「鬼籍に入る」の意味とは?言い換えや語源、敬語や英語を紹介!
日本語には、色々なシチュエーションで用いられる慣用句があります。
その中でも、人の不幸や突発的な悲しみに対して、間接的な表現で例える言葉もあります。
「鬼籍に入る」という言葉もその1つに挙げられるでしょう。
目次
- 「鬼籍に入る」の意味とは?
- 「鬼籍に入る」の類語や言い換え
- 「鬼籍に入る」の語源
- 「鬼籍」を使ったその他の言葉や使い方
- 「鬼籍」に入るは敬語?丁寧語?
- 「鬼籍に入る」の英語
「鬼籍に入る」の意味とは?
「鬼籍に入る」とは、人の死のことを意味しています。
「亡くなる」ことや「故人」のことを指すこともあります。
自分の家族や親戚、知人、友人などが亡くなった時に使われる言葉です。
最近では、あまり使われることが少なくなりましたが、「死」という言葉を使うことは、人によって辛いことでもあります。
その時に直接的に「亡くなる」ことを避けて、遠回しに例える表現として使われることが多いです。
ある意味、丁寧な言葉としての価値も見出すこともできるでしょう。
- 「鬼籍に入る」の読み方
- 「鬼籍」とは?
「鬼籍に入る」の読み方
「鬼籍に入る」は、「きせきにいる」と読みます。
「鬼籍」は、音読みで「きせき」と読めそうですが、「入る」を「いる」と読むことも注意です。
どうしても「はいる」と読んでしまいそうです。
「鬼籍」とは?
では、この「鬼籍」とは、何でしょうか?
ここで「籍」が気になる漢字なのですが、「戸籍」の意味が含まれています。
「鬼の戸籍」となり、これは鬼が持っている戸籍の台帳を指しています。
死との関連性を考えると、鬼は閻魔大王のことを言っており、言わば、「閻魔大王が持っている戸籍台帳」となるのです。
この戸籍台帳に入ることは、人が亡くなり、あの世で、極楽か地獄に行くか、閻魔大王の審査を受けるとされていますが、亡くなる時に、この戸籍台帳に記載されるのです。
戸籍台帳=閻魔台帳とでも言い換えることができるかもしれません。
「鬼籍に入る」の類語や言い換え
人の死を言い換えた表現ですが、他に類義語がありそうです。
- 「鬼籍に登る」
- 「冥土に行く」
- 「神に召される」
- 「昇天する」
「鬼籍に登る」
ここにも「鬼籍」が使われています。
意味は全く同じですが、「入る」を使うよりも「登る」という表現の方が、とても丁寧な印象を受けます。
人が亡くなり、天に召される時に登っていくことを指しているのでしょう。
「登る」という言葉自体に、亡くなった人への敬いの気持ちが込められていることを汲み取ることができます。
「冥土に行く」
自分が亡くなったり、人が亡くなる前に「冥土の土産に持って行く」という言葉が用いられることがあります。
この言葉と同じように「冥土に行く」という言葉も「鬼籍に入る」と同じ意味で使われることがあります。
冥土とは、あの世のことで、暗い世界をイメージさせます。
死後の世界は、明るい極楽・天国か、暗い地獄が待っているのか分かりませんが、何か混沌とした世界を指しているのかもしれません。
冥土は、冥府とも例えられます。
「神に召される」
これもよく使われる言葉です。
「鬼籍に入る」という表現よりも、使われる機会の多い言葉ではないでしょうか?
クリスチャンの人々や神父さんが使っている言葉としての印象が強いと思います。
「召される」という表現には、とても優しい印象を覚えます。
人が亡くなり、神の下に行くことができるという意味で、死ぬことが決して辛く悲しいことではないとも受け止められます。
人が亡くなることにより、霊が解放されて自由に身になるような感じさえあります。
「昇天する」
これもまさに天に昇ることで、亡くなってあの世に行くことを言っています。
しかし、「昇天」というフレーズは、とても愛のある言葉なのでしょうか、とても優しく明るい意味も含まれているのではないでしょうか。
天に昇ることは、天国に行くことでもあるような気がしてなりません。
「昇天する」の逆の言葉には、「地獄に落ちる」という表現もありますが、故人の生前の行いに対して、使い分けられるのではともあるでしょう。
「鬼籍に入る」の語源
「鬼籍」が閻魔大王が持つ閻魔台帳を意味していることは前述の通りなのですが、「鬼籍」は、中国から伝わってきた言葉とされています。
閻魔大王は、あの世で亡くなった人を生前の行い、所業を調べ審査することで裁いていきます。
言わば、あの世の裁判官の役目を果たしています。
この時に使われるのが、「閻魔台帳=鬼籍」になるわけですが、この台帳には、亡くなった人の姓名や年齢‥も含めて、色々な個人情報が記載されているとされています。
今の時代の個人情報レベルではなく、生まれてから、死ぬまでの全てのことが記されているので、とてもハイレベルの個人的な機密情報とも言えるでしょう。
まだ生存している人の寿命でさえ、全て網羅されているとも考えりています。
「鬼籍」にある「鬼」は、一般的なイメージとしては、赤鬼や青鬼などを思い浮かべますが、鬼を指すのではなく、死者の霊魂を指しています。
このことからも、慣用的に閻魔台帳に記載される、リストアップされることが、人が死ぬことをつながってきたのです。
