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「実るほど頭が下がる稲穂かな」の意味とは?類語、使い方や例文とは?

日本語には、古くから伝わってきたことわざ・故事があります。

「ものの例え」とでも言うのでしょうか? 人の気持ちを自然の風景に置き換えて表現していることわざが数多くあります。

最近では、インターネットの普及によって、TwitterやLINEでのコミュニケーションが発達して、ネットスラングのような言葉もたくさん生まれていますが、ことわざを改めて噛み締めるのも、日本語の奥深さをじっくりと感じることもいいことかもしれませんね。

実るほど頭が下がる稲穂かな

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「実るほど頭が下がる稲穂かな」の意味とは?類語、使い方や例文とは?>


目次

  • 「実るほど頭が下がる稲穂かな」の意味とは?
  • 「実るほど頭が下がる稲穂かな」の類語や似たことわざ
  • 「実るほど頭が下がる稲穂かな」の使い方
  • 「実るほど頭が下がる稲穂かな」を使った例文
  • 「実るほど頭が下がる稲穂かな」から学びたい事


「実るほど頭が下がる稲穂かな」の意味とは?

「実るほど頭が下がる稲穂かな」の意味とは?

「実るほど頭が下がる稲穂かな」ということわざも、その意味を知れば知るほどに、心が洗われてくる気持ちになるかもしれません。

このことわざの意味を一言で例えると、「謙遜」ということになるでしょう。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」では、稲の穂が次第に成長してきて実って来ると、穂先が低く下がって行くことを言っています。

これと同じように、人間も社会的な地位を確立して、偉くなればなるほど、謙虚な姿勢で人と相対したり、接することがとても大切なことです。

企業でも、常に成長と発展することを命題としていますが、その時に考えなければならないことは、大きくなればなるほど、会社姿勢や社員の態度が、ますます丁重にならなければなりません。

このような「素直さ」「謙虚さ」を自ら身に付けることが、とても大切です。

これが「実るほど頭が下がる稲穂かな」の込められた意味と言えるのです。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」には、古き良き日本人の姿勢が脈々と受け継がれていると思うのですが、このことわざを作った人は不詳となっており、どのような背景で詠まれた句が分かりません。

ただ、五七五調であることを見ると、俳句が生まれた時代以降に詠まれている句ではないかと思われます。

何れにしても、とても感慨深いことわざであることは間違いありません。

  • 「実るほど頭が下がる稲穂かな」の読み方

「実るほど頭が下がる稲穂かな」の読み方

「実るほど頭が下がる稲穂かな」の読み方は、「みのるほどこうべをたれるいなほかな」となります。

「頭」をどうしても「頭」と読みそうになりますが、「こうべ」となります。



「実るほど頭が下がる稲穂かな」の類語や似たことわざ

「実るほど頭が下がる稲穂かな」の類語や似たことわざ

「実るほど頭が下がる稲穂かな」は、「常に謙虚な気持ちを持つこと」になります。

このことわざに近い意味を持つ言葉には、 次のような言葉が挙げられます。

  • 「気取らない」
  • 「堅苦しくない」
  • 「もったいぶらない」

「気取らない」

「あの子は、ホントにいい性格の女の子だよね。どんなに人気があっても、全然、気取らないところがいいね。」

可愛いルックスと見事なスタイルで多くの男性から人気の女性。

普通なら同性からは嫌われやすいタイプの女性っているものですが、「気取らない」性格がとても良くて、異性・同性から好かれる人って、少なくありませんね。

「気取らない」「実るほど頭が下がる稲穂かな」と同じ意味があります。

「庶民的な」「がらっぱち」「衒いがない」「飾らない」「もったいぶらない」「ふん反り返らない」「控えめな」「気どらない」「大家ぶらない」「さっぱりした」「自慢しない」「ぶらない」「下町風」「能力をひけらかさない」「偉ぶらない」「誠実な態度」「形式ばらない」「気軽な」「飾り気のない」「偉ぶったところがない」「威張らない」「親しみの持てる」「鼻にかけない」などの意味が意味もあります。

「堅苦しくない」

「堅苦しくない」も、類義語として、挙げられます。

「誠実な態度」「気軽な」「対等な関係」「愛すべき」「能力をひけらかさない」「自慢しない」「気持ちを思いやる姿勢」「気どらない」「飾り気のない」「ちゃきちゃき」「気さくな」「もったいぶらない」「威張らない」「気取らない」「偉ぶらない」「ざっくばらんな」と言った言葉にも置き換えることがでまきす。

「あの人はあれだけ偉くなっても、全く堅苦しくないところが魅力的ですね。」

社会的な地位を確立した人でも、苦労して昇り詰めた人は、とても腰が低くて、堅苦しくない姿勢を持っているものです。

「もったいぶらない」

「もったいぶらない」も、とても意味が近い言葉として使われます。

「彼はとても頭がいい人だけど、何にしてももったいぶらない点が、とてもいいよね。」

頭の切れる人は、何かにつけて、高慢になったり、鼻にかけることがあります。

でも、とてもざっくばらんな性格で、知識を自慢せずに、「もったいぶらない」、ある意味、謙虚な姿勢を持つ人もいます。

このような人は、とても好感の持てる人と言えますね。

似たような言葉としては、「気持ちを思いやる姿勢」「下町風」「腰が低い」「気さくな」「気安い」「ちゃきちゃき」「さっぱりした」「 飾り気のない」「自分を飾らない」「偉ぶらない」「能力をひけらかさない」「がらっぱち」「親しみのもてる」「ぶらない」「とらわれない」「こだわりのない」「気楽な」「すがすがしい」「屈託がない」「さっぱりした性格」「くだけた」「正直な人柄」「フランク」「飾りけのない」「自分をさらけ出す」「隔てのない」と言ったような意味もあります。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」の使い方

