「疎外感を感じる」の意味とは?類語、使い方や例文、対義語を紹介!
人はどのようなときに「疎外感を感じる」のでしょう。
言葉の意味を深く理解し、その言葉の本質をみていきましょう。
目次
- 「疎外感を感じる」の意味とは?
- 「疎外感を感じる」の類語や言い換え
- 「疎外感を感じる」の使い方
- 「疎外感を感じる」の例文
- 「疎外感」の対義語
「疎外感を感じる」の意味とは?
「疎外感を感じる」とは集団の中に溶け込めない雰囲気がある様子を意味します。
自分だけハブられているような感じ、自分だけ浮いているような感じを意味しており、集団に溶け込めずにいる孤独な感情を表した表現です。
しかし、「疎外感を感じる」のはあくまで自分一人だけであって、周りの者が同様に見ているかというと、そうではありません。
「疎外感を感じる」のは、集団の輪の中に自分も入りたいと願う者が抱く感情であり、それができないことへの悲しみの感情が孤独感として現われ、疎外感を感じるようになるからです。
もしかしたら、周りの人はあなたのことを受け入れてくれているかもしれません。
一人が好きな人も世の中にはいるので、その人が疎外感を感じているかどうかは周りの目からは分からないものです。
あくまで疎外感を感じるのはハブられていると意識している自分です。
疎外感を感じているからといって、それが集団との仲の悪さに直結する訳ではありません。
つまり、「疎外感を感じる」とはその人の抱く集団に対する孤独な感情のことです。
実際の、その集団との仲の悪さまで言及している言葉ではありません。
「疎外感を感じる」の類語や言い換え
「疎外感を感じる」の類語や言い換えを見ていきます。
- 「心地悪い」【ここちわるい】
- 「ぼっち」【ぼっち】
- 「アウェー感」【あうぇーかん】
「心地悪い」【ここちわるい】
「心地悪い」も集団に溶け込めないようなときに使う言葉です。
集団の中にいても自分一人だけが集団の輪から外れ、居心地が悪い様子を表しています。
「心地悪い」という言葉は「心地」と「悪い」に言葉を分けることができます。
「心地」の意味は、外界からの刺激に対して起こる心の状態であり、気分や気持ちを表す表現となっています。
また「悪い」の意味は性質や状態が良くないことを表しています。
このように「心地悪い」とは、外から受ける雰囲気が決して自分にとって都合のよいものではなく、気持ちのよくないものとして捉えている言葉だと分かります。
例文を挙げてみます。
「話の合わないグループに入っても心地悪いだけだよ。」
(話の合わないグループに入っても居心地が悪くて気分が下がるだけだよ。)
「ぼっち」【ぼっち】
「ぼっち」とは「一人ぼっち」の略です。
「一人ぼっち」といえば、集団から離れて、一人だけでいる人のことを指す言葉として知られています。
頼る相手もなく、話す相手もいないような寂しい状態を表す言葉です。
ですが、最近では気ままに一人で行動している人を「おひとりさま」などと呼び、「一人ぼっち」が悪いイメージだけではなくなりつつあります。
ちなみにこの「一人ぼっち」という言葉は、もともと「独法師」(ひとりぼうし)という言葉からきているそうです。
「独法師」とは特定の宗派に属さず、そこから離脱した僧侶のことです。
つまり、特定の集団に属さない僧侶のことを「独法師」と呼びました。
そしてこの言葉が変化し、「一人ぼっち」という言葉ができたと言われています。
例文を挙げてみます。
「僕はもう一人ぼっちじゃない。こんなに素敵な友達がいるのだから。」
(僕はもう孤独じゃない。こんなに素敵な友達がいるのだから。)
「アウェー感」【あうぇーかん】
「アウェー感」は正しい日本語ではなく、若者言葉に該当する言葉です。
言われ始めは2005年くらいです。
自分とは場違いな雰囲気のある場所を「アウェー感」という言葉で表現します。
「アウェー感」の「アウェー」とは英語の“away”です。
