「杞憂に終わる」とは?意味や類語!例文と解釈
日常会話で「杞憂に終わる」という言葉が使われることがあります。
一体どの様な意味なのか、語源や使い方も併せて紹介します。
目次
- 「杞憂に終わる」とは?
- 「杞憂に終わる」の表現の使い方
- 「杞憂に終わる」の由来
- 「杞憂に終わる」を使った例文と意味を解釈
- 「杞憂に終わる」の類語や類義語
「杞憂に終わる」とは?
「杞憂に終わる」の意味は「当初の心配が必要なく最後までくること」です。
ものごとを始める時に、最初から悪いことが起きるのではないかと色々心配で仕方ないのですが、いざ行動して見ると結果は何も問題なく終り、あれ程心配したことは一体何だったのかと思うことを言います。
悪い状況を予想しながら行動するけれども、何一つそれが実現せずに最後まで到達する時の表現です。
- 「杞憂に終わる」の読み方
- 「杞憂に終わる」を分解して解釈
「杞憂に終わる」の読み方
「杞憂に終わる」は「きゆうにおわる」と読みます。
「杞憂」という漢字が難しいので、書き方までしっかり覚えておきましょう。
「杞憂に終わる」を分解して解釈
「杞憂に終わる」は「杞憂+に(助詞)+終わる」で成り立っています
「杞憂」は「無用な心配をすること」「起きるかどうか分らない様な悪いことを予想すること」という意味です。
「終わる」は「~に終る」として使われる場合、「思った通りの結果にならずに終了する」「結局~となる」という意味があります。
これらの言葉が組み合わさり「無用の心配をしてそれが起きずに終わる」という意味で使われています。
「杞憂に終わる」の表現の使い方
「杞憂に終わる」の使い方を紹介します。
- 文法的な使い方
- 結果が出た時に使う
文法的な使い方
「杞憂に終わる」は動詞を含んだ表現ですので、文末にそのまま使えます。
「杞憂」が使われる表現として最も多い使い方で、その他には「杞憂に終わり、」と複文として使うこともあります。
結果が出た時に使う
「杞憂に終わる」は全ての結果が出て、何事も無かった時に使います。
「杞憂に終わるだろう」「杞憂に終わって欲しい」と予測の意味で使うこともありますが、その時点では「杞憂している本人」は余計な心配をしているとは思わず、本気で心配していることが多いからです。
何事も起きなかった時に初めて「余計な心配だった」と結論付けられるのです。
「杞憂に終わる」の由来
「杞憂に終わる」の由来は、中国に伝わる話からきています。
杞という国に男がいて、「天地が崩れ落ちて来たらどうしよう」と心配するあまりに、病気になってしまいました。
そこで賢い人が「天は空気でできているので落ちてくるはずがない」と言ってきかせました。
すると男は「太陽や月や星が落ちて来たらどうしよう」と言うので、「それらは空気の中で光っているだけで、落ちてもぶつかることはない」と言いました。
更に男が「地が崩れたらどうしよう」と言うので、「地面は土が積み重なってできているので崩れることはない」と言ったところ、やっと安心できたとことです。
「杞憂に終わる」を使った例文と意味を解釈
「杞憂に終わる」を使った例文と解釈を紹介します。
- 「杞憂に終わる」を使った例文1
- 「杞憂に終わる」を使った例文2
「杞憂に終わる」を使った例文1
「家の鍵を閉めた記憶がなかったので心配していたが、ちゃんと戸締りをしていて杞憂に終わった」
家の鍵を閉め忘れたと思い、空き巣に入られたらどうしようと思って心配していたけれども、結局ちゃんと鍵を閉めていたことを表しています。
「杞憂に終わる」を使った例文2
「海外旅行でスリや強盗に遭うのではと心配していたが、杞憂に終わった」
海外旅行に出かける際、スリや強盗が多いことを散々聞かされて心配していたけれども、何事もなく帰って来られたことを表しています。
「杞憂に終わる」の類語や類義語
「杞憂に終わる」の類語を紹介します。
- 「取り越し苦労」【とりこしくろう】
- 「深読みし過ぎ」【ふかよみしすぎ】
「取り越し苦労」【とりこしくろう】
「どうなるか分らないことをあれこれ心配すること」という意味で、「杞憂に終わる」の言い換えです。
「深読みし過ぎ」【ふかよみしすぎ】
「必要以上に気をまわして考えてしまうこと」という意味です。
「杞憂に終わる」は「当初の心配が必要なく最後までくること」です。
心配しても何事も起きなかった時に使いましょう。