「実るほど頭が下がる稲穂かな」の使い方

「実るほど頭が下がる稲穂かな」を使うシーンとしては、性格の穏やかな、そして謙虚な人などに対して、使ったりすることがありますが、会社のあるべき姿として、例えることもあります。



「実るほど頭が下がる稲穂かな」を使った例文

「実るほど頭が下がる稲穂かな」を使った例文
  • 企業の姿勢を表す時に使う
  • 人の姿勢を表す時

企業の姿勢を表す時に使う

「我が社は創立してもう、30年になります。歴史の中で、苦しくとうさんの憂き目にあったこともありましたが、今では業界でもトップクラスと言える地位を確立することができました。 しかし、『実るほど頭が下がる稲穂かな』という精神を忘れずに、これからも進んで参りましょう。」

このようなコメントが、企業のトップから出されることがよくあります。

社長、経営者の立場になっても、会社が大きく成長しても、決しておごることなく、常に謙虚な姿勢で事業を営むことで、堅実な経営を貫くことこそ、社会的責任を果たす存在となるのです。

人の姿勢を表す時

「後輩に対して、あの態度は良くないぞ。例え、年下でも、『実るほど頭を垂れる稲穂かな』って言う姿勢で、接しなきゃ信頼されなくなるぞ。」

人は、どのような人に対しても、常に謙虚な気持ちで接することが大切です。

それが、年下の人でもです。

特に企業の組織に属する中で、仕事上での上下関係があっても、上司でも部下に対して、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の精神で接する必要があります。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」から学びたい事

「実るほど頭が下がる稲穂かな」から学びたい事

「実るほど頭が下がる稲穂かな」の意味を知れば知るほどに、このことわざが示している意味を人1人ひとりが持ちたいものと思うのです。

「謙虚」の対をなす姿勢とては、「傲慢」があります。

「自分は常に謙虚な気持ちを持っている。」

と思っていても、多くの人は、自分でも気付かないうちに、傲慢な振る舞いや生き方をしているのではないでしょうか? 傲慢な態度を取ったことによって、手痛い失敗や、苦い経験をしてしまったということもあります。

しかし、その苦しかった経験を糧にしてから、様々なことを学んでいくうちに、周りの人達からも、信頼を得て、自分の思い描く理想の到達点に達することができるのです。

自分が望む結果を手に入れられるようになり、それが今の成功や発展につながってくるはずです。

但し、そうだからと言ってむやみやたらと20代、30代と若い時から腰の低い謙虚な姿勢ばかり続けることでは、必ずしも、将来的に社会的な成功を手にする人は、意外と少なかったりします。

謙虚な姿勢を保ち、生き続けて大きな成功を収めている人もいますが、数としては決して多くはなく、特別な力や能力を持っているような人でもない限り、普通のには、真似ができないことかもしれません。

そのようにかんがえると、「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」という言葉の意味から「謙虚はとても大切なこと」ということを人生の中で、持ち続けることは、必要な反面、無意味に輿を低くしていれば、それでいいと言う訳でもなさそうです。

稲穂は、実った時に、ゆったりと頭を垂れています。

しかし、苗の頃は、実を付けるまでは頭を下げているのではありませんね。

大きく成長するために、グングンと空に向かって伸びていきます。

これと同じように、人も若いうちは、常に頭を下げて謙虚に慎ましく生きていく姿勢を持つことは、必要ないのかもしれません。

行き過ぎた高慢な態度も問題はありますが、若いパワーをフルに使って頭を上げて生きていく方が、立派な成長(実り方)をするかもしれません。

icon まとめ

人が生活している中で、常に謙虚な姿勢になることは、とても大切なことです。

多くの人が、このような考え方を否定することはないでしょう。

しかし、往々にして「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を人ほど、必ずしまも、立派な人や人格者とは、言えないことも少なくありません。

人は成長する過程において、数々の経験を踏んでいきます。

嬉しいこともあれば、苦しい時もあります。

むしろ、苦しいことの方が多いのではないでしょうか? その時に、どのように受け止めるかです。

「なんて運がついてないんだ。」

「こんな経験はめったにできない。ノウハウを貯める絶好のチャンスだ。」と、受け止め方は様々です。

ビジネス成功のノウハウ本などでは、「ブラス思考」を重視しており、受け止め方でも、後者のような考え方をすべきだと説いています。

しかし、多くの人は、頭の中で理解していても、やはり感情が着いてこれないのです。

おそらく多くの人が、「ついていないな。」と思うはずです。

このような受け止め方も素直に思っても、構わないと思うのです。

しかし、段々と年齢を重ねて、多くの敬虔を積むことによって、また、次の苦しいステップになった時に、 「成長してもできる、絶好のチャンスだ!」と思えるようになったなら、これこそ、真の「謙虚」な姿勢と言えるのです。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言う姿勢は、人生の中では、とても大切な考え方ではありますが、若い時はやんちゃなスタイルでもいいではありませんか。

それで数多くの経験をしていくことで、「謙虚な」姿勢に変わっていければいいと思うのです。