「隔世の感」の意味・類語【使い方や例文】
昔は人生で50年と言っていましたが、今ではもう70年、80年でも不思議ではない時代になってきました。
でも、月日が経つことはあっという間のことで、1年が半年くらいにしか感じられるようになると、もう歳を取ってしまったのだなと思ってしまいます。
しかし、現代社会はインターネットなどを核に情報社会と呼ばれており、時間の流れがさらに速くなっていますが、そんなことから、今では月日が過ぎることが、ますます早く感じてしまいます。
この時に思い浮かぶ言葉が「隔世の感」ですが、今回はこの「隔世の感」について説明をしていきたいと思います。
目次
- 「隔世の感」の意味とは?
- 「隔世の感」の読み方
- 「隔世の感」の言葉の使い方
- 「隔世の感」を使った例文・短文(解釈)
- 「隔世の感」の英語と解釈
- 「隔世の感」の類語や類義表現
「隔世の感」の意味とは?
「隔世」とは、「世を隔てること」、つまり「時が経過いくこと」、「時間が過ぎ去ってこと」を意味している言葉で、「隔世の感がある」というと「随分時間がたったものだ」、あるいは「えらく世の中変わったな」といったような感慨の思いを表した言葉になります。
あまりの激しい変化にまるで世代が大きく変わってしまったような感じのことで「隔世の感を禁じ得ない」というような表現で使われることがあります。
「隔世の感」の読み方
「隔世の感」とは「かくせいのかん」という読み方になりますが、発音としては特殊な読み方がないので、そのまま読めるがと思います。
「隔世の感」の言葉の使い方
「隔世の感」は、大きく時代が変わっていく光景を見た時や、あまりにも早い年月の流れのことを振り替えって見た時に出てくる言葉でしょう。
「隔世の感」を使った例文・短文(解釈)
では、ここで「隔世の感」を使った例文を見ていくことにしましょう。
- 「隔世の感」の例文1
- 「隔世の感」の例文2
- 「隔世の感」の例文3
「隔世の感」の例文1
「男性は外で働いて女性は家を守るというのが昔の価値観だったが、今ではその考えは全く逆のようで、隔世の感を禁じえない」
このような例文を見ると、本当に時代は変わってしまったという思いになるかもしれません。
「男性は外で戦い、女性が中を守る」という発想は、もはや時代遅れになっていますし、女性の人も男性と変わらず、ビジネス社会で活躍していることを見ると、「隔世の感」が強くなってきます。
「隔世の感」の例文2
「京都観光をしていると、攘夷から始まり明治へと移り変わり、当時のことを想像すると、隔世の感があったとも思えてしまうのです」
古都・京都を回ってみると、長い歴史を感じます。
特に幕末から明治に時代が変わる頃は、京都から東京に遷都されたことで、時代の流れがさらに大きく変わって行きました。
あれから百数十年経ち、大きく時が流れたこと、変わったことを感じるのではないでしょうか?
京都に行くと、古きこと、新しきことを意識させてくれるような感じがするのです。
「隔世の感」の例文3
「大学が発展すること、拡大していくことは、僕の学生時代と比べて実に隔世の感があります。それにつれてキャンバスの周りも大きく様変わりしていています」
停学はこの10壮年で大きく様変わりしています。
学ぶことから考えることにウエートが移った教育方法で、優秀な学生も多くなっています。
そのためには、最新の教育法、最新の設備、建物という恵まれた環境が必要なのかもしれません。
また、大学が新しくなる子とにしたので合わせて、周辺の街並みも変わって行くような感じもします。
「隔世の感」の英語と解釈
「隔世の感」を英語で例えるなら、“Sense of poles apart”という表現が使えます。
「隔世の感」の類語や類義表現
ここからは「隔世の感」に似ている意味を持つ類義語を見ていくことにします。
「隔世の感」は、普段の日常的な会話の中では、あまり使われるような言葉ではないので、類義語の聞きなれないものがあるかもしれませんね。
- 「今昔の感」
- 「時が移る」
- 「有為転変」
「今昔の感」
「今昔の感」とは、「今と昔を思い比べて、あまりに違っているのに心を打たれること」という意味があります。
「今昔の感に堪えない」というような表現で使われますので、「隔世の感」とかなり似通っていますね。
「先日、私は久しぶりに、田舎の光景を見て今昔の感に堪たえなかった」数年ぶりに実家に戻り、懐かしい風景を見てどんなにかことを思ったかと言えば、子供の頃の懐かしい環境ではないかと思います。
「時が移る」
「時が移る」とは「時間が経つこと」、「年月が過ぎること」という意味になります。
何となく叙情的なフレーズですが、自分の長い人生を振り替えって見た時に、こんな言葉が出てきそうです。
「30年もサラリーマン人生を振り替えって見ると、時が移っていくことに一種の寂しさを感じてしまう」というような思いがよぎるかもしれません。
現代社会は、あまりにも慌ただしい環境であり、時が経つことを忘れがちです。
本当なら、その日その日のことを大切にしていきたいところなのですが、惰性的に生きているということもあると思います。
もし、「時が移る」ことを感じることがあったなら、その時に今までの自分の歩みをじっくりと振り替えって見ることです。
「有為転変」
「ういてんぺん」と読む「有為転変」は、仏教から来ている言葉で、「世の中の全ての現象や存在は常に移り変わるものであって、決して一定しているものではない」という意味があります。
「有為」とは、「因縁によって生じたさまざまな現象」のことですが、「世の中は常に移り変わっていくはかないもの」という解釈があります。
「有為転変とは、世の習いでさからう言葉でできない」という使われ方がありますが、まさに人生を達観したような考え方に思われます。
それでも、人は一生懸命に生きているのです。
「時の移り変わり」とは、決して避けることができない自然の摂理でもあります。
人は、その中で必死に頑張って生きているのですが、「隔世の感」を覚えた時は自分の心の中で、どんなことを思うのでしょう?
今まで歩んできた道が間違っていたと反省するのか、それとも満足感で納得した人生を歩いてきたと思うのか?
それは人それぞれですが、生まれてから人生を充実させようとは、深く考えるとことはないかもしれません。
それでも、今から自分の生きざまを見つめ直すことがあるなら、これからの進むべき方向が見つかるはずです。
もしかすると、「隔世の感」はそんなことさえも教えてくれるような気がするのです。