」という漢字は「自分自身の心に対して罪・過ち・見苦しさを恥じること」を意味していて、「愧」という漢字は「他人に対して罪・過ちを告白して恥じること」を意味しているのです。
また、「慙」の漢字は「自分自身が罪を犯さないこと」を意味していて、「愧」は「他の人に罪を犯させないこと」を意味しているということに語源があります。
「慙愧」の表現の使い方
「慙愧」の表現の使い方は、「自分の言動を反省して、その過ち・見苦しさ・罪悪を心から深く恥じる場合」に使うという使い方になります。
例えば、「彼女の最後の頼みを聞くことができなかった不甲斐なさを今になって慙愧しています」といった文章で、「慙愧」という表現を正しく使用することができるのです。
「慙愧」を使った言葉と意味を解釈
「慙愧」を使った言葉を紹介して、その意味を解釈していきます。
- 「慙愧の念」【ざんきのねん】
- 「慙愧の至り」【ざんきのいたり】
- 「慙愧する」
「慙愧の念」【ざんきのねん】
「慙愧の念」という言葉は、「自分自身の行動・発言を振り返ってみて、自分の過ち・罪悪・見苦しさを恥ずかしいと思う気持ち」を意味しています。
「慙愧の念」は一般的に、「慙愧の念に堪えない」といった言い方で使われることが多くなっています。
例えば、「今回のようないじめ事件が発生したことについて、学校として慙愧の念に堪えません」といった文章で使われます。
「慙愧の至り」【ざんきのいたり】
「慙愧の至り」という文章は、「これ以上ないほどに、自分の発言・行動について恥ずかしく思っている、最高に情けなく思っている」ということを意味しています。
例えば、「このような不祥事を社員が起こしてしまい、慙愧の至りでございます」といった謝罪文のような文章で使用することができます。
「慙愧する」
「慙愧する」という言葉は、「自分の言動を振り返ってみて、その過ち・罪悪・見苦しさについて恥ずかしく思う」ということを意味しています。
例えば、「何十年も経った今でも、友人が亡くなったあの交通事故のことを慙愧しています」といった文章で使われます。
「慙愧」を使った例文や短文など(意味を解釈)
「慙愧」を使った例文・短文などを紹介して、その意味を解釈していきます。
- 「慙愧」を使った例文1
- 「慙愧」を使った例文2
「慙愧」を使った例文1
「今回の事件の犯人は逮捕することができましたが、一人の少年の生命を救うことができなかったことに対して、誠に慙愧の念に堪えません」
この「慙愧」を使った例文は、「今回の事件の犯人は逮捕することができたが、一人の少年の生命を救うことができなかったことに対して、本当に恥ずかしい気持ち(情けない気持ち)でいっぱいである」ということを意味しています。
「慙愧」を使った例文2
「私があの時にもっと適切な判断をしていたら、こんな悲惨な事故を起こさずに済んだのにと、毎日慙愧してばかりいます」
この「慙愧」を使った例文は、「私があの時にもっと適切な判断をしていたら、こんな悲惨な事故を起こさずに済んだのにと、毎日、自分の過去の過ち・罪悪について恥ずかしく思っている」ということを意味しています。
「慙愧」の反対語
「慙愧」の反対語を紹介して、その意味を説明していきます。
- 「無慙」【むざん】
「無慙」【むざん】
「慙愧」の反対語として、「無慙(無慚)」を上げることができます。
「無慙(無慚)」の語源は仏教語の「アーフリーキヤ」に由来していて、「自分を恥じる気持ちがない煩悩」のことを意味していました。
「無慙」というのは、「戒律・倫理規範などを破っても、自分の心に少しも恥じることがない、反省するところがない」ということを意味しています。
その意味から、自分の言動を振り返って恥ずかしく思う「慚愧」とは反対の意味を持つ反対語(対義語)として、「無慙」を上げることができるのです。
「慙愧」の類語や類義語・言い換え
「慙愧」の類語・類義語・言い換えについて、分かりやすく解説していきます。
- 「羞恥・恥ずかしさ」
- 「後悔・悔やむ」
- 「自責・忸怩」
「羞恥・恥ずかしさ」
「慙愧」の類義語・言い換えとして、「羞恥・恥ずかしさ」があります。
「羞恥」という表現は、「恥じらい・恥ずかしいと思うこと」を意味しています。
その意味から、自分の言動を反省して恥ずかしく思うことを意味する「慙愧」とほとんど同じ意味を持つ類義語(シソーラス)として、「羞恥・恥ずかしさ」の表現を上げることができるのです。
「後悔・悔やむ」
「慙愧」の類語・言い換えには、「後悔・悔やむ」があります。
「慙愧」という表現は、「自分の言動を反省して後悔したり恥ずかしく思ったりすること」を意味しています。
その意味合いから、「慙愧」の表現は「後悔・悔やむ」という表現に言い換えることができるのです。
「自責・忸怩」
「慙愧」の類義語・言い換えとして、「自責・忸怩」があります。
「自責」の言葉は「自分で自分の過ちを責めること」を意味していて、「忸怩」の表現は「自分の過ち・罪悪を恥ずかしく思うこと」を意味しています。
それらの意味から、自分の言動を恥じることを示す「慙愧」と近しい意味を持つ類義語として、「自責・忸怩」という表現を指摘できます。
「慙愧」の英語と解釈
「慙愧」という言葉を英語で書き表すと、以下のようになります。
“shame”(恥ずかしさ・羞恥する・慙愧)
“be unbearable to shame”(恥ずかしい思いに耐えられない・慙愧)
“feel deeply ashamed of oneself”(自分のことを深く恥ずかしいと思う・慙愧する)
“be overwhelmed with shame”(参ってしまうほど深く恥じる・慙愧する)
- “I was overwhelmed with shame about my serious mistakes.”
“I was overwhelmed with shame about my serious mistakes.”
「慙愧」を使ったこの英語の例文は、「私は自分が犯した深刻なミスについて慙愧の念に堪えませんでした」ということを意味しています。
「慙愧」という言葉について徹底的に解説しましたが、「慙愧」には「自分の行いや発言を反省して恥ずかしく思うこと」などの意味があります。
「慙愧」の類語(シソーラス)・言い換えとしては、「羞恥・恥ずかしさ」「後悔・悔やむ」「自責・忸怩」などがあります。
「慙愧」という言葉について詳しく調べたい時は、この記事を参考にしてみて下さい。