「見識が狭い」の意味とは?読み方、反対語や使い方、例文や例えを紹介!
「見識が狭い」とはどのような意味を持っているのでしょうか。
これはビジネスなどでも使われる表現ですから、知っているという人も多いかもしれませんね。
ここでは、「見識が狭い」という表現の類義語や対義語について学びましょう。
目次
- 「見識が狭い(けんしきがせまい)」の意味とは?
- 「見識が狭い」人とはどのような人か
- 「見識が狭い」の類義語とは
- 「見識が狭い」の対義語とは
- 「見識が狭い」の例文
「見識が狭い(けんしきがせまい)」の意味とは?
- 「見識」の意味
- 「見識が狭い」の意味
「見識」の意味
「見識」という言葉自体はテレビなどでも聞くことがありますし、ビジネスシーンでもよく使われる言葉です。
見識というのは「物事の本質を鋭く見通した優れた判断力」「ある物事についての確かな意見や考え」「独自の判断力や意見」という意味を持っています。
「見識が狭い」の意味
そのため、「見識が狭い」というのは「知識が浅く、狭い視野でしか物事を判断できないこと」を指しています。
「物事を的確に判断することができず、本質を見極めることができない人」を指すのです。
「見識が狭い」人とはどのような人か
- 自分の考えが正しいと思っている
- 物事の先を見ることができない
- 理想論ばかり述べている
- 向上心がない
- 決めつけた考え方をする
自分の考えが正しいと思っている
自分の考えが正しいと思っている人は他の人の意見を正しいと認めることができないという特徴があります。
自信過剰でプライドが高い、という人も多いでしょう。
しかし、何事であってもその人の意見が最も正しいとは言い切れません。
常に状況が変化しており、十人十色の考え方があるのです。
しかし「見識が狭い」人は自分がいつも正しい、自分がいつも正確である、と思い込んでおり、周りを見ることができなくなります。
人を認めることができないため人間関係を上手に気づくことができず、出世もしにくいという特徴があります。
物事の先を見ることができない
景色が狭い人はそもそも周りを見ていません。
周りを見ていないという事は目先のことしか目に写っておらず、今が良ければ問題ないと考えることもあります。
例えば、今がんばって勉強すれば明日には良い成果を得ることができる、という考え方はしないのです。
それよりも今楽することを考える特徴があります。
そのため戦略を立てることができず、窓際族になりやすいと考えられます。
理想論ばかり述べている
自分の意見が1番正しいと思っている人は理想論を述べる傾向があります。
確かに理想を持つという事は素晴らしい事ですが、景色が狭い人は向上心に欠けるため、理想を述べるだけで終わってしまう特徴があるのです。
理想を実現するためには努力しなければいけませんよね。
しかし努力することもできないので、口先だけの人だと思われてしまうこともあります。
向上心がない
自分の意見が1番正しいと思っている「見識が狭い」人はそもそも自分の立ち位置を高く見ていますから、向上心がありません。
そもそも「自分が高いところにいる」、「これ以上控除する必要は無い」という考え方を持っている人さえ存在します。
しかし周りの人はどんどん向上していきます。
ウサギとカメのように、今はウサギのように頭の上に立っていたとしても、向上心がなければいつかは置いていかれてしまうのです。
決めつけた考え方をする
色が狭い人は理想論を述べる傾向にあり、周りの人の意見を聞きません。
その上「自分の考え方が1番正しいと思っています」から、周りをすぐに決めつけるという特徴があります。
例えば夫婦の関係はこうでなければならない、仕事はこうでなければならない、子供と親の関係はこうでなければならない、とすぐに決めつけるのです。
つまり頭が固い、頑固、という表現も「見識が狭い」ということにつながるかもしれません。
「見識が狭い」の類義語とは
- 「視野が狭い」【しやがせまい】
- 「固定観念が強い」【こていかんねんがつよい】
- 「既成概念に囚われた」【きせいがいねんにとらわれた】
「視野が狭い」【しやがせまい】
「視野が狭い」というのも「物事を多面的に見ることができず一点集中型になっている」、「自分の価値観を第一だと思っており他の人の見方を聞き入れようとしない」、「固定観念が強く、他の人の判断基準を重視しない」、「想像力が乏しく、周りに配慮することができない」、「真面目すぎてユーモアがない」、「立ち振る舞いに余裕を持って行動することができない」などという特徴が挙げられます。
「固定観念が強い」【こていかんねんがつよい】
人間には学習能力があり、それを基盤に次は何が起こるのかということを予測し、自分の行動を決めるのです。
人間は学習能力が性格を形作っているとも言えるでしょう。
そのような中で固定観念が強すぎてしまうと周りの人の意見を聞き入れることができません。
また、そもそも固定観念が強いと今何が起こっているのかということを正確にとらえることができず、視野が狭くなって自分のやり方を重視しすぎてしまうのです。
変化を上手に取り入れることができないため、1人だけ取り残されてしまったり、人間関係をうまく気づくことができないという特徴があります。
「既成概念に囚われた」【きせいがいねんにとらわれた】
「既成概念に囚われた」という表現も「見識が狭い」の類義語に当たります。