英語の“away”の意味は、離れる・不在・あちらへとなりますが、この単語が若者言葉として、場違いなことを表現する言葉となりました。
恐らく、離れるという単語が自分とは立場の離れた様子を表現するに至ったのでしょう。
この「アウェー感」も「疎外感を感じる」と同様、「自分は浮いているな」「仲間外れになっているな」と感じるときに使っています。
例文を挙げてみます。
「一人だけみんなと意見が違うなんて、アウェー感が半端ないよ。」
(一人だけみんなと意見が違うなんて、自分一人だけ浮いている感じがものすごくあるよ。)
「疎外感を感じる」の使い方
「疎外感を感じる」は以下のようなときに使ってみましょう。
- 周りの人との距離感を感じている
- 周りに話の合う人がいない
- すでに仲良しグループが出来上がっている
- 一人だけ意見が違う
集団の中には多くの人がいますが、その中に誰一人として、自分の味方になってくれそうな人がいないときに使います。
もしくは、自分とは立場が異なる人しかいないときに使います。
また、使うときにもう一つ大事なポイントがあります。
それは、「疎外感を感じる」その人自身が孤独を感じているかどうかです。
どんなに集団からはみ出していても、その人がなんとも思っていなければ「疎外感を感じる」とは言えません。
もしくは反対に、一見、集団に溶け込んでいるように見えても、心の中で疎外感を感じていたら、それは「疎外感を感じる」という言葉で表現することができます。
疎外感を感じているかどうかは外から見た様子だけでは分かりません。
実際にその人自身が孤独を感じているかが重要です。
以上を踏まえると、「疎外感を感じる」と使うときはこのような時だと言えるでしょう。
- 集団から一人だけ違う立場にいるとき
- 自分自身、孤独を感じているとき
「疎外感を感じる」の例文
「疎外感を感じる」の例文を挙げてみます。
- 「疎外感を感じる」の例文1
- 「疎外感を感じる」の例文2
「疎外感を感じる」の例文1
「私はみんなと一緒に行動していたものの、どこか疎外感を感じていた。」
(私はみんなと一緒に行動していたけれど、心の中で違和感を感じていた。)
「疎外感を感じる」の例文2
「この子が部活に馴染めない様子をみて、この子の疎外感を感じずにはいられなかった。」
(この子が部活に馴染めない様子をみて、この子が孤独を感じていることがよく分かった。)
「疎外感」の対義語
「疎外感」の対義語を紹介します。
- 「一体感」【いったいかん】
「一体感」【いったいかん】
「一体感」とは「一つにまとまった感じを受け取っていること」「集団にまとまりがあること」を意味しています。
同じ目標を持っていたり、コミュニケーションがよくとれて、話が合うときなどに感じる言葉です。
「一体感」を持っている集団は仲間意識が強く、孤独感とは無縁な集団です。
仲間外れになっているような人がおらず、仲間同士、連携をとってうまく関係を築いている様子が伺えます。
ただし、この「一体感」のある集団かどうかは、その人その人で受け取り方が違うため、一人が一体感を感じているからといって、集団の全ての人間が一体感を感じているかというと話は別です。
Aさんは一体感を感じていても、Bさんは感じていない場合もあります。
こうして考えると、「一体感」もまた、その人自身が「この集団はまとまりのある集団だ」と意識しているところがポイントとなってきます。
例文を挙げてみます。
「合唱コンクールで優勝したとき、初めて僕はクラスの一体感を感じた。」
(合唱コンクールで優勝したとき、初めて僕はクラスのまとまりを感じた。)
「疎外感を感じる」ことはよくあることです。
なかなか自分に合う人は見つかりにくいものですし、相性が良いかどうかはコミュニケーションを重ねないと、分かりにくいものだからです。
疎外感を感じることのないよう、うまく他の人と付き合いながら生きていきたいものです。