「了見が狭い」とは?意味や言い換え!例文と解釈
「了見が狭い」、という表現を知っているでしょうか。
そのような人物にはなりたくないと思う人も多いかもしれませんね。
ここでは「了見が狭い」、という表現について紹介していきます。
目次
- 「了見が狭い」とは?
- 「了見が狭い」の英語と解釈
- 「了見が狭い」の表現の使い方
- 「了見が狭い」を使った例文と意味を解釈
- 「了見が狭い」の類語や類義語・言い換え
「了見が狭い」とは?
「了見が狭い」、というのは人の考え方などが偏っていたり狭かったりする、偏狭な、という意味があります。
人格や器量に乏しいなどという時にも使われる表現であり、了見という言葉には考えや気持ち、よく考えて判断すること、などという意味があるのです。
例えば、テレビやインターネットでいろいろな情報を得られる時代になりましたが、そのような情報を鵜呑みにして実際に見に行く事はしない、昔インターネットで得た情報を鵜呑みにしている、などというのはまさに了見が狭いと言えるでしょう。
- 「了見が狭い」の読み方
「了見が狭い」の読み方
「了見が狭い」、というのは「りょうけんがせまい」と読みます。
日常的にも使える表現ですので、ぜひ覚えておきましょう。
「了見が狭い」の英語と解釈
「了見が狭い」、という表現を英語にすると“narrow minded”なり、狭い考え方をしているという意味になります。
例えば、「私の母は了件が狭くて困ってしまう」ということであれば“My mom is such a narrow minded and I'm not comfortable.”になります。
「了見が狭い」の表現の使い方
インターネットやテレビなど、誰かが撮影した写真や誰かの見解を聞き、それを鵜呑みにしてしまう人を見たことがあるでしょうか。
自分で何かを見に行った、自分で写真を撮った、自分で考えた、などということではなく、他の人がやったことを鵜呑みにしてしまう場合、それは「了見が狭い」といえます。
また、他の人の考え方を受け入れられない、自分の考えばかりが正しいと思っている、などという場合も「了見が狭い」と考えられます。
最近はグローバル化が進み、海外の人たちと話す機会も増えましたね。
海外の人たちの文化が受け入れられない、日本の文化ばかりを押し付ける、などというのも「了見が狭い」と言えるでしょう。
「了見が狭い」を使った例文と意味を解釈
これは例文を紹介していきます。
- 「了見が狭い」を使った例文1
- 「了見が狭い」を使った例文2
「了見が狭い」を使った例文1
「私の父は了見が狭く、外国人の考え方が受け入れられません」
日本人は自分たちの文化に誇りを持ちすぎるとも言われています。
そのため柔軟な考え方ができず、他の人たちの考え方が受け入れられない、「ここは日本なんだから」と主張して日本国内で働く外国人の考え方が受け入れられない、という人たちもいます。
グローバル化が進む昨今、そのような考え方では海外についていけなくなるとも言えるでしょう。
外国に関心を持つことも大切なのではないでしょうか。
「了見が狭い」を使った例文2
「彼はコメンテーターの意見ばかりを鵜呑みにしており、本人はいつも了見が狭いです」
ニュースなどを見たとき、コメンテーターの意見を鵜呑みにしてしまう、自分で考えられない、という人は「了見が狭い」と言われてしまうかもしれません。
自分自身で考えられない、他の人の強い意見を信じてしまう、という場合は視野が狭いということになります。
自分で物事を考えることが重要です。
「了見が狭い」の類語や類義語・言い換え
ここでは類義語を紹介していきます。
- 「心の狭い」【こころのせまい】
- 「器が小さい」【うつわがちいさい】
「心の狭い」【こころのせまい】
心の狭い、というのは許容範囲や柔軟性、見解の広さが欠けているという意味です。
誰かに対して許すという姿勢を見せない場合、心の狭い人だと言われてしまうこともあるかもしれません。
「器が小さい」【うつわがちいさい】
器が小さい、というのは容器の容量が少ないという意味であり、人格や企業、才能が乏しいという意味です。
器量が小さい場合、器が小さいと言われます。
「了見が狭い」人にはなりたくないものです。
他の人の意見を聞き入れる柔軟性を持つように心がけましょう。