自分の考え方に固執している人、先入観に囚われている人などは自分の意見を重視しすぎてしまい、周りの意見を聞き入れることができません。
物事を一面的にしか見ることができず、多面的に判断することができないため周りの人と差が生じてしまうこともあります。
世の中にはたくさんの人がいますから、様々なものの見方を大切にしなければいけないのです。
「見識が狭い」の対義語とは
- 「見識が広い」【けんしきがひろい】
- 「視野が広い」【しやがひろい】
- 「井の中の蛙大海を知らず」【いのなかのかえるたいかいをしらず】
「見識が広い」【けんしきがひろい】
「見識が狭い」の最後にはまず「見識が広い」という表現が当てはまります。
物事に対する考え方や判断力が優れており、周りの意見を聞き入れ、自分の意見を改める、物事を現実的に見て向上心を持っている、などという人のことを指します。
例えば見識がひどければリーダーとして働くこともできますし、周りから相談を受けることもあるでしょう。
例えば犬や猫しか見ることができない獣医に対し、小動物や馬などの大きな動物を見ることができるような獣医は見識が広いといえます。
「視野が広い」【しやがひろい】
先ほど「見識が狭い」の類義語として「視野が狭い」という表現を紹介しました。
これは「視野が狭い」という表現の対義語でもあります。
視野が狭い人は「新しいことを取り入れようとして積極的に行動することがないため、同じようなことばかりを話してしまったり、先入観で物事を判断しようとするため、他の人の見解を無視してしまったりする」特徴があります。
綺麗事で物事を判断しようとする傾向もあり、現実的に生きていくことができません。
確かに理想通りに物事が進むと人生は楽ですが、生きていると理想論だけでは生活できないですよね。
そんな時に現実的ではない理想論を語っていると、視野が狭い人だと思われてしまうことがあります。
「井の中の蛙大海を知らず」【いのなかのかえるたいかいをしらず】
「井の中の蛙」と言われることもあります。
狭くて閉じた世界観の中に存在し、広い世界を知らない状態、あるいはそのような状態にある人を指します。
これもマイナスな事柄で使われることが多いことわざです。
中国の思想家、荘子が「井戸の中にいるカエルはずっと狭い世界しか見たことがなく、海を見たことがないため、視野が狭くありきたりの知識しかない」という意味の表現をしました。
これが「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉になったのです。
もしも「あなたは井の中の蛙だね」と言われた場合、それは「あなたには視野が狭い」と言われているのと同じなのです。
ただし、最近では「井の中の蛙大海を知らず」には「されど空の深さを知る」という続きがあると言われるようになりました。
これは中国の思想には出てこないため、日本でつけられたものだと考えられています。
狭い世界で自分の道を突き詰めたからこそ、世界の深いところまで知ることができた、という意味です。
確かに視野が広ければ良いということではありませんよねたとえ世界が狭かったとしてもその世界を突き詰めていけばそれなりに境地に達することができるのかもしれません。
「見識が狭い」の例文
- 「見識が狭い」の例文1
- 「見識が狭い」の例文2
「見識が狭い」の例文1
「あの人は見識が狭いから相談相手には適していない」
人間は誰であっても様々な悩み事を抱えているものですよね。
自分1人では対処することができず、誰かに相談したいと思うこともあるのではないでしょうか。
しかし、人間は自分の経験や体験をもとに想像力を働かせるので、同じような経験や体験をしたことがない人にはなかなか問題が通じにくいというところがあります。
だからこそ、「見識が狭い」人に相談をしても問題を理解してもらえないことがあります。
「見識が狭い」人に自分の問題を明かせば、「あー、私もね」と自分の話にされてしまったり、逆に理解してもらえず全くの時間の無駄になってしまったり、ということもあるでしょう。
相談するならば見識が広い人に相談をしたいものです。
「見識が狭い」の例文2
「あの人は見識が狭いから教師には向いていないんじゃない?」
「見識が狭い」場合、人に的確な助言をすることができません。
それならば、職業にも向き不向きというものが出てきます。
例えば教師は様々な生徒に向き合わなければいけません。
生徒には様々な家庭環境があり、その背景にも十人十色の違いがあります。
ですから「見識が狭い」人はなかなか教師としては活躍できないでしょう。
「見識が狭い」教師は生徒の問題を決めつけ、傷つけてしまう可能性があります。
いかがでしょうか。
生きていく上では見識を広く持つことが大切です。
「見識が狭い」と人間関係を築くこともできませんし、仕事上でも成功できるとは言えないでしょう。
良い人間関係を持ち、仕事でも自分の力を発揮していくために、見識を広く持つ必要があるのです。
どのような社会においても、周りの人と共存しながら生活をしていかなければいけません。
周りから自分のあり方に対して意見を言われることもあるでしょう。
しかし、景色が狭い人は周りの人の意見を聞き入れることができません。
そのため自分を向上させることにもつながらないし、自分の考え方を批判的に見るということもできないのです。
見識を広くするためには周りの意見を聞くことが大切です。