「鬼籍」を使ったその他の言葉や使い方
鬼籍に入るという他にも次のような時に使われることがあります。
- 「鬼籍の人」
- 「鬼籍に近づく」
- 「鬼籍は誤魔化せない」
「鬼籍の人」
よく使われるかは、定かではありませんが、高齢の人によっては、この言葉を使う人もいます。
人の死を指しているこたは、言うまでもありませんが、まさしくその人がなるなろうとしたり、すでに亡くなった故人を指していることが多いです。
直接的に死にまつわることを触れるのではなく、遠回しに話す言葉として、利用するのでしょう。
「あの人は鬼籍の人だよ。」
こんな会話が出たなら、これはまさしく亡くなった人を意味して言っています。
「もう、奇跡の人のことをあれこれ言ってはダメだ。」
これも故人のことを後から悪口を言ったり、難癖を付けるようなことに対して、釘を指したりする場合に、使うのかもしれません。
亡くなった人がゆえに、生前のことをとやかくいうのではなく、偲ぶ気持ちで話することが大切なのかもしれません。
「鬼籍に近づく」
これも死にまつわる例え、表現です。
「死期が近づいている」ということを指しています。
自分の家族や親しい人に対しても、使う場面が少なくないでしょう。
どうしても、死ぬことがはっきり分かってくるとだれでも憂鬱な気持ちになることは突然のことです。
そんな時に「あの人は、もう明日のない命なので、どうしようもない。」
「死期が近づいていて、手の施しようがないな。」
このようなことを言わなければ鳴らない人も、この言葉を聞く人も、とても辛いものです。
その時に湾曲した表現で伝えることで、かなり柔らかく聞こえるかもしれません。
「鬼籍は誤魔化せない」
これも普段使う言葉ではありませんがかなり使える言葉ではないでしょうか?
鬼籍には、全ての人の情報が記載されていると説明を致しました。
閻魔大王が亡くなった人を天国(極楽)を導くのか、それとも地獄に送り込むのか。
そのためには、閻魔台帳(鬼籍)に記載されているその人の情報を見て判断します。
例え、その人が自分の行いを偽っても、鬼籍には事実しか載っていないので、誤魔化すことができないのです。
人はどうしても保身に走ってしまう傾向があります。
常に正々堂々と、公正明大に振る舞うことができる人は、とても少ないのです。
いつかは、はっきりと自分の積み重ねてきたことに対して、償わなければならないことも出てくるでしょう。
人生を全うして、冥界に行っても、まだ、自分を正当化しようとする人もいるのかもしれません。
そのようなことをシテも、鬼籍には、全ての情報が網羅されているので、決して嘘や偽りを言ってもすぐに見破られてしまうわけです。
そのために、このような言葉が出てくると、観念することです。
「鬼籍」のキーワードを用いる時は、どちらかというと、いい意味で使われることが多いのですが、この時の使い方はあまり良い例ではありません。
この言葉をつかう時、常日頃から胸を張って生きることができる人生を送りたいと思うことでしょう。
「鬼籍」に入るは敬語?丁寧語?
「鬼籍」は、丁寧語としては使われます。
目上の人だけでなく、普段から使う丁寧な言葉として、使うことになります。
「鬼籍に入る」の英語
この言葉を英語で言い換えるなら、“passed away”となるでしょう。
“passed away.”は、時が過ぎさっていくことや、流れていくこと言っています。
人がなくなることは、dieを使いますが、あまりにもストレートでリアルな言葉でしょう。
しかし、“passed away.”ならば、まだ遠回し的な表現できつい印象を覚えることは少ないかもしれません。
それだけにとてもマイルドな表現で、さしづめ、「他界する」という訳でもあるでしょう。
鬼籍という言葉自体を知らない人が、とても多いのではないでしょうか?
若い世代の人はもちろんのこと、40代、50代の人でも、日常会話の中でも使っている人は、ほとんど見かけません。
「鬼籍」というと、「奇跡」と誤解して、全く違う意味として理解してしまうのではないかと思います。
しかし、「鬼籍」の語源を理解すると、この言葉ち含まれた優しい慈愛の心が伝わってくるような気がしてなりません。
他界後、人の霊を裁いている閻魔大王の手元リフトというか、データベースをもとに、その人のそれまでの流れを把握しているのですから、このキーワードを使うことによって、本来、悲しかったり、辛いはずの人の死を優しくいたわるような思いで表現出来るのですから、とでもいい慣用句だど思うのです。
日本語には、これ以外にも、直接的な表現を避けて、遠回しに例えることで、やんわりと聞こえるうに生りますし、相手に対する言葉気遣いの心や思いやりが伝わってきます。
これこそが日本らしい、情愛のある言葉の文化なのかもしれません。
「鬼籍に入る」も、まさにこれらの思想を踏襲した言葉と思えます。
私達が普段使う言葉の中には、平気で人の心を傷付ける言葉もあります。
このような時こそ、昔から伝わってきた言葉を使うことで、いたわりと慈愛に満ちた気持ちにしてくれるように心がけたいものです。